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2013年3月16日 (土)

期待は善くも悪くも外れ、結果はいつも思いがけない。13年3月16日

誰でも期待することは殆ど当たらないものだ。株でも仕事でも健康でも、実際に起きることは予測を外れてしまう。しかし、私は一つだけ予想が当たった。それは今の住まいでの母の死だ。17年前この住まいを見に来たのは2月の寒い強風の日で、奥秩父に沈みかけた夕日が地表をオレンジ色に輝かせていた。その時、母を死なせるのに良い住まいだと思った。帰宅して「夕日が綺麗な、死ぬのにとても良い場所だったよ」と母に話すと、とても喜んでいた。

母はその予測通り、15年後にこの住まいで私に看取られて死んだ。死んだ日も予期した通りだった。祖母は5月1日、父は6月1日に死んだ。覚えやすいから1日に死んでくれと母に冗談で話していたら本当に7月1日に死んでしまった。だから私も、エープリルフールの4月1日に死ぬかもしれない。もしそうなったら、ポーカーならエースのフォーカードでとても良い死に方になる。

生きるために希望は必要だが、この歳になるとそれを維持するのは難しい。それで、時折、思い出の中の楽しいことをもう一度やってみる。それをきっかけに希望の芽が育ち始める、と信じているが、この予測も当たらない。昔、楽しかったお台場や鎌倉へ行っても、昔ほどの楽しさがない。よくよく考えてみたら、楽しかったのは、その時、気の合う友人や女性が一緒だったからだ。

それなら再度、気楽な友人たちを誘えば良い訳だが、彼らの多くは孫のお守りに熱中していて、付き合いが悪くなった。付き合いの良い友人もいるが、多くは体を壊していたり、鬼籍に入ってしまった。そんな試行錯誤を続けた結果、今は一人でできる近所の散歩を楽しんでいる。

絵を描くことも楽しいが、仕事なので苦痛を伴う。創作活動は体力を使う。体調が万全でないと作品が躍動しない。散歩以外で、間違いなく楽しめるのは音楽や映画鑑賞くらいのものだ。

K_1K_2K_3コブシとハクモクレンが同時に咲き始めた。世間ではこの二つの区別に悩む人が多い。

何度もブログに書いたが、小柄な花の首に子葉があり、流麗に上下左右に咲くのがコブシ。

上写真がそうで、日本の在来種。

対して、中写真のようにボトボトと上へ向けて咲くのがハクモクレン。
中国からの渡来種で、華麗だが、コブシと比べると風情に欠ける。

下写真はサンシュユ。
花のあとにグミそっくりの美しい深紅の実をつける。
見た目は美味しそうだがとても酸っぱい。強精、止血、解熱などの薬効がある。

最近、TV映画で「南極料理人」「アフタースクール」と良い邦画が続いた。
洋画で印象に残っているのは ショーン・コネリーとオードリー・ヘプバーンの「ロビンとマリアン」。セガールの「沈黙の陰謀」。セガールはいつものアクションの連続で壮快だった。

作品中の台詞がとても良かったので印象に残っている。それは父役セガールへの幼い娘の馬の死についての質問だ。仕事をしながら聞いていたので正確ではないが・・・

「どうして馬は一人ぼっちで死ぬの」
娘が聞く。
「それは人より勇敢だからだ。人は愛する人に看取ってもらいたいと思うが、馬は人より立派なので一人で死ぬことができる」
父の答に対しての娘の言葉もとても良い。
「おじいちゃんは、魂の行く場所を隠す為だ、って言っていたよ」

アメリカ西部を舞台にした作品では、時折はっとするような深い台詞のやり取りがある。あれは、インディアンの死生観の影響かもしれない。日本人には「今日は死ぬのに良い日だ」なども「日々是好日」と共通するとても良い言葉だ。


今日のストリートビュー紀行は郷里日南市大堂津と隣の漁港目井津。
写真は猪崎と呼ばれた岬から見た目井津と大堂津だ。中央が目井津。右手が大堂津。この猪崎の下には太平洋戦争末期に特攻部隊の第117震洋隊の基地があった。

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震洋は艇首部に炸薬250kgを搭載した小型ベニヤ板製モーターボートで、米軍上陸船団に体当たり攻撃を目的とした。しかし、装甲は極めて脆弱で機関砲弾を1発被弾しただけで爆発炎上した。結果、震洋は戦果をあげることなく戦死と訓練中の事故死をいたずらに増やしただけで敗戦を迎えた。

子供の頃、基地跡には壕から透明なエメラルドグリーの海中へ伸びるレールだけが残っていた。それはとてもシュールな光景で、幾度も絵に描いた。

最近、TVでふいにトロイメライを聴いて昔のことを想い出した。
以前、プログに書いたが、昔、短期間だけ父は目井津の映画館の経営をしていた。映画演劇好きの父ははりきって、宮崎市の少女歌劇を呼んで公演したことがあった。出し物はよくある可哀想な話しで、その涙のシーンでトロイメライが流れていた。

それは舞台の袖で裏方がかける蓄音機の音程の怪しい音だったが、田舎の小学生の私はすっかり魅了されてしまった。今も曲を聴くと、青白い光に包まれた夜の室内で、男役と女役の二人が抱き合っているシーンを鮮明に想い出す。

父はチャンバラしか受けない漁師町で、文化路線を押し通し、経営はあえなく失敗した。父は生涯で成功した仕事は一つもない。父が残した債務は母と私が後始末した。

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写真には大堂津の全景が写っているが、昔のイメージとは違う。昔は軒の低い瓦屋根に風雨に晒された木造ばかりで、写真より灰色にくすんでいた。今はモルタル塗りの白っぽい文化住宅ばかりの乾いた感じで味気ない。

トロイメライの少女歌劇は宮崎市内の映画館孔雀劇場に属していて、総勢20名くらいだった。経営していた島興業は宮崎の宝塚を目指していたのかもしれない。

孔雀劇場は、同じ経営の小さな遊園地の一角にあり、飛行機の乗り物があった。小学6年に宮崎に引っ越した時、夏の夜に連れて行って貰ったことがある。飛行機に乗って回転を始めると、本当に夜空へ飛んでいるような気分で、もしワイヤーが切れたら、星空へ飛んで行けるかもしれないと胸が躍った。

遊園地の手前には赤線地帯があった。中一の頃、夕暮れにその辺りを歩いていると、化粧の濃い女性たちが客待ち気に店の前に立っていた。売春防止法が施行されたのはその翌年で、店は飲み屋に変わった。

遊園地の先には瓦工場があり、粘土を買いに行っていた。瓦工場の粘土はとても良く練り込んであって細工しやすかった。地図で見ると瓦工場は今も同じ場所にある。

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