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2013年11月 4日 (月)

酉の市へ時間旅行をした。13年11月4日

今年は酉の市が三の酉まである。酉の市は木枯らしが吹き始めてから行くのが雰囲気があるが、早めにお詣りを済ませたいので、3日の一の酉に出かけた。---次の酉の市は15日と27日。

午後2時に出たのに、日曜と重なり神社前の通りに長蛇の列ができていた。ディズニーランドのアトラクションに並ぶ気分で30分ほど少しずつ進んで、やっと鷲神社の入り口近くに到達した。その時、私の後ろに30代の主婦がするりと入り込み、子供を連れた夫を呼んでちゃっかり並んでしまった。お詣りは信仰心によるもので、そんなことをしてもご利益はないと思うのだが、どこかずれている。

そんなことより、私の横に並んでいる小学生の女の子たちを連れたおばあさんたちの会話が楽しかった。
「こうすると、お金が入るよ」
おばあさんは女の子のコートのフードを広げた。
女の子が、どうしてと聞くと、お賽銭が飛んで来て入る、と言って笑っていた。もちろんそれは冗談で、今は遠くからさい銭を投げることは固く禁じられていて、フードに入ることはない。

20年くらい前までは、参拝の最前列ではさい銭が後ろから雨あられに飛んで来て、顔に当たることがあった。もっと昔は、地面に落ちているさい銭を拾おうとしてしゃがんで、押しつぶされ怪我する者もいた。その頃、私はフードに入ったお金は縁起物として貰って、その額の数倍のお賽銭を投げた人の代わりに入れていた。

Toriti_2

4年前、母が生きていた頃のブログにアップしたマンガ。上記のような光景を描いた。

景気が良くなったのか、大きな熊手は軒並み売れていた。あちこちで威勢のいい三本締めが聞こえるのは気持ちがいい。巨大な熊手を若い者に担がせ、意気揚々と酉の市を後にする一行は例年より多かった。浅草辺りで宴会をして帰るのだろう。

私も景気が良い頃は、大きめの熊手を買ったことがあったが、絵描きに転向してからはまったく無理になった。今は熊手のお札だけを毎年買い替えている。

熊手を売っているのは伝統的な鳶の人たちで、売り子は小股の切れ上がったいい女が多い。彼女たちを眺めるのも酉の市の楽しみの一つだ。

帰りは、いつもは浅草寺へ抜けて上野から帰っていたが、今回は往路を引き返した。上野からの電車の、白々とした冷たい光に晒されるのは嫌だった。その点、王子まで引き返す都電は温かみがある。

三ノ輪までの道筋、樋口一葉が住んでいた竜泉辺りは昔は軒の低い寂しい商店が多かった。今は地上げが進んで、マンション通りに変わった。

上京してすぐの50年前、浅草の三筋町で友人の親戚がヘラ絞りをやっていた。腕の良い職人さんで、宮内庁が配る金杯や銀杯を絞っていた。友人に連れられて訪ねた時、酉の市だから皆で参拝しようと誘われた。ヘラ絞りとは、高速で回転する金属板にヘラを強く押当て、自在に器や壷を絞り出す技術だ。大物ではロケットの先端までヘラ絞りで形成できる。

すぐに出かけるのかと思っていると、酉の市はしらふで行くものではないと、たっぷり酒を振る舞われた。それから皆で、ぐてんぐてんに酔って、今は廃線になった都電に乗り、鷲神社手前の千束町で下車した。当時の酉の市は地元中心の祭りで、今のように長い行列をするほどの人出はなかった。鷲神社前の当時の都電通りは車が少なく、お詣りの人が自由に往来して歩行者天国状態だった。売春防止法施行前の昭和31年までは、酉の市の帰りにすぐ近くの吉原遊郭へ繰り出すのが男性たちの定番コースだったようだ。


三ノ輪から都電に乗った。荒川区の暗い町並みを眺めながら藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」をiPodで聴いた。歌に滲む、あの時代の若者の挫折感は今とはかなり違う。昔は燃え立つような上昇志向が満たされない挫折だったのに、今は目標を見失った挫折感に変わった。

王子に着くと我が家に着いたような気分になった。最近、外を歩いていると自由を感じる。やがて追い出される公団の借家住まいでは、いつも根無し草のように感じているからだ。私が散歩が好きなのはそこに理由があるのかもしれない。

持ち家の友人たちは絶えず住宅に手を入れて楽しんでいる。私は大工仕事が好きで、もし、私の住まいが持ち家なら、彼らのように使い勝手が良いように手入れし庭作りにも熱中しそうだ。

帰宅してから「ハリーポッターと死の秘宝パート1」の録画を観た。最後の美しい海辺のシーンで、闇の魔王ヴォルデモートの手下、邪悪な魔女の放った短剣が妖精のトビーに刺さりが死ぬ前に残した言葉が良かった。

「なんて美しい場所でしょう。友達に囲まれてトビーは幸せです・・・」
死のシーンでのその言い回しは、若い頃はただの決まり文句だと思っていた。しかし、今は違う。誰でも必ず訪れる死なら、美しい場所で肉親や友人たちに囲まれて終えたら幸せだ。私が看取った家族たちは、東京としては美しい場所で家族に囲まれ、幸せな最期を迎えた。

S_7S_9S_3S_8久しぶりに自然公園へ出かけた。

ヘクソカズラの実。
もっと寒くなると半透明の飴色に変わる。

紫式部の実。

ノイバラの実。

ドングリが沢山落ちていた。

色づいた桜の落ち葉をお皿に写真を撮った。

この時は陽射しがあったが、30分後、驟雨がやって来てびしょ濡れになった。

久しぶりの自然公園で、何人も顔見知りに声をかけられた。


牛乳豆腐が大好きで毎日食べている。
少し温めて、食酢を少しずつ加え、軽くかき混ぜると凝固する。
それを目の細かいザルにあけて水切りをする。
通常は冷や奴と同じように醤油などをかけて食べるのだが、私は大好物なので何も付けずそのまま食べる。

しかし、毎日では乳脂肪が気になるので脱脂乳に変えた。こちらは、生乳で作ったものと比べると、パサパサして不味い。マヨネーズで和えると何とか食べられるが、どうしても味は落ちる。


ちょっと固い話しだが、最近、自我について考えている。
自分の心の中へは常に外から膨大な情報が流入している。自我が認識しているのは、猛スピードで過ぎて行く外の出来事だ。対して、自我の中の時間は進むことなく止まっている。言い換えると、心の中には時間は存在せず、常に今の1点に留まっている。

それらの関係を客観的に説明すると、外の世界は年表のように線状に進んで行くのに対し、自分は外の世界情報に円く囲まれた同心円の中心にいる。もし、自分を外から見ることができるとしたら、自分が中心にいる円盤が左右上下にフワフワゆらゆらと漂っていて、やがて古び朽ちて消えてなくなる。しかし、中心にいる自分は常に一点に留まっていて、永遠に変わらない。


このところ風邪ひきが多い。一人暮らしでは風邪は鬼門で絶対に避けたい。それで葛根湯を買った。大きなドラッグストアーで製品を選んでみると、メーカーにより値段が3倍ほどの開きがあった。弱小メーカーほど安く、有名メーカーは高い。しかし、組成は昔から完成されていて効き目は変わらない。それで、奈良の無名メーカーの製品を安く買った。

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