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2013年7月31日 (水)

良質な老いによる喪失感には合理性があり、仕方がないと諦められる。13年7月31日

緑道公園のベンチで休んだ。目の前のレンギョウの若葉を揺らして、涼風が吹き抜けた。休んでいる間は、体の何処も痛くはなく疲労感もない。この一瞬だけは間違いなく幸せだ。涼風を感じながら、ふいに、ナヴァホ族の言葉が思い浮かんだ。

 風が人に命を吹き込んでくれた。
 人は風に生かされ、風が止むと命も終わる。
 
 人は自然に属している。
 竜巻も雷も、どのように荒々しい自然でも、
 恐れず親しく話しかけてみれば、優しく応えてくれる。
 そして、人を守ってくれる。


最近、朝日新聞を止めた。毎月、4000円近い負担を大きいと感じ始めたことと、新聞にそれだけの価値を見いだせなくなったからだ。

パソコンを始めるまでは、毎日、朝刊と夕刊を2時間以上かけて読んでいた。今のニュース源はインターネットに代わり、新聞を読むのは、せいぜい1日30分ほどに減った。今の新聞にじっくり読みたい記事は少ない。更に、古新聞が猛烈な勢いで積上って行くことがストレスになっていた。

インターネットでも費用はかかる。プロバイダーとの各種契約にNTTの光回線を加えると毎月1万を越え、更に新聞代が加わるのはきつかった。それでも以前は新聞の番組表が役立っていた。しかし、デジタル・テレビに変わった今は、番組表も解説も簡単に表示できるので不要だ。

新聞がない生活は始めての経験だ。子供の頃から、我が家は朝日新聞を取っていた。5月の節句の鉄兜も、奴だこに下げる長い足も、チャンバラに使う紙筒も、母の手芸の紙塑人形も朝日新聞を材料にしていた。

上京してからも朝日を取り続けた。今の住まいに引っ越してからは、朝夕の新聞配達の若者の「新聞です」の挨拶に、「お世話さま」と応えるのは楽しいやり取りだった。だから、40年の付き合いがあった取り次ぎ店へ断りの電話をした時、老店主の寂しそうな声を聞くのは辛かった。

子供の頃、友人宅は朝日の家族経営の取り次ぎ店だった。店が一番華やかだったのは朝日新聞の社機が郷里を訪問飛行した時だ。友人一家は総出で旭日旗に似た朝日の小旗を作って子供たちに配った。

その日は町中の人が砂浜に出かけて、低空で旋回する朝日新聞社機に歓声を上げて小旗を振った。今も、青い防風ガラス内の操縦士の姿が目に浮かぶ。

しかし、漁師町で朝日をとる家庭は稀で、すぐに経営は行き詰まり、友人の父親は魚の行商に職を変えた。それは過酷な転職で、自転車の荷台に重く大きなブリキの箱を積んで、奥地の農家を売り歩いた。儲けは少なく生活は厳しかったようだ。ある日、私たちの前で、彼の父親は過労でバタンと畳に倒れ、行商はできなくなった。

新聞が来なくなった朝、新聞にまつわる思い出が次々と蘇った。それには軽い喪失感を覚えたが、新聞が役立ったのは母の介護をしている頃までだった。今はゴミ袋の底に敷くか、汚れ仕事の時に床に敷くくらいで、新聞を止めたことに合理性があり、喪失感はすぐに消えた。

合理性のない喪失感は辛い。しかし、老いや不治の病で死ぬ喪失感にはネガティブではあるが合理性があり、殆どの人は仕方がないと諦める。良く老いることは、喪失感に合理性を感じて納得することかもしれない。

馴染んでいた建物が建て変わったり、見慣れた老木が枯死したり、友人が遠くへ引っ越して行ったり、日常生活で喪失感を感じることは多い。それらが仕方がないと受け入れられるのは、ネガティブななりに合理性を見いだせるからだ。

人は自分が死ぬと感じた時、誰でも涙を流す。それは家族の行く末を思ってだけではなく、家族との楽しい思い出などと決別する喪失の涙だ。死んだ知人も、友人も、父も、死ぬ少し前に一瞬だけ涙を流した。母も死の二日前に三筋ほど涙を流した。総てに共通するのは、それを最後の涙として二度と流さず、穏やかに旅立って行ったことだ。

母が元気な頃に、黒部、志賀高原、裏磐梯、奥秩父、八ヶ岳と各地へ連れて行ったことを、母は終末期に楽しそうに話していた。涙はそのような楽しい人生との決別の涙だったと、今は確信している。

親しかった、死んで行く人たちの最期の喪失感には合理性があった。だから、生に決別して、穏やかに逝くことができたのだろう。

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陽射しが戻ったが、風があり、さほど暑くはなかった。

散歩道の至る所に葛が猛烈な勢いで繁殖している。大きくなった葛を除去するのは難しいので、小さな芽の内に見つけては抜いている。

しかし、深い根に栄養を蓄えているので、三日もすると、すぐに新しい芽を出して葉を広げるので繰り返し抜く。上写真の辺りは、完全に根絶させることができて、美しい草原を保っている。

米国では牧草用に導入した葛が大繁殖し、生態系が壊れた自然が多くある。

S_1S_2クサギの花は終わり始めた。

名前は茎を折ると臭いのが語源。
若い葉は食用になるが、試したことはない。

その名に似ず、花の香りは甘くてとても良い。
今の萎れかけた花でも、芳香を漂わせていた。

緑道公園の黒い花。
正確には、濃い赤紫。

自然界では黒は繁殖に不利で、黒い花は総て人工で作られたものだ。


今は午前1時。暑くはない。ベランダに出ると更に涼しく、25度近くまで気温は下がっていた。
環八のシグナルが、遠くまで青が並び、外灯の白い光との対比がとても美しい。
「綺麗だ」
思わず声に出してしまった。
しばらく眺めていると、青は次々と赤に変わり、その変化も美しかった。
この一瞬を感動できることが、生きている素晴らしさなのかもしれない。


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