ヒッグス博士のノベール物理学賞を支えた日本企業の優秀さは日本の弱点でもあった。13年10月9日
昨日は電話が多く、散歩でも知人に会って小1時間ほど話し込んだ。
今日は朝から誰とも話していない。散歩へ出る時、誰もいない暗い部屋へ「行ってきます」と言ったのが最初の言葉だ。
今日の散歩は蒸し暑く散歩中汗をかいてしまった。新潟では35度と10月の最高気温の新記録だ。
夏ゼミに 首をかしげる 萩の花
アブラゼミが鳴いていた。秋の最中に羽化したのは異常気象のせいか。今頃鳴いても伴侶は見つからないだろう。孤独さが少々哀れだった。
台風余波で素晴らしい午後の空。
夕空は目を見張るように美しかった。
「きれいな夕日」と
若い母親と幼い子供が感嘆しながら過ぎて行った。
ヒッグス博士のノベール賞受賞は、去年、スイスに設置された大型加速器でヒッグス粒子が確認されてから短期間での受賞だった。現時点ではヒッグス粒子は未確認の最後の素粒子と言われている。そこらじゅう宇宙全体にびっしりと詰まっている素粒子だが、確認は困難を極めた。
宇宙が生まれた瞬間は素粒子には質量がなく、自由自在に光速で飛び回っていたが、その直後に生まれたヒッグス粒子の抵抗で減速し質量が生まれた。それをきっかけに素粒子は原子を形成し、更に星々へ成長して現在の宇宙を形作った。素粒子の中で光子だけはヒッグス粒子の影響を受けず、今も質量はなく光速で飛び回っている。
もし、ヒッグス粒子がなかったら現宇宙は生まれてなかった。そのことで別名「神の粒子」と呼ばれているが、ヒッグス博士はその呼び名を嫌がっている。
ヒッグス粒子を確認したスイスにある欧州合同原子核研究所(CERN)の大型加速器の重要装置、超伝導ケーブルや検出器などは日本技術で作られている。
その検出器を開発制作したのは浜松市にある浜松ホトニクスだ。
小柴昌俊・東京大特別栄誉教授がニュートリノを発見してノーベル賞を受賞したのも、浜松ホトニクスの光電管が大きな役割を果たした。
今回の大型加速器の円筒形検出器アトラスには、浜松ホトニクス製のセンサー・一万五千枚が整然と敷き詰められ美しい光沢を放っている。それは素粒子が通過した位置を数十マイクロメートルの精度で特定できる最重要センサーだ。1999年、この厳しい条件を満たせる企業は他になく、浜松ホトニクスが受注した。
大型加速器で陽子同士を衝突させて一京度の温度を発生させて宇宙のビッグバン直後を再現し、真空中にびっしりと詰まっているヒッグス粒子を弾き出させる。ヒッグス粒子が飛び出すのは一兆回のうち一回で、しかも、発生したヒッグス粒子は10のマイナス21乗秒の一瞬で崩壊して別の素粒子に変化する。
その時、変化して発生した素粒子の通過位置やエネルギー量を解析して、崩壊する前のヒッグス粒子の存在を推定する。それら一連の難しい測定を果たしたのがこのセンサーだ。そして、素粒子を捉えて電気信号に変換する光電子増倍管も浜松ホトニクス製だった。
浜松ホトニクスの主力製品、光電子増倍管は光を電子に変換して増幅するセンサー。血液検査装置や環境計測機器、人工衛星、油田探査装置などに使われている。もし日本メーカーがなかったら、世界の素粒子物理学は大きく遅れていたと言われている。そのように世界の先端技術を支えている日本のメーカーはキラ星のようにある。
米国インテュイティヴ・サージカル社開発の医療ロボット、ダ・ヴィンチは精密手術に革命を起こしたと言われている。しかし、日本の中小先端技術メーカーが技術を結集して作ると、その性能を遥かにしのぐ医療ロボットが数分の一の価格でできると言われている。
それが日本で実現しないのは、それらを統合するシステムと人材がいないことと、完成しても厚労省の認可が異常に長期間かかることにある。それでは出資者が二の足を踏んで、実現は不可能だ。日本の停滞を生む原因は、産業と政府機関のシステムにあるようだ。
優秀な技術者や現場が日本を支えている反面、最近、人為的な重大事故が多い。
9日、福島第1原発の淡水化装置の配管の接続部を作業員が誤って外し、7トン以上の高濃度の汚染水が漏れ、作業員6人が汚染水を浴びた事故もそれだ。今回は堰の中に留まって外部に漏れていないが、顛末はお粗末すぎた。
このような事故は個人の高度な能力に頼って来た日本技術の弱点だ。通常時なら、日本の労働者は真面目で優秀なので、このような事故は滅多に起こさない。今回の事故は現場の労働者が適性を無視して配置されていることに大きな原因がある。
