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2014年2月 5日 (水)

雪の初午に冬一番の寒さ。そして、悪運の系譜と、佐村河内守氏のゴーストに夢見る人たち。14年2月5日

2月4日は初午。今年は16日、28日と三の午まである。初午は昼から冷たい雨で、やがて雪に変わるとの予報。天気が悪ければ混雑しないので、ゆっくり参拝できる。

コースは赤羽駅乗車、京浜東北線王子駅下車だが、間違えて埼京線に乗ってしまった。それで次の十条駅で下車した。十条は1年ぶりだ。十条銀座の昔馴染みの商店の多くが閉店し、飲食店に変わっていた。買い物客は減少していないが、進出したスーパーに流れているのだろう。

十条のお寺に知人の墓がある。毎年新年に墓参していたが今年はまだだった。間違えて十条で下車したのは故人たちが招いたのかもしれない。

50年以上歩き慣れた裏路地を行き、誰もいないお寺の墓地を訪ねた。知人は40年前に56歳で、とても優しくしてもらった奥さんは、母より2年早く83歳で逝去した。墓石に手を合わせていると、二人の笑顔が走馬灯のように蘇り切なくなった。墓参の後、京浜東北線の東十条駅へ向かった。

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途中の篠原演芸所。
どさ回り芝居専門の常設館だ。
外まで歌謡ショーの音曲が微かに漏れ聞こえていた。

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王子駅から王子稲荷まで長い露店が続くが、人出はいつもの10分の1と寂しい。どの店も人待ち顔で気の毒だった。

景品付きのスマートボールの露店に、小さな男の子が三人が貼り付いていた。店をやっているのは綺麗な30代の女性。
「当たった。当たった」
嬉しそうな可愛い声。
「良かったね」
彼女は子供を優しくカウンターの中に招き入れて、景品を選ばせていた。

風船とかボールとか、大した景品ではないが、男の子はとても嬉しそうだった。子供たちに接する女性の立ち振る舞いがとても優しくて、しばらく立ち止まって彼女と子供たちのやりとりに見とれてしまった。

王子稲荷に着くと、例年なら20分ほど待つ長い行列なのに、真っすぐにお詣りできた。
境内の小さな社の20キロほどの願い石は無理せず、肩まで持ち上げて下ろした。お詣りから帰る頃には、雨は牡丹雪に変わり、度々、ビニール傘に降り積もる雪を払い落とした。

王子稲荷の初午は40年以上欠かさずお参りしている。母が死んだ2010年も連れて行った。
「今年もお参りできて、本当に良かった」
帰り道、何度も何度も礼を言っていた母を、ふいに想い出した。

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初午から帰宅時の雪。

昨夜8時ころ、外へ出ると早くも雪解け水が凍り付いていた。一夜明けた今日はこの冬一番の厳しさで、午後になっても雪が凍り付いたままだった。

NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」は何となく見ている。江戸期に福岡藩を治めていた黒田氏に、父方の祖先が下級武士として仕えていたからかもしれない。

父方の一族に、勤王の志士として西郷隆盛と親交があった平野国臣がいる。彼は京都で獄に繋がれている時に大火が起き、そのどさくさに斬殺された。

一族の多くは彼とともに勤王方として働き、生き残った者たちは明治政府に入って出世した。祖母の出自もそのような家であったが、京都から流れて来た腕の良い友禅染職人と結ばれて父を生んだ。しかし、出世した一族から、実父の職業は卑下され逆鱗を買い、二人は排除された。

父が生まれた後、父の実父はすぐに祖母を捨てて出奔した。実父はそのように問題のある人だったので、腕が良かったにも関わらず京都にいられなくなって流れ職人になった。

祖母は父を苦労して育てたが、何故か父は我がままに贅沢に育ち、後年、私たちは苦労させられた。しかし、染め物職人の美的センスを父を通して受け継いだ私は絵描きになることができた。

