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2013年6月10日 (月)

米中接近を日本が恋人を取られたように語る論調が多くて恥ずかしい。韓流へ激変した新大久保へ行った。13年6月10日

今日夕刊のトップニュースも、オバマ大統領と習近平国家主席との会談。関連して、日本の存在感が薄くなったと危惧する論評が多い。そして、米国が日本を袖にして中国に急接近し、新しい女性-中国-に恋人-米国-を取られそうと、まるで三角関係を語るような論調だ。そして、米国が心変わりしそうとか、本当は米国は日本を愛しているとか、低次元で情けない。

日本の存在感が薄くなることのどこが間違っているのか、どう考えてもよく分からない。歴史的には、侵略や権益の収奪と悪いことばかりしている国が、存在感のある国とされている。良心的で真面目な国は、どの時代でも存在感は薄かった。だから、日本の存在感が薄くなったことは、むしろ誇らしいことだ。

以前書いたが・・例えば小学校の教室では、実力はあるけど乱暴で自分のことばかり主張する存在感のある子と、目立たないけど頭が良くて真面目な子と、ただ悪いだけの子と、その他大勢に分けられる。

それを世界に例えると、日本は目立たないけど頭が良くて真面目な子に近い。そのような国こそ世界を暮らしやすく平和にする。目立たないけど乱暴ではなく、役に立つ子が本当の意味での存在感のある子だ。

ちなみに、乱暴で自己中の子は中国で、ただ悪いだけの子は北朝鮮だ。それらを隣国に持つ日本は、彼らの無茶なごり押しにいつも悩まされている。

先日、オランド仏大統領が来日した時、日中関係が独仏関係のように成熟した関係に変わることを望んでいると話した。しかしそれは、独仏共に成熟した国家だからできたことだ。我が国の隣国の中韓は成熟にはほど遠く、成熟した関係はとても難しい。

韓国は最近、朴槿恵大統領が宗主国中国と朝貢外交を復活させて、中国に急接近した。傍目で見ていると、この関係は前近代的でちょっと恥ずかしい。この姿を見てから、我が国も対米追従は止め、独立国らしく振る舞う時期が来たと思い始めた。

米国は今は日本にとって頼りになるが、その関係は永遠ではない。米国は国益優先で、尖閣領有権も米中関係によって変化する。米中がどんな関係になろうと右往左往せずに、日本は独自姿勢を貫いて欲しい。

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今日の散歩では少し汗をかいた。しかし、心地よい夏だ。相変わらずカラ梅雨で、ひなたのアジサイが雨待ち顔でうなだれていた。

坂道の上で一休みすると、心地よい風が吹き抜けた。ふいに、若い頃、夏の福島の山地を一人旅した頃を思い出した。東北の夏は、陽射しは強くても、今日のように爽やかな風が吹いていた。あの美しい自然が汚されたと思うと虚しさがこみげる。

S_3S_5S_2S_1今年はホウセンカが早い。

この花弁と明礬を練って、指の爪に載せてラップで密封しておくと、1晩で美しいオレンジに染まる。

母は毎年、小指の爪を染めるのを楽しみにしていたが、母が死んだ2010年7月1日には、まだ咲いていなかった。

ヤマモモが熟し始めた。これも例年より早い。

毎日、甘酸っぱく熟した実を採って食べている。

総てが熟す頃にはカラスが見つけて、すべて食べ尽されてしまう。

桐ヶ丘都営団地の鉄柵の内側のグミ。大粒の実が沢山熟している。

コウゾの実が熟すのも今年は早い。

自然公園の桑の実も、例年より甘く熟した。

朝食の準備をしながら食器棚を見ると、長年、愛用して来た耐熱ガラスの器が割れていた。

落としたりぶつけたりはしていないので、耐用年数が過ぎて自然に割れたようだ。

このガラス器は40年前に5個セットを買った。大きさが手頃で気に入っていたが、10年くらいで総ての蓋を割ってしまった。器の方も落としたりぶつけたり次々と破損して、これで残り1個になった。

毎日使って来たので、空気みたいに存在を感じなかったが、最後の1個になってみると、使い続けた記憶が蘇る。ここへ引っ越す前の旧居の、台所の窓から見えた庭木。台所で洗い物をしている元気な母。このガラス器を使って食事をしていた祖母や父。それらが次々と想い出された。


買い置きの細紐が残り少なくなったので、先日、買い求めに新大久保のICI石井へ出かけた。細紐は登山用が丈夫で、道具作りや作品固定用に重宝する。

昔、大久保通りと明治通の交差点近くで友人が歯科医院をやっていたので、新大久保へは頻繁に遊びに行っていた。20年前、その友人は郊外へ引っ越し、新大久保は登山用具を買いに行くだけになった。

最後に新大久保のICI石井に行ったのは、母が車椅子生活になった10年前だ。車椅子用の安全ベルトを自作しようと、材料の登山用帯紐と岩登り用のカラビナを買いに行った。それからは一度も行っていない。

駅前風景は10年前と変わらなかったが、山手線のガードをくぐると、突然に知らない街が現れた。昔の細い路地は広い道に変わっていた。それから歩くに従い、けばけばしい韓流の店が隙間なく続くだけで、あったはずのICI石井がない。

場所を間違えたのではと思いながら歩いて行くと、見覚えのある八百屋があった。
「この近くに、登山用具店があったはずですが」
見覚えのある日に焼けた店主に聞くと、
「石井さんは6年前に原宿へ引っ越しましたよ。随分長く山登りしなかったのですね」
と店主は笑った。そして、引っ越し先を丁寧に教えてくれた。

八百屋の先に痔の手術で有名な社会保険病院があったはずだが、それもなくなっていた。まるで浦島太郎の気分になって、新大久保を後にした。

原宿へ向かいながら、20年前、歯科医をしていた友人が話していたことを思い出した。
「最近、韓国のお客さんが増えた。無保険の彼らからは実費は取り辛いので、半分にしてあげるのだけど、それでも高いと値切るのでいやになる」
そのようなことを彼はぼやいていた。彼が新大久保から郊外に診療所を移したのはその後だった。その頃から、歌舞伎町で働く韓国の人たちが隣町の新大久保に住み着き始め、今の韓流の街の先駆けになった。

店主に教わった原宿の店は駅前にあった。登山用の2ミリの細紐を50m買った。これだけあれば死ぬまで使えそうだ。

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