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2013年12月 8日 (日)

世界一乾いたチリ・アタカマ砂漠で暮らすインディオの末裔は詩情にあふれていた。13年12月8日

雑用に追われ、土曜はあっと言う間に終わってしまった。今日12月8日は開戦記念日。毎年のように日米で、宣戦布告が真珠湾攻撃に1時間遅れたことが話題に上る。山本五十六連合艦隊司令長官は30分前に宣戦布告がなされる確約を得て真珠湾を攻撃した。しかし、宣戦布告は大使館員の失態で1時間遅れになり、だまし討ちの汚点を歴史に残してしまった。そのことで、その後の日本人が汚名を恥じて誠実であろうとした利点はあったかもしれないが、やはり残念な事実だ。

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取り壊しが始まった、赤羽台団地に残る主棟。
この建物は口形に避難広場を囲み、一階は商店街になっていた。40年前から長く親しんで顔馴染みの店主は多かったが、その殆どは鬼籍に入ってしまった。写真を眺めていると、団地祭りや盆踊りでにぎわう広場や通路を行き交う知人たちが蘇る。

ローカルニュースで群馬六合(くに)村の薪ストーブを紹介していた。薪ストーブは無骨だが、焚き火のような暖かさは人を引きつける。元小学校校長宅の立派な輸入薪ストーブの回りには村の子供たちが集まり、民話の朗読を楽しそうに聞いていた。薪割りも楽しそうだった。薪割りをさせられた子供の頃、斧で一気に割れるととても嬉しかった。

若い頃、老後はそのような田舎暮らしをしようと本気で思っていた。しかし、今ほどに過疎化するとは夢にも思っていなかった。今の田舎では、病院通いも買い物も車なしでは暮らせない。共同体でのしきたりも多く、都会のように自由に暮らす訳にはいかない。健康と家族に縁がない身では田舎暮らしは不可能になった。

夕暮れの道を鬱々歩いていると「よお、大将」と後ろから声をかけられた。振り向くと孫の手を引いた知人が笑っている。
「何だ、子供ができたの。元気だね」と言うと
「バカ言っちゃいけないよ。娘の子供だ」と笑っていた。

孫は親指を折った手を「ヨンチャイ」と突き出した。折った親指が開きそうになるので、反対の指で押さえているのが可愛い。
「ヨンチャイなら、来年小学校か」
からかうと「チガウヨ、ヨウチエンチェイ」と一生懸命訂正するのが可笑しかった。
つい3年前まで赤ちゃんだったのに、今は走り回っている。

「独り者は世話する者がいないんだから、風邪引かないでよ」
彼は私の背中をどんと叩いて去って行った。人と話すのは楽しい。
別れた後も、心地よい頬のゆるみがいつまでも残っていた。

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すでに消えた、赤羽台団地。
この美しく緑溢れる住宅の代わりに、薄っぺらで味気ない高層住宅が完成している。

去年の今頃、池袋の場末で若い知人が個展をした。若いと言っても40代で高校生と中学生の子供がいる。案内状の地図を辿ると、池袋のパチンコ屋やタバコ臭い飲み屋が並ぶ一角の雑居ビル地下に画廊はあった。

こんな所にあるのかな、と迷いながら狭い階段を下りると、今日初めての来客だと彼が嬉しそうに迎えた。その地域はどう見ても芸術の香りとは無縁で、画廊としての集客は難しい。聞くと、改装までの期間限定で、オーナーがただで貸してくれたようだ。

作品はそれなりの水準に達していたが、アニメ風からスーパーリアリズムまで雑多で統一感がない。
「戦略を練り直した方が良いよ」と婉曲に話すと「ついつい色々サービスしちゃって、まとまりがなくなってしまうんです」彼は頭をかいていた。

彼は私のような貧乏絵描きではない。絵は1枚も売れたことはないが、公務員をしている二つ年上の奥さんに代わって、料理、洗濯、掃除、子育と立派に主夫業をこなし、老後の生活も安定している。

北九州出身の彼は明るくて話好きだ。他に客が訪れる気配はなく、彼は気ままにこれからのことを話した。
「妻に養われ、可もなく不可もない人生を送っても良いのかと迷っています。絵描きとして勝負して、納得できる人生を送りたいです」
熱く話す彼の心情は痛いほどわかるが、絵描きとして勝負をかければかなり嫌なことに遭遇する。
「絵描きは絵を売るために10回は恥をかいて一人前と言われている。逃げ道を残して踏ん張るのは大変かもしれないね」そう話すと「そうなんです。嫌なことがあったら、すぐに今の生活に逃げ込みそうです」彼は自信なさげに答えた。