私の名前の「篠崎」は本当の姓ではない。私生児になってしまった父を一族は恥じて、血のつながりがない遠縁の、男子が絶えて跡継ぎのない篠崎家を継がせた。

子供の頃父から、篠崎の江戸期最期の祖先は「篠崎山城守三房」と聞いた。時代劇みたいで大仰な名だったので今も覚えている。彼の子供は維新後に事業を起こして大成功したが、斬殺事件で一家8人が非業の最期をとげた。

一人生き残ったのは嫁に行っていた娘一人だけだった。40年前、その女性が赤羽の我が家に訪ねて来たことがある。80歳ほどの品の良いおばあさんで、父が「姉さん、姉さん」と、子供のようにはしゃいでいたいたのを明瞭に覚えている。

「裕福な人だからって尻尾をふって、みっともない」
母は台所で笑っていた。
父はいつもむっつりしていて、時たま発する言葉は小言ばかりだった。父の優しい声を聞いたのはその時が始めてだ。それまで、父が優しい声をかけるのは犬猫たちだけだった。無類のペット好きと芸術好きだけは両親ともに似ていた。

日頃、私は悪運に恵まれていると感じる。それは非業の最期を遂げた8人の霊が、篠崎を受け継いでくれた感謝として、私を守っていてくれるからだと思っている。

ちなみに、母方の祖先は久留米藩有馬氏の重臣だったが、祖父は染物屋の娘と恋に落ち、親の反対を押し切って結婚した。差別意識があった気の強い曾祖母は激怒して、祖父を廃嫡し弟に後を継がせた。真面目な弟はよく家を守り、その子孫は今、各方面で活躍している。おっとりしていた曾祖父は茶道と華道に熱中していて、そのような俗事は妻に任せっきりだった。

母の実母は紋描きの大変腕の良い人だった。その実母は母を生んでからすぐに早世し、残された幼い母は、私が祖母と呼ぶ人の養女になって、可愛がられ贅沢に育った。
「昔から、突然、しゃくり上げるように哀しくなるんだよ。どうしてなんだろう」
母は時折不思議そうに話した。今思うと、幼くして他家へ貰われて行き、その時の哀しみが蘇るのだと思った。母の実母の美的センスは母を通して私に受け継がれ、その血脈にも深く感謝している。

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今日の夕暮れの赤羽台。
とても風が冷たい。

耳が聞こえない被爆二世の佐村河内守(さむらごうちまもる)氏の楽曲が別人によるものだった。今後のコンサートはすべて中止され、音楽会社からの損害賠償を訴えられる事態だ。

18年にわたってゴースト作曲を続けたのは桐朋学園大学非常勤講師の新垣隆氏。売れない二人が出会い、譜面は読めず書けない佐村河内氏がアイデアを出して、新垣氏が交響曲を譜面に起こした。しかし、嘘に耐えられなくなった新垣氏が公表することに決め、今回、表沙汰になった。

始めから共作にすれば良かったことで、隠す必要はなかった。以前、彼を取り上げたドキュメンタリー、NHKスペシャル「魂の旋律・音を失った作曲家」を見た。番組では、被爆二世で、重い障害への苦悩を抱えながら作曲する現代のベートーベンを見事に演じていた。

新垣氏は記者会見で、口ごもりながら彼は耳は聞こえていたと話していた。それは奥さんも知っていることで、番組中、彼女がそのように演じていたと思うと後味が悪い。新垣氏の18年間の報酬は700万ほどで、殆どは佐村河内氏が独占していたようだ。

番組では東日本大震災の被災者へ向けたピアノ曲「レクイエム」制作に至る経緯が紹介されて大反響を呼び、その後、CD売上は10万枚を越えに大ヒットした。「レクイエム」を発表した会場の熱狂に比べ、曲には肩すかしされたような違和感を感じた。もしかすると新垣氏は、レクイエムではないものを曲想していたのかもしれない。

彼の曲はフィギュアスケート高橋大輔選手がソチオリンピックでのBGMに使うことになっている。今更変更はできないので、引き続き使用する予定のようだ。新垣氏が今真相を明かしたのは、オリンピック活躍後に明らかにされたら成果に傷をつけると危惧したから、と説明していた。このタイミングの是非は世間を騒がせそうだ。記者会見の新垣氏は、真面目そうだが状況に流される気の弱さを感じた。

