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2013年6月18日 (火)

ノウゼンカズラは真夏の力強い花なのに、私には陰翳を帯びて見える。13年6月18日

仕事に没頭していて、4日もブログを書かなかった。フリーなので、仕事に締め切りはないのだが、ダラダラしないように、あえて適当に締め切りを作っている。休日も同じで、何か理由を作って休まないと、ダラダラと仕事を続けてしまう。

しかし、散歩はどんなに忙しくても毎日続けている。散歩は私の人生そのもので、それができなくなったら人生は終わりだと思っている。

今日は久しぶりに桐ヶ丘団地を抜けて、生協へ買い物へ出かけた。今は あちこちでノウゼンカズラが濃オレンジ色の花を咲かせていた。南国的な花だが、平安時代に中国から渡来して千年以上の歴史があり、すでに日本の花と言っても良いかもしれない。

夏の青空に鮮やかに咲くその花は、私には陰翳を帯びて見える。それは、14年前の真夏、住まいの下の公園のノウゼンカズラの下で、ホームレスが焼身自殺したからかもしれない。

その日の暑い午後、けたたましいサイレンに驚いてベランダに出ると、公園の楠の向こうからもうもうと黒煙が上がっていた。火はすぐに消火されて煙りは消えた。不用意なたき火を消防所に通報されたのだろうと思い、それ以上は気に留めず仕事部屋へ戻った。

その時、傍らに母はいなかった。好奇心の強い母が在宅だったら、必ず私と一緒にベランダに出たはずだ。母は胆石手術の後遺症の腹壁瘢痕ヘルニアの手術で入院していたのだと思う。

翌日、焼身自殺を知り、その跡に行くと、焼け焦げたベンチが残されていた。そのベンチは間もなく取り外され、今もコンクリート面に脚の固定跡が残っている。

そのベンチを住まいにしていたホームレスは几帳面な人で、毎日、水飲み場で洗濯し、公園を綺麗に掃除していた。そして、何もすることがない時間はベンチに腰掛け、ぼんやり何かを待っていた。

彼がいくら待っていても、財産相続とか、仕事の採用の知らせとか、良いことが向こうからやって来るはずはなかった。ただ、彼は一日が過ぎるのを待つだけで、日々老いて行く自分をぼんやりと感じていたのだろう。そして、現状を変えようとして選んだ行動が、不幸にも自死であったのかもしれない。そう思うと、彼の死が少し哀しかった。

もう一つのノウゼンカズラの思い出は母が死んだ7月1日だ。私は母がその日に死ぬとは思っていなかった。酸素吸入用の濃縮機に使う蒸留水の予備を、秋まで使えるように駅前の薬局で買い足した。重い買い物袋を下げて、師団坂を上っていると、傍らの星美学園の塀にノウゼンカズラが鮮やかに咲いていた。

その時の荷の重さと、その数時間後の母の死とノウゼンカズラの濃オレンジの花が、今日も重って想い出された。

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40年前、写真の赤羽台下の写真の建物は駄菓子屋だった。幼い姪たちは遊びに来ると、必ずその駄菓子屋で買い物していた。郊外に住んでいた姪たちには、その頃は都内の何処にでもあった駄菓子屋が珍しく、とても楽しそうだった。

その頃は、日暮里駅前に駄菓子屋の問屋街があった。そこで様々なくじを買って来て姪たちに遊ばせた。私が好きだったのは、碁盤の目に区切られた箱に張られたボール紙の蓋を破き、中の景品の玩具を当てるくじだ。他に景品の当たる三角くじのセットや、ガムのボールが出て来るくじ。束ねた紐を引くと、三角の飴が付いて来るくじもあった。想い出すとどれも懐かしい。

S_1S_2S_5S_6S_7昼顔が散歩コースの道ばたに咲いていた。

散歩コースにはプラムも多い。

どれもとても酸っぱくて、果実酒やジャムなどに加工しないと食べられない。

ビワは豊作で甘く熟している。

カラスたちは何処にでも豊富にあるビワを食べるのに夢中で、ヤマモモまで気が回らないようだ。

おかげてヤマモモの被害はなく、私は毎日ヤマモモを食べることができる。

写真は薄い塩水に漬けたヤマモモ。

郷里の南九州では、このようにして食べるのが一般的だ。

ネジ花が至る所咲いていた。

この花は何もなかった芝生に突然に出現して驚かされる。

帰宅してから、テレビ東京で1995年クリント・イーストウッドの「マディソン郡の橋」を見た。

公開から18年過ぎて、見たのは三度目だが、見る都度、印象が違う。

メリル・ストリープは二人の10代の子を持つ、アイオワの農家の堅実な主婦フランチェスカを好演していた。

彼女はその11年後には「プラダを着た悪魔」でファッション誌の実に嫌みな編集長を、まったく衰えなく演じていた。本当に素晴らしい女優さんだ。

映画のフランチェスカは・・・家族が農業祭に出かけて留守の4日間に、橋の写真を撮りに来たカメラマンと激しい恋に陥った。

家族を捨ててクリント・イーストウッド演じるカメラマンについて行こうか、悩み揺れ動く心が、年とともにより鮮明に理解できた。

たとえ成就しなくても激しい恋があった人生は素晴らしい。安穏無事のために、逃げてばかりの人生はつまらない。そんなことを映画は語っていたようだ。

見終えた後、ストリートビューで「マディソン郡の橋」のモデルを捜したが、どうしても見つからなかった。

屋根付き橋はこの地方に多いが、どれも幹線道路から離れた辺鄙な場所にあり、そこまではGoogleも手が回らなかったようだ。

映画に出て来る、アイオワの典型的な農村のトウモロコシ畑に白い砂利道の風景は、田舎育ちの私には懐かしい。

田園の中で堅実に静かに一生を終える家族と、夢を追いかけて終える少し寂しい人生。映画を見終えて、情熱や愛があれば、どちらも美しい人生だと思った。録画してあるので、暇な時にゆっくり見直そうと思っている。

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