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2013年6月 4日 (火)

友人宅に快気祝い。病状は安全システムが発した警告で、素直に休むべきだ。13年6月4日

今日も爽やかな晴れだった。湿気が少なく、まるで北海道の6月のようで青空が美しい。赤羽は起伏に富んでいて、見上げる風景がとてもいい。

手前左はハゼの木で、秋には真っ先に紅葉する。その乳白色の樹液に触れると漆と同じようにかぶれる。弱い人は、この木の下を歩いただけでかぶれる。だから、植木屋も剪定を嫌がる。
ハゼの実からは木蝋が取れ、和蠟燭の原料になる。

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プラタナスの冬を越したピンポン球のような実が、このところの好天で弾け、綿毛を纏った種が舞っていた。緑道公園のパンジーのプランター回りの石畳は綿毛で薄く覆われていた。

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昨夜は友人の快気祝いへ出かけた。私を含め同年配の友人たちはどこかしら問題を抱えている。お互い様なので、少々のことでは見舞いに出かけることはない。しかし、原因不明のひどい目眩から1ヶ月ぶりに回復してくれて、心底嬉しくなって訪ねた。

痛い苦しいなどの症状は体の安全システムで、重大な病の前触れだ。友人は今の会社を設立してから、殆ど休まず、夜昼なく働き詰めだった。だから、取り返しがつかなくなる前に休むように、体が警告を出してくれたのだろう。

友人宅の玄関を開くと、いつも疲れた顔をしていた友人が、明るく元気に迎えてくれた。
テーブルにつくと、
「今回は、いよいよ引退勧告かと思ったわ」
奥さんがビールを用意しながら嬉しそうに話した。
彼ら夫婦の出会いのきっかけを作ったのは私で、それからあっという間に50年が過ぎた。美大出のお嬢さんを交えて、4人でしみじみと若い頃の思い出や、普段話さない芸術論や、絵描き生活の失敗話などを心置きなく話した。

楽しくて、あっという間に11時近くになった。快気祝いに来たのに、土産にと、千葉の地鶏・もち豚の冷凍・瓜など沢山貰った。それから、奥さんが急行停車駅の志木駅まで車で送ってくれた。

母と死別してから急いで帰る必要はなくなった。埼京線の最終電車には余裕があったので、すぐに入って来た各駅停車の池袋行きに乗った。

日曜の上り電車は空いていた。車窓を過ぎる夜の街を眺めながら、iPotでモリコーネを聴いた。独りで聞くモリコーネは都会風景にとても似合っていると思った。

成増駅を過ぎる時、駅舎の間から暗い駅前広場が見えた。その広場を右斜めに行くと大通りへ出て、30分程歩いた自衛隊基地近くに死んだ姉が住んでいた。商売が好きな姉は、母と二人で総菜屋をしていた。その頃の母は今の私よりずっと若く元気一杯だったが、赤羽で私と祖母の介護を始めるためにすぐに店はやめた。

それから40年が過ぎた。その頃、姪たちは幼くて可愛かった。姉の家へ至る道々の光景を走馬灯のように想い出す。SLの置かれた公園に古い団地。その頃は自然豊かで、至る所に武蔵野の面影が残っていた。

池袋へはすぐに着いた。
埼京線へ向かう連絡通路で、持っていたカバンと土産の手提げを持ち替えようとした時、乗り換えの中年男性が走って来て、カバンに強くぶつかった。カバンは玉突きに、丁度、広げていた右手親指に当たり、突き指してしまった。男性はぶつかったのはカバンだけと思ったようで、ちょっと謝って、慌てて乗り換えホームへ駆けて行った。

ひどく痛く、親指の付け根が腫れ上がっていた。腱が少し伸びて内出血したのだろう。指は動くので大したことはなかった。

帰宅するとすぐに、母が遺した鎮痛抗炎症剤のフェルビナクをたっぷり塗った。古いフェルビナクは医師に捨てるように言われていた。しかし、冷蔵庫にしまっておいたので効き目は残り、塗るとすぐに痛みは収まった。

この数年、休みなく絵を描い来た。この怪我も友人が倒れたのと同じように、少し休めとの警告だったのだろう。遅い夜食を摂ってから、仕事はせずに録画した映画を見た。見終えた頃には痛みは軽くなり、筆は問題なく持てて安堵した。

S_1S_2S_4上写真。公園のアジサイ。この根元にも母の遺灰を撒いた。花の色を良くする主成分のリン酸カルシュウムのおかげか、心なしか鮮やかに見えた。

中写真。緑道公園のビワの実。

下写真。緑道公園の山栗の花。

朝には腫れも取れ、痛みも殆どない。筆は持てるが、今日も仕事を休んで、プレゼン用の資料作りをした。資料は量が多く、1日がかりになった。

夕方のニュースで、神奈川県の駅で乗り換えを急ぎ、階段を駆け下りた60代男性が転んだ事故の顛末を伝えていた。

男性は階段を5,6段転げ落ちて、前を下りていた70代の女性に激突したが、女性がクッションになって無傷で助かった。

しかし、ぶつけられた女性は死亡し、男性は重過失致死罪で書類送検された。男性は僅かな時間の短縮のために、人生を狂わせてしまった。
慌てて駆けることが多い終電時間帯は気をつけなければ、と自戒した。


先日の英科学誌ネイチャーの記事で金について面白い記述があった。それによると、40億年前に地球に隕石が衝突して、その時に地球に金が生まれたらしい。

隕石が大量の金を含んでいたのか、それともぶつかった圧力で核融合が起き、金が生まれたのか、その辺りは分からなかったが・・・この時の大衝突で飛び出した地球の一部が月になった。

この衝突では数十億トンの金とプラチナが生まれ、それらは溶けて地表を4mの厚さに覆ったと言う。もし、衝突がなかったら、その後の絢爛たる金文化は生まれなかった訳だ。

その大量の金とプラチナはマントルにとけ込み、中心核へ沈んで行き地表では希少金属になってしまった。

その後、サイエンス チャンネルの「地球の中心・コア・への旅」を見た。

その動画によると、マントルの主成分はカンラン石の緑色の結晶で、それにざくろ石やダイヤモンドが散りばめられた、宝石箱のように美しい世界だった。

マントルを更にもぐると液状に溶けた鉄の外核に達し、更に行くと中心の内核は鉄主成分の個体だった。核には沈み込んだ大量の金を含んでいるが、掘り出すことは不可能だ。

その核からマントルへ僅かに溶け出した金が、熱水によって、更にごく微量が地表に運ばれ、析出し金鉱山を形成した。すぐ傍に貴金属や宝石が大量にあるのに、利用できないから希少価値を生んでいる。

宇宙にはダイヤモンドで出来た星や、金を大量に含む星がある。もし、それらが自在に手に入ったら大暴落する。しかし、金もダイヤもとても優れた素材だ。安くなれば、錆びない自動車の金製ボディとか、放熱性に優れたダイヤ製IC基盤とかが登場しそうだ。

でも、今のまま貴重品である方がドラマチックで楽しい。金や宝石が登場しない冒険ドラマはつまらない。

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