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2013年8月31日 (土)

新興のジェネリック家電が、世界の巨大家電ブランドを無意味にする。13年8月31日

木曜夜テレビ東京WBSでジェネリック家電を取り上げていた。それはやがて世界の巨大家電ブランドを無意味にする群雄割拠の新時代を予感させた。

語源のジェネリック医薬品とは、特許切れの医薬品を安いコストで作った廉価医薬品のことだ。インドが世界最大の生産国で最近は日本へも多く輸出している。ジェネリック医薬品は先進国の製薬メーカーの開発意欲を削ぐ弊害があるが、この流れは止まりそうにない。

ジェネリック家電はその家電版で、型落ちの家電部品を安く集めて組み立て、シンプルな性能で安く売る新しい業態だ。例えば扇風機は1680円、電子レンジは1万円以下と格安で、ホームベーカリー、テレビなども大手メーカーの半額以下で売られている。それらに使われている型落ちの安い部品は、数年前なら最新式部品で、機能的に全く問題はない。昔の安かろう悪かろうのメーカーとは別の業態と捉えるべきだ。

今まで難問だった保障修理は大手運送業者が担当し、どんな僻地からでも素早く集荷される。集荷センターには修理センターが隣接していて、修理を終えた製品はすぐに返送される。この業態の台頭は既存の巨大家電メーカーの存在を危うくしそうだ。もし、無印良品のような組織が製品の機能を保障すれば、ジェネリック家電の売れ行きは、更に伸びるはずだ。

近年、家電業界はコモディティ化し、弱小企業でも部品を集めて組み立てれば大手に匹敵する製品を作り出せる。命に関わる自動車・飛行機・医療機器などでは、信頼の証としてのブランド力が大きいが、家電の世界で脱ブランドが進行するのは必然の流れだ。

内外の巨大家電メーカーは、巨額の研究費を投じて新製品の開発に明け暮れている。しかし、何となく限界が見え始めて、旧製品から進化していると感じるほどの新製品は生まれていない。その結果、今はどのメーカーも新製品で大きな利益は出せなくなっている。

今、スマホやタブレットが家電業界を潤している。しかし、その機能を使いこなしているユーザーは殆どいない。私のガラケーも機能の1割も使っていない。カメラは専用機しか使わないのでカメラ機能も不要だ。多機能に走り過ぎた大手メーカの状況はジェネリック家電には好機で、シンプルに機能を特化させ、魅力的なデザインで安くすれば世界で必ず売れる。

10年後には、世界の巨大家電メーカーのブランド力が急速に低下し、無名のメーカーが乱立している群雄割拠の時代が訪れているかもしれない。その頃は安かろう悪かろうは死語になり、優秀な部品メーカーとデザイン・ソフトメーカーの存在感が大きくなっているはずだ。

この状況では大手家電メーカーも部品メーカーとして生き残る道を選びそうだ。部品で革新的な開発があるとすればデイスプレーと電池の分野だ。現在主流の液晶や有機ディスプレーは発光型で電力消費が多く、明るい外光の下では画面は極度に見づらくなる。対して近未来のディスプレーは反射型で、印刷物のように明るい外光ほど鮮明に見え、消費電力は劇的に少なくなる。そうなれば、1回の充電で1ヶ月使用できるスマホも可能だ。

まだ原始的だが、電子書籍キンドルなどに使われている米E Ink社の白黒画面がそれだ。マイクロカプセル内の白黒顔料を電圧で移動させて文字などを表現する方式だが、白部分が灰色で完成にはほど遠い。光干渉を利用したカラーディスプレーが実用化されているが、まだ色味は悪い。

ちなみにこの白黒画面の原理を考えたのはパナソニックの技術者だ。米国が次世代基幹産業へと力を入れてる3Dプリンターも1980年に日本の小玉秀男氏が特許出願している。スマホ・タブレットの原型を考えたのも日本人だが、いつも時代の先を行き過ぎて、いつのまにか世界から取り残されている。


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「おじいちゃんのバス停」3枚目

生きるとは何か、最近、少し見えて来た。人は常に不安に対し、愛憎入り乱れて生きている。不安をキーワードにすると、恋愛、結婚、仕事、健康づくりと殆どの行動の根源が見えて来る。

不安はストレスであり、誰でも逃れたいと思っている。しかし、野生の動物たちと違い、人は逆にストレスを追い求めることがある。危険なことが大好きな友人はその典型で、喧嘩、スポーツカーの暴走、飛行機の危険な操縦と、命がけのことをやり続けた。そして最後にハイリスクハイリターンの先物取り引きにのめり込み、一時は巨額な利益を得たが最後は再起不能の大失敗をして姿を消した。

私も逆行する性癖があるので、彼の行動は理解できる。最近確信したのは、不安やストレスが強いと創作への意欲が増すことだ。安定した生活では創作の意欲が薄れるのに、生活が破産寸前まで追い込まれると、イメージが次々と湧き出て創作に熱中する。実は今がそれで、いつも新しいイメージが脳裏を過っている。どうやら私は死ぬまで、平穏には縁がないのかもかしれない。

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御諏訪神社境内のカヤの神木。
元々はこの2倍の高さだったが、上半分が痛み、この高さに切られた。
カヤの実が沢山落ちていたので拾った。

S_4S_2S_3_2S_5カヤの実

拾ったカヤの実から種を取り出して、灰汁抜きに重曹水に漬けた。
半月ほどしたら陰干しにして、炒って食べる。

3時前なので3時草はまだ開花していない。

紫式部が色づき始めた。

生物は多様にパランスを取って生きている。それは人体でも同じで、人は細菌だらけで、健康な人の唾液でも数千万の細菌がいる。便器の大便を流すと、その微細な破片が25センチの高さまで跳ね上がり人はそれに汚染される。それでも人は簡単には病気にならない。

地面に落ちたものを拾って食べても殆ど病気にはならない。元々、人は膨大な細菌たちと共存しているからだ。白血球などは、太古の時代、生体と共存していた微生物で、いつの間にか体の一部になってしまった。確かに、白血球の動きは微生物そっくりだ。

世の中には抗菌グッズが氾濫しているが、現代病とも言えるアレルギーは衛生的な生活が原因と言われている。生物同士は良くも悪くも影響しあっていて、清潔イコール健康とは単純に決めつけられない。

以前観た映画「宇宙戦争」では、地球を侵略し始めたエイリアンは地球上の微生物によって全滅させられた。これは微生物の役割を象徴的に描いたドラマだが、細菌と忌み嫌われている微生物は、本当は人類に取ってとても大切なものだ。

最近、SF映画の傑作「エリアン」のエイリアン生き方に魅力を感じている。彼らの凶暴で非情な面ではなく、厳しい宇宙環境で何十万年でもチャンスを待ち諦めないところだ。ほんの僅かなチャンスにでもかけるエイリアンの前向きの生き方はすばらしい。人にはあの生き方はできない。ちょっと落ち目になると悲観して落ち込んでしまう。

シンプルに生きているエイリアンのことを考えながら、今年最高の37度近い酷暑の炎天下を散歩した。歩いている間は、銀行口座が空になりかけいることも、明日の健康も、総ての不安から解放されて自由な気分だった。この気分こそ生きている実感で、とてもすばらしい。

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