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2013年9月 8日 (日)

東京オリンピック決定に老人は過去へ若者は未来へ思いを馳せる。13年9月8日

早朝、涼しさで目覚めた。何となくテレビをつけると、オリンピック決定前のブエノスアイレス会場からの中継だった。アナウンサーや解説がうるさいので消音にした。やがて、IOCロゲ会長が現れ、開催都市記載入りの封筒をうやうやしく開けた。書面の文字は読めなかったが日本人が大騒ぎしているので東京決定だと分かったのでテレビを止めた。

今回の招致運動で印象に残ったのは猪瀬東京都知事の失言と油ぎった顔だ。これでは彼の知事再選は無理な気がする。決定して気になったのは、築地市場・城外市場と新宿ゴールデン街の行方だ。どれも東京の重要な観光地だが、猪瀬東京都知事に観光資源としての認識はなく、移転・取り壊しになる公算が大きい。

この20年ほど、オリンピックから興味が失せている。ただ今回は韓国発のネガティブ・キャンペーンで、逆に興味をそそられた。この決定で福島原発汚染水漏れの対策が進行するのは思わぬ効果かもしれない。

東京オリンピックに中韓両政府は、日中・日韓外交の進展を期待している。このところの尖閣・従軍慰安婦問題を利用した反日キャンペーンは海外で不発気味だった。中韓両政府には、オリンピックを控えた日本政府なら否応なく軟化するはず、との思惑があるのだろう。

その第二回東京オリンピックは7年後。期待度は世代に寄って大きく違う。第一回を知っている私は、7年後も元気に生きている自信はまったくない。しかし、若者たちには始めての経験で、期待感は生まれそうだ。

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涼しいと言うより、寒いくらいの雨だった。

第一回東京オリンピック1964年前年に上京した。宮崎から大分で始発の特急ミズホに乗り換え、東京まで20時間ほどかかった。同じボックスの老夫婦に芸大受験のための上京だと話すと「成功して立派な絵描きさんになってください」と激励された。

東海道線に入ると、至る所、新幹線の工事現場が見えた。東京へ入ってからの第一印象は空気が汚れていることと、山手線の派手な黄色の車体だった。

東京駅には上の姉が迎えに来ていた。真っ先に驚いたのは山手線の到着間隔の短さだ。自動で開いたドアから田舎感覚でゆっくり乗り込むと、ドアがすぐに閉まって挟まれそうになった。池袋駅で西武線へ乗り換える時、コンコースを忙しく行き来する見たこともない大群衆にも驚いた。西武線で姉宅のあるひばりヶ丘へ向かった。駅前の土地が、坪3万円と聞いて更に驚いた。

上京してからは受験のことはまったく眼中になく、毎日東京名所の観光に明け暮れた。東京タワーへ行くと、展望台で親しい友人と会った。当時の若者の行動パターンは皆同じようなものだったからだ。今ならそのような偶然は滅多に起きない。

街は至る所掘り返され、掘り割りには高速道路が突貫工事で建設されていた。オリンピック直前の東京は、戦後一番活気があった時代だっかもしれない。

肝心の芸大の一次試験は得意科目の理数がなかったので手も足も出ずに落ちた。芸大の有力教授と親しかった親戚に、浪人して二次の実技まで行くように言われたが、嫌いな科目を勉強するのは真っ平だったので、即、彫金の名人に弟子入りした。

十条の名人の工房近くに未完成の環七があった。舗装してあるのは中央だけで両側は未舗装のままだった。車の往来は殆どなく、老人子供でものんびり横断できた。東京オリンピックの前日、その環七は聖火リレーのコースになっていた。見物に行くと大群衆に阻まれてあきらめ、頭越しに聖火の煙りがピョンピョン進んで行くのを眺めた。

オリンピック初日は抜けるような青空で、自衛隊機が描いた五輪の輪が西の空に見えた。同じシーンは映画「三丁目の夕日」でも描かれていた。あの映画のように、カラーテレビが普及したのもオリンピックに重なる。前記の親戚は腕時計ケース制作で成功した人で、応接間にサラリーマンの年収に近い、重厚な家具のようなカラーテレビが置かれていた。

オリンピックには興味がなかったが、東洋の魔女がバレーで金メタルを取ったソ連戦では熱狂した。オリンピックが終わっても市川崑監督「東京オリンピック」が大ヒットし、国民の熱気はしばらくは冷めなかった。

今回東京に決まっても思いは未来へは行かず、過去を遡ってしまう。オリンピック当時の周辺の殆どの人は鬼籍に入ってしまった。

2020年で気になるのは直下型地震だ。1200年前の貞観三陸地震の周期に重ねると、その頃に起きる。関東直下型が話題にならないのは、東北大地震に東南海・東海地震が連動するような周期性はないと、地震学者が判断しているのかもしれない。


S_1S_3S_2緑道公園のナツメ。
この写真を撮った後食べたが、とても甘かった。

自然公園のエノキ。
赤黒く熟した実が甘い。

自然公園のイヌビワ。
今年は豊作で、行く都度たっぷり食べている。
小さなイチジクの一種で、とても甘くて美味しい。

今日は小雨の中食べた。

 イヌビワを 摘みて首筋 雨しずく

このところ、毎日、自然公園へ行って季節の変化を味わっている。

母を散歩させていた頃の、知人と良く出会う。母の思い出は話題になるが、死から4年目に入り、死について聞かれなくなって安堵している。

公園の稲田はよく生育し、稲刈り寸前だった。カヤの実も沢山落ちていたので拾って帰った。

小雨の帰り道、桐ヶ丘団地近くの歩道で、遠く婦人物の傘が地面近くで揺れているのが見えた。

傘の影に人が倒れているように見える。急ぎ足で向かっていると、自転車が倒れている人を一瞥しただけで無関心に通り過ぎた。その直後に、脇の車道に小型車が止まり、若夫婦が下りて駆け寄った。

倒れていたのは70代の買い物の帰りのおばあさんで、身なりは良い。声をかけると受け答えはしっかりしている。すぐに近くのバス停表示で場所を確認して、救急車を呼んだ。

おばあさんは、ふらっとして倒れ頭を打ったようだ。手の動きは正常で痺れも痛みもない。年を聞くと45歳と答えた。意識が混乱しているようだ。何度も頭を持ち上げようとするのを制し、いつもバックに入れてある空気クッションを薄く膨らませて頭の下に敷いた。
やがて、桐ヶ丘体育館帰りの若者と熟年女性が加わって、5人で傘をさしかけて見守った。
「ご迷惑かけて、申し訳ありません」
彼女はしきりに私たちに謝っていた。

救急車から、3キロ地点に来ていると携帯に連絡が入った。症状を聞かれたので意識が混乱していることを伝えた。5分ほどで救急車が到着した。通報した私の氏名を聞かれたので名刺を渡して現場を離れた。

このような場に遭遇することは多く、救急車は何度も呼んだ経験がある。私の年齢になると、いずれ我が身の思いが強い。

おばあさんには同居する家族がいるのか。それとも一人暮らしなのか。いずれにしても、突然にふらっとして倒れ、自力で立ち上がれないのは尋常ではない。大過ないことを願っている。

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