晩年を迎えて断捨離を考える。13年10月3日
先日亡くなった山崎豊子氏の作品「白い巨塔」「不毛地帯」「大地の子」は、どれも読み応えがあった。新聞記者の経験を生かした手を抜かない膨大な取材が作品を重厚にしているのだろう。2003年、90歳の母に肝臓ガンが見つかった頃「白い巨塔」をフジテレビで放映していた。母は担当医の診断ミスにより早期治療のチャンスを失い、そのことでもめていた。その過程でドラマのシーンと同じようなやりとりをしたので、見ていて身につまされた。その後、母は駒込病院に転院して手術は成功し、97歳まで長生きした。
財前教授役は78年版の田宮二郎も良かったが、こちらの唐沢寿明も良かった。最終回、財前が解剖に供されるためにストレッチャーに載せられて行くシーンは、78年度版の田宮と同じように唐沢本人が演じた。それから7年後、私は母を在宅で看取った。その時、ストレッチャーに乗せられて日本医科大へ献体へ向かう母の姿がそのシーンと重なった。
03年版の主題歌・ヘイリーのアメージングレースは好きだった。この曲は私の人生の節目に度々登場した。一番心に残っているのは、43歳で絵描きに転向して間もない頃だ。どうやって絵描きで食って行こうか、有効な手段が見つからないまま、午後になると荒川土手へ散歩へ出かけていた。
荒川水門の土手に腰掛け、アメージンググレースを聞きながら思い悩んだ。荒川上流に沈む夕日がまるでガンジスの夕日のように見えた。そんなある日、腰を上げて土手を上って帰ろうとしていると、すぐ目の前で四葉のクローバーが風に揺れていた。四葉のクローバーを見つけたのは生まれて始めてのことで、良いことが起こる啓示だと感じた。事実、それを境に次々と賞を取り、作品展も成功した。まだバブルの余韻が残っていて、今と比べると、絵描きには格段に暮らしやすい時代だった。
あれから25年が過ぎた。創作意欲は旺盛なのに、若い頃は感じたこともなかった喪失感に囚われている。ものでは埋まらない喪失感を軽くするには、逆に身の回りのものを捨てる他ない。最後に必要最小限のものだけを残して、終末を迎えられたら素晴らしい。
しかし、身の回りのものは生きて来た証であり、それを総て捨てるのは難しい。新しいものを得る為に古いものを捨てるのは苦痛ではないが、代わりがないままに捨てると新たな喪失感を生んでしまう。
それでも、無理にでも大切なものを捨て続けなければ、死を受け入れることができない。身の回りのものを捨てることは死への儀式だからだ。
雨上がりの昨日。陽射しの中に雨が降っている不思議な午後だった。
「千と千尋の神隠し」の冒頭シーンが大好きだ。湯屋・油屋の門前町の、千尋の両親が夢中で食べて豚にされた、食べ物屋の並ぶ町並みだ。あの軒下の食物を大盛りにした鉢が並ぶカウンターは昭和30年代までは普通にあった光景だった。あのシーンを見ていると、上京したころを懐かしく思い出す。あの頃の下町には、大きな家族のような温もりがあった。
その少女の成長物語は見ていて楽しかったが、対照的に「トイストーリー」にはどこか虚しさが伴った。少年が成長する過程で忘れ去られる玩具たちの宿命を、押しとどめようとしていたからかもしれない。
そんな重いことは考えず、気楽にファンタジーとして楽しめば良いのだが、年を重ねると重い現実がのしかかって、単純に割り切れなくなる。
釈迦の思想の根幹に「一切皆苦」がある。意味は、人の行く手に待ち受けるのは病と死。人はその絶望的なものへ向かう他ない宿命にある、と言ったことだ。
もし、生涯、それに気づかずに楽しく過ごせれば幸せだが、最後には必ずその事実にぶつかってしまう。だから、神仏に平安無事を願う。だが、そのような好都合な願いを叶えてくれる神様はどこにもいない。「一切皆苦から逃れられる者はいない」が釈迦の答えだ。
喪失と死は人だけでなく、宇宙を含めて総てのものにある。それらを無視した行為総てを釈迦は煩悩として捨てるように説いた。それは柔道の基本の受け身のようなものだ。受け身を身につけておけば、大怪我をしないで済むように、「一切皆苦」を心底理解していれば煩悩で身を滅ぼすことはなくなる。更に一歩進んで、他者へ「慈愛」をもって接すれば、真に人生を楽しめ、社会は住みやすくなると説いている。
私は「一切皆苦」を覚悟して楽しむのが一番良い生き方だと思っている。ディズニーランドも、好きな映画も、散歩も、実に楽しい。生きているのに、楽しい気分を敢えて否定する必要はない。
散歩へ出ると、素晴らしい虹が出ていた。
鬱々と 坂を上れば 秋の虹
京都大と滋賀医大の研究では、曇りや雨の日が連続すると鉄道自殺が増加するようだ。今後は、自殺が増える日を予測して、踏切や駅のパトロールを増やして自殺を減らせる可能性がある。うつ病治療用の高照度白色光などをホームや車両につけることでも、自殺予防に役立ちそうだ。
落ち込みやすい人は天候を意識して、晴れた日には努めて外出し陽光を浴びると気分が晴れる。今日は素晴らしい好天で、散歩へ出るのが楽しみだ。
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