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2013年11月 1日 (金)

古希を前に最後の同窓会と、臨死の脳を解明。13年11月1日

川上元巨人軍監督が死去した。訃報を聞きながら、巨人V9時代と重なる高度成長期を思い出した。あの頃は、野球シーズンの夜に裏路地を歩くと、至る所からナイター実況と歓声が聞こえた。巨人大鵬卵焼きの言葉も懐かしい。私には挫折だらけの時代だったが、元気さがそれを数倍も上回っていた。

先日、湾岸のレストランで同窓会があった。古希を前にした今回を、最後の同窓会にするから、と強く薦められて13年ぶりに出席した。若い頃は烏合し、壮年では互いに競い、老年では烏合にも競争にも疲れはて、死へ向かう道を辿って行く。そのような老境に入った同年齢の男女が集まると万感迫るものがあった。

受付のT氏は進行した胆管がんで、腫瘍で詰まった胆管をステントで広げて日常生活を保っている。私を含め出席者の大半は既にガンを抱えている。
老人を詳細に調べると殆どの人から初期のガンは見つかる。ただ、老年期のガンの成長は遅く、半数はガンが発症する前に血管系の病や、肺炎、腎炎などで死ぬ。

先進国でのガン死はありふれた最期だ。対して、アフリカなどでガン死が少ないのは自然が豊かだからではない。平均寿命が短く、ガン年齢に達する前に他の病で死んでいるからに過ぎない。

同窓会での現状報告は、男は自分の抱える病について、女性は夫の死や孫の成長について語っていた。総じて、以前より外への関心が薄くなっているように感じる。それぞれは自分の道を歩いているのだが、結局、寸分違わず同じ死に辿り着くのが、少々おかしかった。

一通り語り終えると、出席者熱望のカラオケ大会に変わった。カラオケ嫌いの私はその時点で会場を抜け出し、広い建物内を探索した。

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海に面した趣味の良い部屋を見つけた。こんな部屋で7,8人の集まりなら和やかだったかもしれない。

帰り道、至る所でハロウィン仮装の若者が目立った。リアルな馬の生首マスクの者。13日の金曜日のジェイソンマスクと悪魔を融合させた不気味な仮面の者。派手な原色の着ぐるみの者。巨大な帽子をかぶった者。アメリカの仮装を通販で取り寄せたのか、日本人の目にはとても異様に映った。日本的な仮装にも異様さはあるが、土俗的な部分を共有しているので容認できる。しかし、中身のアジアと外見の西欧が溶け合っていないことに、不気味なほどの異様さを感じた。

深夜、赤羽に着くと、いつものように深い安堵感を感じた。草木の一本一本にまで家族のような親しみを感じる。周りが入れ替わって行っても、変わらず繋がっていると確信できることは、幸せの一つかもしれない。

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公園の午後。

近年、文学賞の公募が活況だ。ブログやメールで一般の文章力が向上したからだろう。関係者に聞くと小さな賞でも3000ほどの作品が集まると言う。それを若い担当者たちが手分けして読んで、ざっと篩いにかけ、数十点まで絞ってから審査員たちが回し読みする。1次2次の審査基準の減点主義はかなり厳しい。もし、宮沢賢治が現代の人で、今の文学賞に応募したら、あのオノマトペだらけの作品での1次突破は難しいかもしれない。常々、知人の小説家たちの根暗さに辟易することがあるが、プロデビューしても続く、厳しい環境をくぐり抜けて行く内に身につけたのかもしれない。

その点、美術系の3,4秒あればで篩いにかけられる審査は恵まれている。審査は徹底した加点主義で、少々荒削りでも良ければ高く評価される。

先週Eテレでのギュスターヴ・モロー美術館は新鮮だった。
彼は他人をアトリエに入れず、作品も殆ど発表しない画家だった。72歳で胃がんで死ぬとアトリエには油彩画約800点、水彩画575点、デッサン約7000点が残されていた。作品群は遺言により自宅を改装したギュスターヴ・モロー美術館で公開された。

彼は建築家の父と音楽家の間に1826年、パリに生まれた。23歳でフランス政府の注文絵を受けた。42歳で美術アカデミー会員に選ばれ、66歳でエコール・デ・ボザール(官立美術学校)の教授となった。同時代のゴッホやゴーギャンと比べると、先日の加島祥造同様に、若い頃から眩しいほどのエリートコースを歩いて来た。

エコール・デ・ボザールでは優れた教師であった。マティスとルオーもモローから学んでいる。ルオーがモローに全幅の敬意を表し、優れた弟子であったのに対し、マティスは彼に反発して新境地を開いた。しかし、モローがマティスを嫌っていた訳ではなく、互いに才能は評価していた。その意味でもモローは大変優れた才能に溢れた教師だった。

19世紀後半に印象派が現れ西欧絵画が大きく躍動した時代に、モローは自宅にこもって、神話や聖書を題材に幻想的で華麗な美を追い続けた。彼の洗礼者ヨハネの首を求めた女性「サロメ」の作品を目にした人は多いはずだ。

今回始めて見たのは抽象画風の大量の作品群だった。番組解説者たちはその意味を思いあぐねていたが、私は彼が瞬時に感じたイメージのメモ書きだと思った。彼は色彩構成をとても熟知した作家で、その自由な色彩の流れから彫刻家が掘り出すように作品を生み出したのだろう。私自身、作品を描く過程で、そのような手法を取っているので確信している。

最後に紹介された若手アーティスト吉岡徳仁の白い立体作品は物足りなかった。モダンアートでも、舞台美術でも、映像でも、白系の無彩色を使うのは逃げに思える。白系の無彩色は、下手な料理人がごまかしに使う化学調味料のようなものだ。

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ハナミズキは真っ先に色づき始めた。

先々週、歯科医院の待合室で週刊朝日を読んでいると「死ぬ瞬間、脳はどうなるのか」の記事があった。それはミシガン大のボルジギン博士らの研究で、ネズミが死ぬ瞬間の脳の動きを解明したものだ。

それによると、心臓停止から30秒の間、脳の活動は三つのステージを経て死に至る。ステージ1では心停止から3秒ほどで脳波は減弱しているが基本的に生きている。

続くステージ2では5秒ほど、脳波のリラックスしている状態のアルファ波と、まどろんでる状態のシータ波が強く現れる。

劇的なのはステージ3だ。強く覚醒している時に出現する強いガンマ波が現れ脳活動の停止まで続く。その状態では、ガンマ波は前頭葉から後頭部へ激しく流れている。それは強烈に想像したり何かを思い出している状態だ。それは幻覚や瞑想の状態にとても近い。

だから、ステージ3で蘇生した人は生き生きとした明晰な臨死体験を語ることになる。上記の時間はネズミの脳での研究結果で、人の場合は心停止後もっと長く脳活動は続くのかもしれない。

高齢の祖母と父母を看取った経験では、死への変化はもっと早く、数ヶ月〜1年前あたりから起きていた。その頃から死への恐怖は低下し、薄ぼんやりと曖昧になって、何も思考せずに死へ至ったように感じた。だから長命は幸せなのだろう。

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