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2013年6月26日 (水)

雨の中、幸せとは何かを考えながら散歩した。13年6月26日

朝から雨。雨の日はいつも眠くて、お昼近くまで10時間近く眠ってしまった。

お昼過ぎに散歩へ出ると、環八を車が水煙を上げて疾走していた。公園の土の道はぬかるみ、靴が泥で汚れた。泥を洗い落とそうと水たまりをヒタヒタと歩くと、縫い目から水がしみ込んで靴下が濡れた。

子供の頃、雨の日にわざと水たまりを選んで歩いたことを、ふいに想い出した。ゴム長を押しつぶすような冷たい水の感触が、とても幸せな感覚と共に蘇った。

雨の日の東京はいつもより都会的に見える。これは子供の頃の記憶によるものだ。南九州の小さな漁師町で暮らしている頃、母は年に数回、バスで3時間程かけて宮崎市へ連れて行ってくれた。その時はいつも雨で、それ以来、雨は都会の原風景として結びついてしまった。

雨に滲んだ風景は好きだ。信号機の赤や緑。揺れながら過ぎて行く雨傘や子供たちのカッパ。どれも心に染み入るように美しい。下の絵はそのような、昭和20年代の宮崎や福岡の都会風景の記憶を元に描いた。

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先日、上野歯科へ三ヶ月毎の定期メンテナンスに行った。真面目に歯科医院に通い、手入れを怠らないので、今のところ虫歯も歯肉炎もなく快適に食事ができる。

歯科衛生士に歯のクリーニングをしてもらっていると、心地よくて眠ってしまった。時折、目を覚ますと、診察台前のディスプレーで幸せ感についての番組をやっていた。日本での幸せ感は富山県民が一番だと、司会者が話していたのが夢うつつに耳に残っている。

健康、生活の安定、家族、生活環境。どの数値も富山県は高く、それに幸せ感が連動しているのだろう。しかし、幸せ感は主観的なもので、健康で豊かで平和でも不幸だと思う人はいるし、その逆に、不健康で貧しくても、幸せ感が充実している人もいる。もっとも、それらは少数派だが・・・

その中で健康が一番大切なことは誰もが実感している。しかし、永遠に健康な人はいない。いずれ健康を失い死に至る。だから誰もが、諦めて現実を受け入れる時期を少しでも遅らせようと願う。

上野歯科の帰り道、公園のベンチで家から持参した新聞を読んだ。相変わらず、読みたくなる記事は少ない。広告もワクワクするような楽しいものが激減した。一番多い広告は健康関連。その次にアンチエイジングの美容と墓地の広告が続く。それは少子高齢化が反映しているのだろう。電化製品、車、土地建物関連が殆どを占めていた高度成長期がちょっと懐かしくなった。

出版不況で雑誌の広告は激減した。週刊誌の広告は見出しだけで内容が分かるので、買うことはない。もし、興味があればネット検索した方が、多様で深い情報が得られる。

注目したニュースは、米国が金融緩和縮小に転ずるとの観測から、投資家たちが新興国から緩和マネーを一斉に引き上げていることだ。その結果、新興国通貨が売られて下落し、物価高に見舞われ、ブラジル・トルコ・中国に社会不安が広がっている。

ブラジル・トルコでは連日、暴動が起きている。世界経済にダメージを与えそうなのは中国だ。春までは投機資金の過剰流入でバブルが心配されていたのに、今は一転して資金不足だ。すでに経営破綻が噂されている銀行も出ている。統制経済なので、国家が強引に銀行破綻を防ぐだろうが、経済成長には水を差しそうだ。

日本は尖閣紛争以来、東南アジアに軸足を移し始めて来たのが良かったかもしれない。新興国の中でも東南アジアは比較的にダメージは少なく、その地域からの観光客も着実に増えている。

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公園の斜面に咲く色鮮やかなガクアジサイ。
本当に鮮やかなのか、私の気持ちがそうさせているのか分からないが、今年のアジサイは殊更鮮やかに見える。

S1S2S3散歩道のヤマブドウ。
赤羽に引っ越した頃から、この一帯に繁茂していた。

秋になり、初霜が下りると甘みを増す。

赤羽自然観察公園のトケイソウ。

見れば見るほど不思議な形だ。
背景の緑は分けつし始めた田んぼ。

緑道公園のナツメの花。
秋には赤茶色に甘く熟す。


先日、原因不明のひどい目眩で倒れた友人から池袋に誘われた。
ようやく、電車に乗って遠出できるようになるまで回復してくれて安堵した。

彼は会社経営で成功した勝ち組だ。
半世紀以上のつきあいで、私が絵描きに転進してからは、生活に窮すると絵を買って助けてくれた。

成功者らしく夜昼なく猛烈に働き続けて、そのひずみが重い目眩になって現れた。

会社は子供に任せ、長く仕事を休んだおかげで顔色は良く元気になっていた。

ただ、仕事を離れている間に、色々と想うことがあったようだ。

日頃口にしなかった、喪失感や、生き甲斐について話すのが大きな変化に感じた。

何のために働き生きているのか、それらへの思いが彼の元気な表情に時折、影になってよぎるのを感じた。

いつものように、話題は日本経済の先行きだった。

インターネットなどによるグローバル化によって、各国の労働者賃金は世界の底辺水準に均質化される、と言った内容だ。

ホワイトカラーは海外との競争に晒されない階層だったが、すでに日本の大企業の事務の一部は漢字圏の上海などの下請け企業に任され、米国での事務職は英語圏のインドなどに移転している。

機械部品調達でも、デザインでも、商品企画でも、世界相手にネットで公募され、一番優秀で安い企業に発注されるのが常識になりつつある。

グローバル化により安くて良いものが一番の時代が、労働者に取って幸せかどうかはなはだ疑問だ。結局は安売り競争に陥って、覇権を取った企業が利益を独占し、極端な格差社会が生まれるだけに思える。そうなれば社会不安は増して、保護貿易へ逆行するのでは、と言った話しになった。

夜10時前に彼と別れた。
古い友人たちはまだ健在だが、殆どは孫相手の生活に満足するようになって、付き合いが悪くなった。その意味で彼は貴重な友人だ。老いは様々な意味で、寂しくなって行くことのようだ。

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