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2013年11月 7日 (木)

芸術の秋にアーティストの不遇を想う。13年11月7日

目覚めると、下の道路が濡れていた。
曇り空は気が滅入るが予報では午後には晴れる。

午後3時過ぎ、予報通り陽射しが出てきたので外出した。
呼吸器系が弱いので、湿気を帯びた冷たい外気は心地よい。

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公園の柿の木に陽射しが当たって秋色に輝いていた。
生きているのは本当に素晴らしい。
70歳近くになって、何でもない平凡な日常に感動するようになった。この気分のまま、静かに老いて静かに死ねたら最高の人生だろう。

だが、それがとても難しい。老いれば節々が痛み、ちょっとした階段で息切れする。食欲も衰え、身の置き所のない疲労感に苛まれる。老いの唯一の救いは、あきらめが良くなることだけだ。


連休に版画家の菊池氏から、昭和音楽大の音楽祭に誘われた。ジャズの生演奏なども含まれ、大変人気のある祭典だが、このところ雑用が多く、残念ながら断った。

秋の芸術祭はほぼ出尽くした。
電話の後、3年前に彼の母校の武蔵美芸術祭へ彼と出かけたことを思い出した。西武国分寺線鷹の台駅から紅葉の小道を歩いたことが遠い昔に思える。当時は、母と死別した喪失感と介護からの開放感が複雑に入り交じっていた。

油絵の匂いが仄かに漂う若い女性の多いキャンパスは安らいだ。
同業との付き合いは、考えを共有しているのでストレスが少なく心地よい。


先日の同窓会は、それとは対照的だった。
「お前は好きなことして、自由に生きてお気楽だな」
同窓生たちの多くは私を誤解していた。
彼らの多くは一流大からエリートコースを歩み、家族や優秀な孫たちに恵まれ、独り者の私には何一つ不自由なく見える。

幸せの原則の一つに「守るべき家族がある」がある。
守るべきものがなくなると、人は目的を失い虚しさを覚える。
同窓生たちのそれは、豊か過ぎて家族に必要とされなくなった虚しさかもしれない。私は生活に作品と守るべきものが多く、その格闘する姿を自由に生きていると彼らは錯覚しているのだろう。

S_3S_7S_8夕日に宝石のように輝くシロダモの実。

アジサイの花。
正確には花ではなく葉の一種だ。
だから花期が終わって、秋、冬になっても長く残り、今は赤く紅葉している。

散歩道のお花畑。

美術家がコラムで美大が女子大化していると嘆いていた。原因は卒業しても美術では収入が得られないからだ。それは音楽大学でも同じだ。

昔は美術教師の道があり、生活を確保しながら創作に打ち込めたが、今は少子化の影響で殆ど教師の空きがない。

もう一つは男が家庭を支えるべきとの通念だ。
その観念に縛られた美術系の男たちが、生活が成り立たないアーティストを目指さなくなった。

美術系でもデザイナーや工芸家は生活が安定している。

しかし、デザイナーは3Kの大変厳しい職場だ。創造の厳しさなら容認できるが、そうではない。クライアントのセンスのない担当者やトップの無理難題に苦しむのである。

それでも、20年以上昔のバブル期は、一瞬だけデザイナーやクリエィティブディレクターに裁量を任せる自由な雰囲気が生まれた。しかし、その後の経済長期低迷で費用対効果が重視され、僅かな費用にもクライアントが小煩く口出しするようになった。

その状況は、イラストレーターではもっと過酷だ。全く実績のないイラストレーターでも突然高額ギャラの仕事を依頼されることがあるが、その安定は長くても2,3年で終わる。その方面に興味があるなら、数年間もてはやされたイラストレーターが突然消えることをしばしば目にしているはずだ。

それでも、デザイナー兼用のイラストレーターなら継続的に収入を得ることができる。だが、専業イラストレーターの殆どは生き残れず、ことにヘタウマ系は潰しがきかず、二度と浮上のチャンスはない。