主夫は私には憧れの仕事だ。昔と違い社会的な偏見はない。生活の不安はなく、伸びやかに絵を描いて一生を終えられるのはすばらしい。
「無理する必要はないよ。のんびり生きるのが最高の人生だ」
そんなことを話していると来客があり、入れ替わりに画廊を出た。

どんなに恵まれていても現状に不満を持つのが人なのかもしれない。
しかし、それには民族や国の違いが微妙にある。そんなことを考えながら地球イチバン・世界一乾いた大地・チリ・アタカマ砂漠を見た。

アタカマ砂漠は日本の半分の面積で年間降水量10mm以下。それでも暮らせるのはアンデスの雪解け水が流れる川や湧き出るオアシスがあるからだ。

砂漠の、世界一乾いたキリャグア村の住人は40年間、雨らしい雨を見たことがない。それでも雪解け水のおかげで、古来豊かな農村が形成されて来た。しかし、川の上流に世界最大規模の露天掘りのチュキカマタ銅鉱山が開発され、付随して人口14万の都市カラマが生まれてから村は激変した。

都市と銅鉱山に村の川の水利権は売られ、下流の村は水が干上がって村人の殆どは去ってしまった。川の流れは激減し、今は塩分を含んで飲用にならない。代わりに銅鉱山から毎日給水車が飲料水を運んで来る。村の若者たちは全て出て行って急速に過疎化し人口は50人ほどに激減した。

村には今も農業を続けている老夫婦がいた。彼らが雑草と呼んでいる牧草を畑で育て、スコップで根ごと収穫してヤギ、ウサギ、食用のモルモット・クイを育てていた。

40年昔までは川の水量は豊富で水質はよく、作物が豊かに実る美しい村だったと老人は話した。
「だがもうここの青春は枯れてしまった。ここは緑に包まれた本当に美しい渓谷だったのに・・」
荒れ果てた川辺で淡々と話す老人の言葉は哲学的で美しかった。

キリャグア村の近くには、まだ湧水を利用して農業と牧畜を細々と続けている村が残っていた。砂漠は水さえあれば豊かな土地だ。その周辺は野生動物も多く、トウモロコシ、ジャガイモ、トマトが豊かに実ると農民は誇らしく話していた。

「私はここで生きるしかかんがえられない。町で何でもかいそろえるよりも、ここで、自分の手でいろんなものを作る方が充実している。私にとって、ここは温かい着物に包まれているようなところよ」
村の羊を追う女性は、休むことなく紡ぎ車で毛糸を紡ぎながら話していた。彼らインディオの言葉は詩のように心に響く。

キリャグア村の年に一度の祭りに多勢の若者たちが帰って来た。
農業を続けている老夫婦の所へも鉱山でトラック運転手をしている一人息子が家族を連れて戻って来た。
息子は畑を手伝うために老人と牧草畑へ出かけた。77歳の老人は足が弱り、小さな坂でもエレベストを登るように辛いとつぶやいていた。

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向こうが息子で、手前が77歳の父親。
二人とも誠実ないい顔をしている。それはシンプルな生き方が作り上げた顔だろう。

父と子の働く姿と、何でもない会話が良かった。牧草の詰まった袋を軽々と抱えて行く息子を眺めながら「若いから力があふれている。いい息子を持ったもんだ。まるで誕生日みたいな気分だ」と老人は目を細めていた。

「昔のような良い時代ならここでも暮らせたけど、水がなくては 外へ出ていくより仕方がありません」
息子は村の現状を話した。
「でも、大地は我々に全てを与えてくれる。実りも、時には試練も、鉱山だってその一つさ」
老人は息子の言葉に淡々と付け加えた。

老いた父親を気遣う息子の視線は優しい。このインディオの末裔たちの生き方は詩情にあふれている。彼らは笑顔を絶やさず、厳しい現状に不満を漏らすことはなかった。彼らのシンプルさと比べると、我々は複雑に生き過ぎているようだ。

番組最後に、砂漠には僅かな雨と霧の水分だけで200種のワイルドフラワーが一斉に咲き乱れた。アタカマ砂漠は水さえあれば本当に豊かな土地だ。星空は澄み渡り限りなく美しかった。

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