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2013年7月21日 (日)

お盆に熱中症で急死した知人の弔問に出かけ、その足で上尾での会合へ・13年7月21日

土曜日の午後、上尾での会合へ出かけた。
その途中、桜並木の何でも屋に寄った。何でも屋は私より少し年下の兄と60歳前半の弟と、二人で経営している。80代の母親も健在で、時折レジに立つことがある。私と死んだ母は兄弟と母親と親しく、店の前を通る都度、言葉を交わしていた。「何でも屋」とは私が勝手に付けた名で正式名称ではない。酒から生鮮野菜まで何でも扱っていて、店の少ないその辺りでは重宝されていた。昔は店先で焼き鳥を焼き、おでんを作って、立ち飲みの肴に供し、近隣の年寄りたちで、いつも繁盛していた。

寡黙で頑強な体躯の弟は、店2階の住まいで母親と暮らしていた。話し好きで長身の兄の影で、彼はいつも黙々と働いていた。

兄は近くの小学校の元PTA会長で、妻は小学校校長をしていた。店の近くの一軒家に住み、働く必要のない裕福な人だ。その兄は、6年ほど前に体を壊し、焼き鳥とおでんは止めた。その頃から客層も高齢化して営業は厳しくなっていたが、弟と母親のために店を続けていたようだ。

その弟が、先日のお盆に熱中症で急死した。その朝、起きてこない弟を心配して、寝室に行くと既に亡くなっていた。店は豊かな樹林に囲まれた風通しの良い場所にある。しかし、余程の体調不良があったのかもしれない。弟とは滅多に会話したことはなかったが、亡くなってみると、いつも裏方で働いていた姿が想い浮かび、喪失感を覚えた。

お悔やみを言うと、
「しばらくは弟の代わり、店の2階で母と同居します。
この店はいずれ閉めて、老いて行く母の世話に専念しようと考えています」
兄はこれからのことを淡々と話した。体調が万全ではない兄が、一人で店を維持するのは難しい。もし、店が消えたら、桜並木の光景がまた一つ寂しくなる。

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新河岸川を浮間橋から撮った。この上流に川越がある。

弔問の後、赤羽駅から高崎線で上尾へ向かい22分で到着した。上尾・大宮・浦和の一帯は広大な関東平野の中核にある。上尾は知人が住んでいて、何度か訪ねたことがある。上尾駅を出ると、モータリゼーションを背景に生まれた住宅地が、起伏がない土地にどこまでも広がっている。その殺風景なだだっ広い道を、20分ほど歩いて会合のある民家を訪ねた。

だが、上尾の印象を想い出せない。鉄道の大宮・学園都市の浦和・江戸の面影を残した川越・それらの街と比べると、上尾は個性がなく捉えどころがない。ただ、所々に昔ながらの神社などの緑地が残っていて、微かに昔日の武蔵野の面影を感じるだけだ。

その日の午後は、最高気温は28度に達せず、歩いていてもまったく汗をかかなかった。会合は福祉関係のボランティアについてで、それに絵描きとして協力するために出席した。私は黙って、10人ほどの関係者の話し合いを聞いていた。その印象では、私の出番は少ないように感じた。夕暮れの帰り道、二度と訪ねることはない気がした。

時間が早かったので大宮に寄り道しようと思ったが、止めて埼京線に乗った。黄昏から夜色に変わる車窓の風景を音楽を聴きながらぼんやり眺めていた。ふいに40年近く前の姪たちが小さかった頃の情景が蘇った。幼い姪たち三姉妹は毎週、土曜の午後、赤羽の私の家に泊まりに来ていた。

「おばあちゃん、着いたよ」
駅からの道を緊張して歩いて来た姪たちは、いつも大騒ぎで家に飛び込んで来た。その安堵した楽しそうな三人の笑顔を、昨日のことのように想い出す。

「おねえちゃんが意地悪した」
「それは、かーこが悪いんでしょ」
「二人とも止めなさい」
などと、下の二人の喧嘩を長女が仲裁したりしている傍で、茶々を入れている母の明るい声が、仕事部屋まで聞こえた。今の私より若かった母と姪たちとの楽しそうな会話を聞きながら、私はいつも気持ちが温かくなっていた。

年月は瞬時に過ぎてしまうが思い出は色あせず、蘇る都度に心が明るくなる。そんなことを想い出したのは、何でも屋の不慮の死で気持ちが沈んでいたからかもしれない。

暗くなった北赤羽駅で下車した。赤羽は何時戻ってもほっとする。それは起伏がある坂の街だからだ。

S_2S_3S_4S_5散歩道のネコ。
こののんびり感は羨ましい。

散歩道の百日紅の並木。
白と紅色は最近多く見かけるようになった。

ピンクが代表的な百日紅だ。


人生で、まだ十分に戦った感触がない。このまま人生に一矢も報いられずに終わったら悔いが残る。

だから、遺書を残すように絵を描いている。
仮に、来月で一生が終わったとしても、悔いが残らないようにしたい。

精神科の研究者によると、心身の健康を保つ秘訣は充実感や幸せ感を持つことにある。
その一番の近道は幸せな家庭を持つことだが、万人にそれができる訳ではない。
せめて気の持ちようで、その気持ちを保ちたいが、これはとても難しい。

今日は選挙。日中の熱い盛りに出かけたが、前回の都議会選より人出は多く感じた。

日本は資本主義国家と誤解されているが、成功した社会主義国家の一つだ。一方、本家本元の中国・ソ連は社会主義を標榜しながら大失敗している。ことに現代中国は、どの国よりも資本主義の悪弊に染まっている。

資本主義は経済の自由放任にある。それを押し進めれば必ず暴走する。その暴走の過程で経済は一時的に活性化して国は豊かになるが、暴走する前に制御しないと極端な格差社会に陥り、マルクスの言っていたような貧しさに国民は疲弊することになる。

今、アベノミクスは資本主義の劇薬を利用して規制緩和し、経済の活性化を狙っている。しかし、この荒馬の手綱の締め方はとても難しい。

今米国の金利が上昇して、新興国へ投資した金が還流し、通貨安によるインフレと不況によって、新興国の勢いが削がれている。今までの歴史では、米国の金利上昇の後に日本の金利が上昇し、世界同時不況が始まる。これは不気味な経済予測だが、選挙で勝利した安倍政権はそれをどのように乗り切るつもりなのだろうか。これからの経済施策はとても難しい。

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