今の企業体質もイラストレーターを過酷にしている。昔、銀行の仕事を受注した時、バイオリンをひく少女の絵を提出した。しかし、担当者は弓を持つ薬指の角度が違うとクレームをつけた。制作前に、ネットで大量に資料画像を集めて正確に描いた絵だったが、「バイオリニストからクレームが入ったら困りますので」と、没にされてしまった。

他の企業の仕事で、人の肌をピンクで描いた時は「火傷の赤い肌を連想し、母親たちからクレームが来ますので」と描き直しになった。

元気よく走っている子供を描いた時は、握りこぶしの手を、「障害者団体から指がない手を馬鹿にしているとクレームがつきますので」と没になった。

担当者の姿勢は徹底した責任回避と自己保身で、日本経済が衰退し続けた一因と共通する。その体質が制作現場の意欲や作家の自由な発想を潰して、日本企業を低迷させているように思えてならない。


前述の美大の女子大化に戻ると、美大出の女性は男性に人気がある。今、活躍している女性アーティストの美人率が高いのはその辺りに遠因があるのかもしれない。結婚して裕福な男性スポンサーを手に入れ、自由な環境で制作に励み実力を発揮できるからだ。

現代のゆとりのある夫は才能のある妻を家庭に縛り付けたりはしない。以前、知人のモダンアート作家が誕生祝いに夫からアトリエ用のマンションをプレゼントしてもらった。今もそうだが、住まい確保に四苦八苦している私は、その話しに軽い目眩を覚えたほどだ。

経済的理由で男子学生が激減していると言っても、増えた女子学生たちは極めて専門性が深く真剣で自立している。だから憂うべき状態ではない。

アーティストが創作活動をつづけるには安定した経済力が必須で、元々資産家であるか裕福なスポンサーに恵まれないと成立しない。世間で思われているような作品を売って生活している作家は極めて稀である。

アートに関して日本は先進国ではない。日本の殆どのアーティストは滅入ってしまうほどの厳しい環境で制作を続けている。今、手元に届いている個展案内は苦悩や虚無感を描いている画像が多い。彼らに明るい伸びやかな作品を望んでも無理なのかもしれない。
私が温かな世界を描いているのは、それが憧れの世界だからだ。

経済政策の一環として政府はクールジャパンを世界に発信しようとしているが実現は難しい。それらの予算は、アート界での権力者へ流れ、才能とは関係なく、権威と繋がる業界や作家たちの間で浪費されているからだ。クールジャパンのクールは「かっこいい」ではなく「寒い」だと思っている。

豊かではなかった江戸期に世界の美術史を変えるほどの大作家が輩出したのは何故だろうか。それは優れた美意識を持つ庶民や裕福な資産家が作家たちを支えたからだ。本気でクールジャパンを成功させたければ、子供たちの美術教育における教条的な教養主義を捨てる必要がある。それは作家を育てるためではなく、アートの支援者たちを育てるためだ。それには美術教師の教育から大きく変えなければならず、一朝一夕ではできそうにない。

優れた作家は放っておいても自ら生まれるもので、敢えて育てる必要はない。世界の一流の作家は権威と戦う強靭さがある。良い環境で肥育してもひ弱な作家しか生まれない。

Sx_7おまけ。
鶏の胸肉300gで120円。

食費が高いと思われている方には、ワンコインどころではない安さだ。

塩こしょうだけのシンプルな味付けで、これが一番飽きず、とても美味い。
安売りのブロッコリーを茹で、肉汁を付けて食べた。
こちらも美味い。

それにしても、美術家とは不思議な職業だ。
絵描きの私から見ても、彼らがどうやって収入を得ているのか理解できない。おぼろげに分かるのは、上記のクールジャパンのシステムのような流れに巧く乗っかっていることだ。

ただ、その地位は膨大な無駄な投資を続けて得たもので、海外の美術家たちも政府や企業の支援によって成立している。

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