排水管の構造に無知な労働者に処理させて、高濃度汚染水をぶちまけたり、汚染水浄化装置「アルプス」の中にゴミを置き忘れて故障させたり、通常の日本の労働者なら犯さない事故だ。その処理の為に、多大な出費を迫られ、国際的な風評被害を被るなら、始めから作業手当を増額して、有能な労働者を集める方が合理的だった。
例えば、あらかじめ労働者の適性を調べ、数ヶ月の教育期間を経てから現場に投入すべきだ。人手に頼る現状は永遠に続く訳ではない。いずれ、危険作業はロボットに任せられる日が来る。処理能力のない東電から事故処理が国へ移管されたのを機会に、思い切った予算投入しないと、この種の事故はこれからも続発する。
被爆量が限度に達すると失業する。この悪条件では有能な労働者は集まらない。被爆量が一定量に達して失業しても、公明正大で十分な生活保障を与えることが最大の解決方法だ。
更に大切なのは、人は誤りを犯すものとした設計思想を事故現場に導入することだ。具体的には、今より多重にバックアップシステムを設けることだ。
その点ではロシアの技術思想に注目している。ロシアの開発者は、伝統的に個人の技術能力を信頼せず、人は必ず誤りを犯す、との基本思想がある。
その最たるものが1946年開発のソヴィエトの自動小銃AK-47・別名カラシニコフだ。これは荒っぽいロシア兵士のために作られた極めて堅牢な銃だ。簡潔な設計で並外れた耐久性と堅牢さゆえ、今も世界各地で使われている。
昔、軍の教官が銃弾を足で踏みつけて曲げ、カラシニコフに装填して発射したり、泥沼に数日漬けておいて赤錆の浮き出た銃を問題なく発射した映像を見たことがある。そのように、どんなに乱暴に扱われても壊れず、グリスが切れても赤錆だらけになっても、確実に撃てる銃はいかにもロシアらしい。
40年昔、後楽園の特設会場で「大シベリア博覧会」があった。雪どけ道を行くと、長蛇の列を予想して設置されたジグザクの待ち通路には誰も並んでいず、会場内も閑散としていた。あちこち、本国から来た担当者たちが集まって対策会議をしていたのが印象に残っている。
博覧会の看板は永久凍土から発掘されたマンモスの子供と、マンモスの骨格と実物大の模型だった。その時、土産に買ったマンモスの牙は今も持っている。
マンモスの実物は海外初公開とあって前評判は良かったが、客は入らなかった。それで急遽、本国から本物のボストーク宇宙船を取り寄せて追加展示された。それは、実に粗っぽい作りで、溶接面はつぎはぎだらけで、これでよくも気密性が保てたものだと驚いた。
その荒っぽい作りでもちゃんと機能する点は、ソユーズロケットの成功率の高さにも繋がっている。
ソユーズは少々の人為ミスでは故障しない構造で、操縦などで、米国なら電気回路でスマートに遠隔操作するケースでも、ローテクの操作棒を使っていると聞いた。
操作棒は昔、リモコンがなかった頃、私は竹竿の先に簡単な器具を付けてテレビのチャンネル変えなどの操作をしていた。安価でこれほど確実な方法はない。ソユーズのほかの部品も、新しく開発せず、信頼性が高い既製品を転用して制作費を押さえていた。
大シベリア展では近くの映画館でソヴィエト映画の名作20数本上映され、こちらは人気があった。私は高校生の時に見た「誓いの休暇」を10年ぶりに見て、とても感激した。
ロシアに対して、日本の設計思想は現場は絶対に間違いを犯さない前提だ。だから、ちょっとした人為的なミスが大きな故障の原因になる。欧米諸国はロシアと日本の中間辺りで、イタリアはロシアに近く、ドイツは日本に近い設計思想だ。
イタリアの高級スポーツカー、フェラーリ・ランボルギーニ・マセラッティなどは優秀な職人的技術者が1点物として工房で作っている。しかし、一般車ではエンジンルームから、タバコの吸い殻やコーラの空き瓶が出て来た、と言った逸話がある。だから、初期故障が多いが、修理を繰り返して使いこなして行くうちに優れた機能を発揮するようになる。これもまた個性的な文化ではある。
「不思議の国のアリス」 30年前に制作した金属プレート100×87mm
どう使うか迷ったまま30年過ぎて、やっと完成させた。
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