地球イチバン・世界一陽気なお墓・ルーマニアは楽しかった。13年11月22日
朝から素晴らしい好天で気分が良い。
買って来た鶏肉のドリップが漏れてリュックの底がビショビショに汚れた。すぐに洗って干すと、大気が乾燥しているので夕暮れまでに乾いた。
一人の生活は音がないので、いつもテレビを点けたままにしている。
日中暖かくなったので、玄関を開けて空気を入れ替えた。テレビを止めてぼんやりしていると、下の道を行く老いた母娘の会話が聞こえた。音の伝導の関係で、ささやくような声も明瞭に聞こえる。二人の明るく快活な声は、死んだ母と姉に似ていて、一瞬、あの世から母と姉が訪ねた来たような懐かしさを覚えた。
10月まで、6時に鳴っていた公園の「夕焼け小焼け」が4時半に早まった。この曲と共に母は危篤状態になり30分後の6時半に逝った。だから、このメロディーに条件反射して哀しみが蘇る。そして、心音が停止した6時半を過ぎると何事もなかったように哀しみは消える。
夕日に燃え立つ紅葉。
人であれ、ペットであれ、死への関心は深い。それは人類共通の感情のようだ。昨夜のNHK地球イチバン「世界一陽気なお墓・ルーマニア」を見ながらそのように思った。
番組始まり15分は買い物へ行っていて見逃したが、帰宅した時、おばあさんが墓碑彫刻の職人さんに、93歳で死んだ叔母の墓碑制作を頼みに来ている場面だった。
死んだ叔母さんは23歳で早世した一人息子との再会を願いながら、懸命に働いて誠実に生きた。職人さんは、遺言に従い、息子と母親が再会しているシーンをレリーフに彫り上げ美しく彩色した。そして、姪が聞き書きした彼女からのメッセージ文を墓碑に彫った。
ルーマニア北部マラムレシュ地方のその村は「死者が語りかけてくる場所」として世界に知られている。村は豊かな自然に囲まれ、遠く岩山が見える風景は古典派の絵のように美しい。
彫刻し彩色された墓標には「酒におぼれた人生」とか「姑との確執があった」など日本ではあり得ない楽しい言葉が刻まれていた。
村の習わしで、長老は死者からのメッセージやエピソードを詩にする。詩の内容は、無類の酒好きだったとか、故人の妻は幼い子供を残して逃げたが、故人は死ぬまで再婚しなかったとか、生き生きとしている。それを村人たちが唄って死者を見送るシーンは心を打った。
アルタミラの壁画は豊猟を願って描かれた。
絵はそのように人の願いから生まれた。そのように描かれた墓碑は人の心に素直に入って来る。故人のありのままの人生を記憶し、その死を明るく弔うその伝統は素晴らしい。人は二度死ぬと言われている。死んだ後、人々から故人の記憶が消えたときが二度目の死だ。
日曜礼拝に訪れる民族衣装の村人たちも良かった。死と生が陽気に解け合っている風習はメキシコの死者の日と共通している。民族に関係なく、死者たちは愛され、生きている人に喜びを与えてくれるようだ。
登場した86歳のおばあさんは、40年前から死に装束の晴れ着と靴を用意していた。しかも靴は、死ぬと足が浮腫むからと大きめに作ってあった。おばあさんはそれまで、幾度も晴れ着を体に当て、靴をはき、埋葬される姿を想像していた。そして、娘たちへも、繰り返し死について話して来た。この村での死を迎える準備は安らぎに満ちている。充実した生は死への準備が生み出すのかもしれない。
私の母も死の30年前から死に装束を用意していた。年に何度か、タンスから取り出して、ここにしまってあるから忘れないでね、と念を押していた。しかし、死の数年前、どこにしまったのか分からなくなって、結局、新しい寝間着を着せて白菊会に献体した。
興味惹かれたのはそれだけではない。村の産物のジャガイモ、トウモロコシ、トマト、どれも新大陸からもたらされたものだった。それらの農産物の世界への貢献は計り知れない。
印象深かったのは、村の老人たちがシワが少なく肌が艶やかなことだ。対照的に熟年世代の衰えが目立っていた。老人世代は重労働と自然食に近い地元産物で暮らして来たのに対して、熟年世代は近代化による生活習慣の変化が大きく影響しているのだろう。
次回予告では、中国の8000人の画家が働く西洋名画模作の油絵村だ。
ルーマニアの素朴な村人の願いに応えるナイーブアートの次に、虚栄の需要に応える模作の村。この対比も興味深い。
ヤマブドウの紅葉。
自然公園のヤマブドウは今も実をつけている。
ヤマブドウは寒くなってから甘みを増す。
野菊。
この種類は全部、野菊と呼んでいたが、それぞれに種類がある。
子供の頃、小学校では教室に飾る花は生徒が持って来ることになっていた。
男の子たちは皆、野の花を摘んで持って来ていた。
だから、秋から冬の野の花の、野菊類は懐かしい。
マリーゴルド。
メキシコの死者の日の墓地は、この花で埋め尽くされる。
先日、故障した掃除機を販売店からメーカーへ送ってもらい検証してもらった。長期保障期間を数ヶ月過ぎていたので有料修理だと思っていたが、こちらに責任がある部品なので、無料修理をしますと丁寧な電話があった。
もし、量販店修理部の言葉を信じていたら手数料を加えた6000円ほどを支払わされていた。今回のような不自然な故障の場合、保障期間が過ぎていてもメーカーに検証してもらうのが良いようだ。
通常は使い勝手の良い充電式掃除機とほうきちり取りで掃除している。パワーがある故障した掃除機は大掃除専用で、買ってから3年間に多くても20回以下の使用で新品同様だ。固着してびくとも動かなくなった上蓋の回転軸はシンプルな構造で通常なら故障はあり得ない。詳細は分からないが、上蓋が開いた状態を一時保持するストッパーに異常があったと推測している。
メーカー技術部の説明では、部品の初期不良で、故障部品が一体構造なので上蓋全体の無償取り替えになった。電話をもらって、日本メーカーの良心が健在なのが嬉しかった。
夕富士がくっきりと見えた。
掃除機が届いたら年末の大掃除をする予定だ。正月のお供えを買った。丁度、店員が段ボールから出して商品棚に並べている所だった。私が最初の客になれて気分が良い。仕事は最悪の状況だが、そんな単純なことで何となく気分が明るくなった。
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「グーが来た」 4ページ絵本。
牧場では、牛たちは自分勝手に暮らしていました。
そこへグーがやってきました。
「グー、グー、グー」
その不思議な声を聞くと、牛たちは心地よく眠りました。
そして、みんなで仲良く食事をしている夢を見ました。
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