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2013年3月28日 (木)

Eテレ・100分de名著・フランクル「夜と霧」生きがいが見つからない人へ。13年3月28日

最近寝付きが悪い。昨夜も眠れないまま、2時までEテレを見ていた。深夜民放はお笑い芸人のつまらない番組ばかりなのでまったく見ない。昨夜のEテレは100分de名著・フランクル「夜と霧 第3回・運命と向き合って生きる」の再放送だった。何度も見ているので概要は頭に入っているが、いつもより深く心に残った。

ヴィクトール・フランクル著「夜と霧」は強制収容所での体験を記した世界的ベストセラーだ。過酷な環境の中、囚人たちが何に絶望し、何に希望を見い出したのか・・・それは彼からの、生きがいを見つけられずに悩む人たちへのメッセージでもある。

彼は1941年12月に結婚。その9ヶ月後に家族と共に強制収容所のテレージエンシュタットに収容され、父親はそこで死亡。母親と妻は更に移送された別の収容所で死亡した。
彼は1944年10月にアウシュビッツに送られ、その3日後にテュルクハイムに移送された。それまで、彼は収容者の医師としてチフス患者病棟で働いていた。
1945年4月にアメリカ軍に解放され、1946年にウィーンの神経科病院に呼ばれた。1947年に再婚し、その後ウィーン大学医学部精神科教授を勤め1997年に92歳で亡くなった。

彼は、生きる意味を見出すことで心の病を癒す心理療法ロゴセラピーの創始者でもある。その論文は収容所へ入る前に書き上げていたが没収破棄された。皮肉なことに収容所での極限の体験が彼の論文を補強する結果になった。

収容所で彼は、9ヶ月の新婚生活を過ごした妻をしばしば想い出した。過酷な強制労働の中、彼は妻がその過酷な状況にいないことを心から喜んだ。
「もし、君がここにいたら、私は助けてあげられなくて、とても辛いだろう」
彼は心の中の妻と何度も会話した。その時妻は既に死んでいたが、「妻がまるで傍らに生きているように話すことが出来た」と彼は語っている。

誰でも、大切な家族や愛する人とは、そこに居なくても、まるで実在するように話すことが出来る。たとえば夕焼けを一人で見ている時、大切な人はそこには居なくても「とても美しいね」としみじみと語りかけたりする。極限の絶望の中で生き抜くのに、そのような架空の希望や安らぎがとても重要だったと彼は実体験した。

収容所ではちょっとした偶然でガス室に送られるか、免れるかが決まった。その状況で希望を失い自暴自棄になる者たちは命を縮めたが、生きる目的や、架空でも希望を持つことができる者には生き延びるチャンスが残された。

彼が囚人を診る医師としてチフス患者病棟で働いていた時、死に瀕した若い女性が話しかけた。
「窓の外に見える一本の木と、いつも話しています。木はいつもここにいるよと優しく話しかけてくれます」
彼女はそのような夢想をフランクルに話した。彼は、絶望的な状況であっても人を救う知性や夢などの何かがあることを、そして、どんな過酷な人生にも意味があることを教えられた。

人は自由で自己実現が約束されている環境が幸せだと思い込んでいる。しかし、現実には災害や病気などが突然容赦なく襲って来る。例えば、2年前の三陸の大津波がそうだ。多くの人は数分前まで元気だった家族を奪われ、苦労して築き上げた財産を一瞬でなくした。

収容所は大津波より過酷だったが、その環境でも幸せは得られるとフランクルは思った。人は家族や仕事への献身など、様々な使命感を持って生きていて、どんな状況でも、人の役に立っていると自覚することに生きがいを覚えると彼は思った。

収容所では、極限状態でも人間性を失わなかった者がいた。囚人たちは、時には演芸会を催して音楽を楽しみ、美しい夕焼けに心を奪われた。フランクルは、そうした姿を見て、人間には「創造する喜び」と「美や真理、愛などを体験する喜び」があり、それが生きがいになると思うようになった。

運命に打ちのめされていては、生きる喜びを感じることはできない。運命に毅然と立ち向かい、一瞬一瞬を大切にすれば、生きがいを見いだすことができる。与えられた運命から逃げずに、むしろそれをバネに生きることがとても大切だと、彼は過酷な体験から学んだ。

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今日は暖かく、桜は散り始めた。次の日曜は盛大な桜吹雪が見られそうだ。

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ひっそりとした遊歩道の桜の古木は素晴らしい。

Mx_3きらん草、別名「地獄の釜の蓋」
気の毒な別名だが、蓋のように円く生え、青味を帯びた花は地獄の鬼火のように見えなくもない。

薬草で全草に薬効がある。
収れん・解熱・下痢止め・高血圧症・解毒・排膿・腫物・健胃・去たん。
子供の頃、友人のおばあさんに頼まれて、春になると友人と採りに行っていた。

最近、気になるCMはトヨタのひょっこりひょうたん島。
たけしと釣瓶が大槌町の実在の島を見つめている所からあの人形劇に変わって・・・バックのテーマ曲がたまらなく懐かしくて良い。

苦しいこともあるだろさ
悲してこともあるだろさ
だけどぼくらはくじけない
泣くのは嫌だ 笑っちゃお
進め〜・・・

このフレーズはいつ聞いても良い。

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ストリートビュー紀行は「綾町 照葉大吊橋」

綾町-あやちょう-は、宮崎県の中西部の山深い町。
照葉樹林都市をスローガンとする町おこしの成功例として知られている。2012年に国内で5ヶ所目となるユネスコエコパークに登録された。

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50年来の友人はここの旧家の出で、私も良く知っている場所だ。
さして標高は高くないが、照葉樹林に覆われた豊かな自然がある。戦前、友人一家は没落して満州に出て大成功した。父親は満州医大の教授を勤めた後、戦後は宮崎市内で内科医院を開業した。

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