彼らの曲を扱っていた日本コロンビアは総てのCDや配信を即時廃絶する。しかし、作品は作り手とは独立して存在する。私見だが、良いものは良いとして評価すべきで闇に葬るのは行き過ぎと思っている。

彼らの曲は、世間の評価ほどに感動できなかったのが私の印象だが、それは好みの問題だろう。無名のアーティストが、被爆二世、身体障害、などをセットにして世に認められた話はよく聞く。作品そのものではなく枝葉を評価して夢見る世間にも問題があった。

私は被爆二世とか耳が聞こえないとか、さまざまな演技に惑わされる世間の方が罪は深いと思っている。加えて、彼らの作品は贋作ではなくオリジナルであることも忘れてはならない。経緯はどうであれ、作品に感動したのなら心変わりせず、作品を愛し続けるべきだ。

今後の佐村河内氏は、真相を赤裸裸に告白すれば注目されそうだ。すでに、店頭からCDは売り切れている。出版社には、ゴーストライターを立てて動いている所もあるだろう。新垣氏との対決の形をとればヒットするかもしれない。

とは言え、佐村河内氏が関わったカプコンの新作ゲーム「鬼武者」や、彼らの曲に啓発されて作られた、広末涼子・稲垣吾郎主演、栗村実監督「桜、ふたたびの加奈子」のイメージダウンはとても大きい。関わった音楽会社には同情しないが、映画と、ゲームと、高橋大輔選手は最大の被害者かもしれない。


同じドキュメンタリーでも、2月2日日曜日のNHKドキュメンタリー夫婦「甲斐性なしと静かなる女優」正真正銘の事実で、重く心に残った。見たのは後半だけだが、夫婦とは、幸せとは何か、様々な問題を提起していた。

夫は放送作家の源高志氏(現在65歳)。全盛期に事業に手を出して失敗し、莫大な借金を抱え、妻の女優佳那晃子さん(現在57歳)とともに必死になって返済した。しかし、妻は長年の過労が祟ってネフローゼで倒れた。彼女は4年間の闘病生活の後、2009年暮れに朗読劇「名作語り 高野聖」で女優に復帰した。

しかし、翌2013年1月10日、自宅でくも膜下出血で倒れ意識不明となって植物状態になった。脳の広い範囲が壊死した重い病状は、懸命なリハビリにより、問いかけに手足の動きや瞬きで反応できるまでに回復した。

佳那晃子は好きな女優だった。最近、見かけないと思っていたが、病床にあるとは夢にも思っていなかった。番組中で夫の源高志氏はどん底の生活の中から妻の療養費を支払い続けていた。

二人の結婚生活は26年。夫婦は苦しい生活から何を見いだしたのか。妻を懸命に支えようとする絆に、弱者の存在意義のメッセージを受け取ったような気がした。寝たっきりの妻の傍らで彼女が好きだったビートルズの Let It Be を聴かせながら、必死に回復を祈っている夫の姿に、なぜ人は、赤の他人に寄り添い続けられるのか、その答えを見たような気がした。

2013年12月1日から、源高志氏の「佳那晃子が病院から歩いて帰って来るまでのサイト」が公開されている。源高志はパソコンはできないので、有志に携帯メールを送り更新して貰っている。放送作家らしく、ブログは明るくサービス精神旺盛だが、行間に先がない老いを迎えた苦渋が滲み出ている。

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私事だが、先ほど、ブログアクセスが100万を越えた。
今のプロバイダー以前のブログのアクセスを加えると既に達成していた数値だが、とても目出たい。

プログを始めた頃は日に10アクセスでも嬉しかった。それから1日に100アクセスを越えるまで10年近くかかった。急にアクセスが伸び始めたのは去年からで、今は1時間で100アクセスを越える。プログはそのようなものなので、やっている方は気を長く、粘り強く続けて欲しい。

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