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2013年11月13日 (水)

気にしていない日常が、なくなってしまうと愛おしい。13年11月13日

先月、記録的に遅い30度越えの日があったのに、例年より早く木枯らしが吹いた。大気が透きとおり、毎夜、13キロ離れたスカイツリーのライトアップがベランダからくっきりと見える。見上げると東京では珍しく星空が見えた。星空を見上げていると世の中のことなど小さく思える。

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木枯らしが吹く前、驟雨が道路を黒く濡らして過ぎて行った。道路に舞い散った落ち葉が一段と鮮やかに見えた。驟雨が去った秩父連山の上空に青空が広がっていた。

一瞬で秋が過ぎて行き、夏の猛暑が懐かしいほどに寒くなった。日も短くなって午後4時には薄暗く、5時には外灯が点く。

「秋が過ぎ冬が過ぎて春が来て、夏が過ぎ1年が終わる。再び季節が巡り、それを何度か繰り返している内に季節が止まり人生は終わるのだろう」
人生が舞台なら、そのような台詞をつぶやいて舞台はフェードアウトする。

御諏訪神社下の道を歩きながら、よく会っていたおじいさんを最近見かけないと思った。彼はいつも境内から舞い落ちる落ち葉を掃除していた。
「いつも綺麗にしていただいて、ありがとうございます」
生前、車椅子の母が礼を言うと、彼は嬉しそうにしていた。その頃、80歳くらいだったから、健在なら80代後半だ。寝込んでいるのか、それとも亡くなったのか、老人の年月はあっという間に過ぎる。

老いてからの年月は荒馬のようだ。しっかりとしがみついていても、やがて振り落とされる。我々にできることは心の準備くらいで、どんなに周到な準備をしても、最後は意味をなさなくなる。

そう言えば、子供たちが面倒を見てくれた父母の世代は老後を心配していなかった。それでも、何不自由なく旅立って行った。

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昨日午後の奥秩父山塊。
一気に初冬の寒さが訪れ、北国は猛吹雪で一気に銀世界に変わった。

先日、ワールドカップ・日本代表のユニホームが発表された。旭日旗をイメージしたデザインで軍国主義の反省がないと韓国が噛み付いている。それで注意して見たが、見逃すほどの薄い地模様で、デザインを変えたのかと思ったほどだ。
注意して見ると、胸のエンブレムから微かに放射状に地模様が広がっていた。それを旭日旗に結びつけるのは強引すぎる。それを韓国は国際サッカー連盟に訴えると言うのだから常軌を逸している。

放射状の模様は日本だけでなく世界中で伝統的に使われている。宗教画や宗教的な彫刻にも多用されている。旭日旗は太陽から光が放射状に伸びている形をモチーフにしていて朝日新聞のマークにも使われている。朝日に対してクレームがないのは、疑惑の従軍慰安婦問題の発信元なので擁護されているのだろう。

旭日旗も日の丸も素晴らしいデザインだ。横尾忠則は全盛時代に旭日旗模様をポスターに好んで使っていた。アートを偏見で陥れる韓国の姿勢は偏狭すぎる。この様子では、韓国の子供たちは太陽の絵を描くことも厳禁されているのだろう。

その偏見が韓国の経済的損失を招いていることに彼らは気づいていないようだ。偏見の中で育った韓国の美術家やデザイナーは無意識に放射状模様やシンプルな円形を避けるようになる。例えば航空地図など、ハブ空港から放射状に路線が延びている図が使われている。工業製品でもデザインでも放射状の形は力強く合理的なデザインなので好まれる。もし、韓国の美術家やデザイナーが放射状の模様を無意識に忌避するようになれば、デザインや工業製品が制約され、その経済的損失はとても大きい。

しかし、彼らを懸念してはいない。日本外し外交に熱中している朴槿恵大統領を含め、常軌を逸した反日運動は勝手にやれば良いと思っている。


S_1S_3S_4S_2イタヤカエデの紅葉。

ノイバラの実。

ツワブキとホトトギスの花。

久しぶりに四葉のクローバーを見つけた。

探していた訳ではなく、ふと下を見るとそこにあった。

幸せは求めても得られないが、無心にしていると見つかるものなのだろう。

土曜プレミアム・2011年 三谷幸喜作監督「ステキな金縛り」は面白かった。

落ち武者の幽霊が殺人犯の容疑者を擁護する裁判劇だ。

西田敏行扮する落ち武者が、殺人容疑者に股がり金縛りにしていたので犯行は不可能だ、と証言するのだが、見える者と見えない者がいて、そのずれが可笑しかった。

落ち武者役の西田敏行がいい味を出していた。

よくできたストーリーなので、「シャルウィーダンス」や「ハチ公」のように米国映画から買いが入るかもしれない。

死後の世界は誰もが抱いている憧れだ。

母もこのような幽霊コメディーが大好きだった。

今思うと、大好きだった祖父の甚兵衛さんに会いたい気持ちが、母を幽霊好きにさせたようだ。


人は死んだ人を生前よりも愛している。死別した肉親、伴侶、そのどれもが生前以上に深く愛されている。生前は殆ど注目されなかった宮沢賢治も、ゴッホも、ゴーギャンも、死後に広く愛された。

散歩しながら聞いた映画音楽の、エデンの東、虹の彼方に、太陽がいっぱい、どれも魅力的なのは出演者の殆どが故人になっているからかもしれない。

人だけでなく、ペットでも建物でも樹木でも日用品でも、消えたものはいつまでも心に残る。釣でも大物を釣逃すと記憶の中で次第に大きくなって忘れられなくなる。

若さも健康も失くすと愛しくなる。それほどに大切な若さや健康なら大切に享受すれば良かったのに、大抵はそうならない。気づくのはいつも失ってからで、慌てて取り戻そうと努力するが時はすでに遅い。

死は人の最大の関心事だ。英雄伝説が愛されるのはそれが死者の物語だからだ。ドラマの殆どは、必ず死のテーマが加えられている。健康番組も、その根底に死への深い関心がある。

死は毎日訪れる眠りと同じと思っている。眠りと死の違いは永遠に目覚めないことだ。誰もが死を前提に暮らしているが、今日明日に訪れるとは思っていない。今は息切れなしで普通に歩き、吐き気を覚えずに普通に食べ、激痛に苛まれることもなく眠りに入ることができても、やがてそのことに努力が必要になることは誰でも意識している。

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赤羽台の秋。

禅宗のある高僧の臨終の言葉を思い出す。彼は「死ぬのは怖い」と言い残して、弟子たちに物議を残した。それは「死ぬのは怖くない」と安易に言ってしまう者たちへのアンチテーゼだった。死はどれも同じで、良い死に方も悪い死に方もない。彼はそう言いたかったのだと思っている。

最近、無理して総てを捨てる必要はないと、ものを捨て続けることを止めた。同じ一度っきりの人生なら、煩悩を受け入れ、俗っぽく楽しみたい。しかし、多すぎるものはこれからも捨て続ける。そして、ゆとりがあっても無用なものは買わないようにしている。
飽きるほど生を享受することが、死を静かに受け入れられる方法なのかもしれない。

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