Eテレ・100分de名著「老子」は経済成長への警鐘を2千年以上昔に説いていた。13年6月7日
中国の毛沢東は「反面教師」の言葉を作った。今、皮肉にも、高度成長を続ける中国は「反面教師」として、浮き立って見える。12年後に世界一のGDP大国に変身するほどに中国は豊かになったが、国民が幸せになったとは思えない。国民の大多数は満足な医療は受けられず、老後の保障もない。今、中国で起きていることは弱肉強食のモラル無き生き残り競争だ。
それでも中間所得層は増えつつあるが、いずれ頭打ちになり、少数の富裕層が富みを寡占する厳しい格差社会が待ち受けている。それは日本も欧米も、他のブリックス諸国も似たようなものだ。
そのような経済成長のひずみを批判するフランスの経済哲学者セルジュ・ラトゥーシュ氏によると、アジア・アフリカに深刻な飢餓や貧困が起きたのは、経済成長期の後だった。世界各地の飢餓の原因は、異常気象によってではなく、偏った商品作物の生産を始めてから起きている。
それ以前のアジア・アフリカの村落共同体では地産地消の助け合いで、貧しいながら自立して暮らして来た。それが、欧米による植民地化で、単一商品作物のプランテーションが生まれ、大量の離農者を生みだした。離農者の一部は農園の低賃金の労働者として雇われたが、大半は仕事を求めて都市へ流入し、スラムを形成した。
世界各地の離農者の原因はプランテーションだけではない。アメリカなどからの安い穀物の輸入も大きな原因だ。3年前、ハイチで大地震が起きて20万を越える死者が出たが、その多くは失業してスラムに流入した元農民だった。
かって、ハイチは自給自足できる農業国家だった。しかし、安価な米国産穀物の流入によって、自作農の大半は農業が成り立たなくなり離農した。もし、かっての農業国のままだったら、死者数は10分の1以下だったと推計されている。
破綻の図式は農業だけではなく、工業でも起きている。かって、米国はテレビ・ラジオの先進生産国だったが、日本の興隆により撤退した。そして、歴史が繰り返すように日本はその分野で中国・韓国に敗退した。
あらゆる工業製品で少数企業や国家による寡占が起きて、世界各国に失業を生んでいる。科学技術と資産の蓄積のある日本は生き残る道が残っているが、多くの国は厳しい。
中国は、アフリカの最大の経済援助国だ。中国はその経済援助資金を自国産業の進出に利用して建設労働者まで輸出している。進出した中国人は援助の工事が終了しても現地に残って新華僑になり、自国産品を流入させて地場産業を衰退させている。
かってのアフリカには靴・ゴム草履・調理具・染色・縫製などの零細な工房が村落ごとにあり、製品は地産地消されていた。しかし、その殆どの生産者は安い中国産品に駆逐され、失業した生産者たちは都市スラムへ流入した。
私は高度成長の恩恵を受けて来た世代だ。昭和30年代東京を背景にした映画「三丁目の夕日」では、当時の心地よい人間関係とか前向きの明るい姿勢を描いていた。しかし同時に、当時の日本には息が詰まりそうな貧しさがあった。だから、昔の村落共同体へ戻って欲しいとは思っていない。
物を限りなく安く生産し、誰でもが好きなだけ手に入れられる社会を目指して来たことは間違っていない。しかし、国民の幸せは置き去りにされている。大量生産で覇権を取った企業は利益を独占するが、その国民の多くは利益配分を得られない。今のままでは、溢れる物を消費する健全な中間所得層のない、低所得層だけが占める未来社会が待ち受けることになる。
その対策として、
「移民を受け入れても、人口を増やせ」
政治家や経済学者は声高に訴え、人口増による大量消費社会を期待している。しかし、それは利益配分の少なさを経済規模を拡大することで解消する「おこぼれ経済」で根本的な解決方法ではない。その手法では、やがて資源は食べ尽され、中国のように弱肉強食の共食いが始まるる。
右肩上がり経済成長はすでに破綻し始めている。これからの経済は、今までの努力で得られた高度成長の果実を温存しながら、国民主権の新しい経済システムへ軟着陸を図るべきだ。理想は個性的で小さな工房が農漁村に分散する、地産地消の社会だ。
脱経済成長を提唱していたのは、経済哲学者セジュール・ラトゥーシュ氏だけではない。
2千年以上昔に、老子は同じことを言っていた。老子は限りなく領土を拡大しようとしていた君主に、欲望を満足させようとする愚かさを「小国寡民」で説いた。
・・・小さな国で、民は自分たちの食べ物を美味いと思い、自分たちの衣服を美しいと思い、自分たちの住まいを安らかだと思って、皆がそのような暮らしを心から満足している・・・それが理想国家だ。
この言葉は、今、深く心に響く。
留まることなく成長し続けることを基本にした今の経済システムでは、富みは世界の大半の国を潤すことなく、頭上を飛び交うだけだ。
右肩上がりの経済成長システムは、泳ぐのを止めると窒息するサメに似ている。止まることなく成長し続けた恐竜にも似ている。サメはいつかは泳ぐのを止めて死に、巨大化し続けた恐竜は、増えすぎた体重を自分の足で支えられなくなって倒れる。
現在のシステムでは、企業の拡大成長が止まれば生存競争に負ける。そうなればも企業は競争力維持のために利益率を下げる。結果、低所得層・中間所得層への利益配分は消え、彼らの購買力が落ちて企業経営は更に悪化する。この悪循環を解消するには、税制で利益の再配分を変えるか、保護貿易をするか、他を寄せ付けないほどに突出した技術の開発しかない。
新河岸川上流を眺める。
今日の雨予報は外れ、日が射していた。
老子全81章の中に一つだけ人間的な老子を表している章がある。Eテレ・100分de名著「老子」ではその章を以下のように要約していた。
・・・学ぶことを止めれば悩みもなくなるのだろう。そもそも、善と悪とで、どれほどの違いがあるのか。他人が恐れるからと言って自分も恐れるとは、何と道の真理から遠いことだろう。
春になると、人々は喜んで宴席のごちそうを囲む。ただ私だけが寂しげで、心の内を見せることがない。一人孤独でどこにも帰属せず漂っている。誰にでも財産があるのに、私だけが貧しい。
人々は生き生きしているのに、私だけが一人、暗く悶々としている。まるでその心は、波のように絶え間なく揺れているかのようだ。ただ、私には尊い支えがある。それは母なる道に見守られていると言うことだ・・・
老子は優秀な思想家だ。この彼自身の人間的な弱さを吐露した章は、彼の思想を集大成させるために、記したものだ。彼の本意は「どのような弱い人でも、きちんと生きて行ける」と言いたかったのだろう。
もう一つの老子の好きな言葉。
「わざわいは福のよるところ。福はわざわいの伏すところ。誰かその極みを知らん」
大意は、災いには幸せが寄り添っていて、幸せには災いが寄り添っている、と言った意味。
だが、老子が言いたかったのは「常に災いに気をつけよ」ではない。
「幸不幸が交わりながら過ぎて行くのが人生で、何が起きても気にせず自分の道を歩いて行きなさい」と言っている。
もう一つの名言「学を断たば憂い無し」この言葉も深い。
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