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2013年4月18日 (木)

生産現場を知らない経済学者たちの景気判断と、人が機械に負け始める時。13年4月18日

日本の9地域における景気判断はいずれも上向きに転じている。それについて経済学者たちは様々な意見を展開している。それには楽観から悲観論まで百家争鳴で、受け取る側としては混乱するばかりだ。楽観論に対しては「良かった良かった」と安堵していればすむが、悲観論は喉に刺さった小骨のように気になる。その一つに「円安が進んでも実体経済は停滞したまま」がある。それは事実だが、数値に捉われ過ぎているように思えてならない。

円高でも、日本の先端技術は力強く稼げる分野だ。しかし、先端技術だけでは国民全体に仕事は行き渡らないし、先端技術そのものが衰退する危険をはらんでいる。経済学者は生産現場に疎く「円高でもGDP統計では落ち込んでいなかった」と数値だけで判断して円高容認の意見が多い。しかし、それは生産現場の実態を知らない勘違いに思える。

先端技術は単独の企業で生まれる訳ではない。汎用技術の企業が集まる生産地域があって、その中で互いが熾烈な競争を繰り広げているうちに突如として生まれるものだ。例えば、世界一の技術集団があった大田区の中小企業群の中からは、先端技術を開発して円高でも世界で闘える企業が多く生まれた。

町工場が軒を並べた地域では、互いの技術者たちが日常的に交流している。以前、野外彫刻を町工場で作った時も、いつも近所の工場の職人さんたちが遊びに来ていて、異業種の専門知識を教えてくれた。

優秀な技術者は、そのように、旋盤、溶接、鍛造と多様な異業種の作業現場で会話している内に、斬新なアイデアがひらめくと話す。京大に優秀な研究者が輩出しているのは、京都の街には多くの大学の研究者が交流できる場があるからと言われている。そのように飛び抜けた技術やアイデアが生まれるには、それを育成する広い裾野が必要だ。しかし、そのシステムを経済学者たちは殆ど理解していない。

円高によって大田区などの中小企業群は疲弊し、廃業したり海外移転をしてしまった。それは地方都市のシャッター通りと同じで、町工場は過疎化し、日本の生産現場の創造的な交流は次第に消えて行きつつある。

その現実に対し経済学者は「円高でもGDP統計では落ち込んでいなかった。仕事がなくなれば海外進出すれば良い」と安易に切り捨ててしまう。しかし、生産技術はその風土と密接に結びついている。経済学者は統計の数値より、多くの有能な若者たちに国内の職場を与える方策を考える必要がある。

繰り返すが、汎用技術の膨大な生産現場の裾野から先端技術は突如として生まれる。だから、苛烈な競争を繰り広げている今の中国の生産現場から、10年後には日本をしのぐ先端技術が次々と生まれる可能性は大きい。その時、日本はどう生き残るのか。生産現場を知らず、折れ線グラフと統計数字ばかり並べたてる経済学者たちに、日本の将来を任せていては危うくなるばかりだ。

夕刊一面に「8兆円の貿易赤字」の文字が踊っていた。円安でも輸出が伸びないと解説していたが、この解釈はとても難しい。原発事故による燃料の輸入増。尖閣問題を起因とする日中不和。ヨーロッパの不景気。様々な要因が重なっているが、危機が起きればそれをバネに飛躍して来たのが今までの日本だ。対策は省エネ技術開発、農業改革、と無数にあるだろう。しかし、日本はその大切なバネを自ら弱める政策を続けて来た。今は数値に一喜一憂せずに、国内の物作りを地道に復活させるのが生き残る道だと思っている。

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新河岸川上流。暖かく、汗ばむ程だ。

先日のニュースだが、電脳将棋にプロ将士たちが負けた。これは当然すぎる結果に思えるが、プロ将士たちには大変なショックだったようだ。

同じ機械対人間では、100mでウサイン・ボルトが37km/h以上で走っているが、「自動車より遅いから悔しい」にはならない。それには昔から、自然界には人より速く走る動物が数多くいて、それにどれほど近づけるかの、競争の歴史があったからだ。

暗算の達人も電卓にかなわないが「電卓に負けて悔しい」にはならない。「電卓並みの暗算だ」と尊敬と賛辞を集める。それは電卓の前に算盤などの計算用具の長い歴史があったからだ。

しかし、将棋は違う。これは人の知恵と心の領域で、CPなどに負けることはないとの思い込みがあった。しかし、この様子では、10年後には小学生が使う将棋のゲーム機に、将棋名人が簡単に負ける日が必ず来るはずだ。その時、名人戦がマスコミをにぎわせ、プロ将士が職業としてもてはやされるかどうか、とても怪しい。

更に100年後なら、絵を描いたり、小説を書いたり、作曲する人工頭脳が登場するかもしれない。例えば絵は、単にデッサン力や色彩感覚に優れているだけでは生まれない。人工頭脳にも成功や失敗を経験した喜怒哀楽や人生の悩みが必要になる。そこまで行けば、それは人口頭脳ではなく、人格のある機械なのかもしれない。

脳細胞はとても高度で微細な構造だが、突き詰めて行けば機械的な構造で、神秘な世界ではない。科学が高度に発展すれば、人以上の脳を創りだすことは可能だ。つくづく、その時代に生まれていなくて良かったと思っている。

すでに、生産現場では優秀な技術者をしのぐ工作機械が次々と生み出されている。日米の労働者は中国の安い労働者に負けたのではなく、機械に負けたと言われている。中国の生産現場では導入された機械のために2000万の労働者が不要になった。

世界中で人は機械に負け始めて、富みは人口の1パーセントの富裕層に独占され、多くの人は貧しく、存在意義すら失いかけている。産業は一部の人の利益の為にあるのではなく、皆が豊かに暮らせることが目的であることを再考すべきだ。

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近所の崖の野生のツツジ。
40年以上昔、5月の連休明けに南アルプスの鳳凰三山登山に行った。穴山駅で下車すると、駅前の人家の庭にシャクヤクやテッセンが美しく咲いていた。それから田園の道を延々と歩いて、山越えをして近道し、御座石鉱泉に泊まった。その途中、山腹に沢山のヤマツツジとヤマフジが咲いていたのを想い出す。

翌日、日帰りで地蔵ヶ岳・鳳凰山・薬師ヶ岳の三山を巡って御座石鉱泉へ戻り、更に一泊して、翌日帰京した。20代の当時は頑強で、疲れた記憶はまったくない。今の体力では、それを再現するのは到底不可能だ。

N_1N_2N_3路傍の名も知らない雑草を見ると感動する。

彼らは、自分がとても過酷な場所にいることに、まったく気づいていない。

上写真のナズナに似た植物は、上の手すりのおかげで人に踏まれずに生きている。

それでも花を咲かせ、子孫を残そうとしている姿は健気でもある。

彼らのように、強く生きられたら素晴らしいが、人は回りの世界を知ってしまった不幸がある。

更に、より良い生活を求めて移動できるので、それが出来ない者の悩みは深くなる。

北朝鮮人民も、世界の情報から完全に隔絶されていたころは、こんなものだと不幸を感じなかったかもしれない。

しかし今は、携帯など通じて、リアルに世界情勢が分かるので、圧政に苦しむ自分たちの姿を知り、不幸は更に深まっているだろう。

と言っても、彼らと路傍の雑草は全く違う。
雑草が晒されているのは自然が与えた納得できる運命だ。
対して北人民の不幸は、受け入れがたい非人道的な運命だ。

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