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2014年2月17日 (月)

iPS細胞ほどではないが、皮下脂肪由来の幹細胞ASCには万能の治療能力があり、皮下脂肪は大切な内分泌器官だった。14年2月17日

万能細胞のiPS細胞が華やかに登場したが、実用化は先のことだ。
それらより万能性は小さいが類似した幹細胞が以前から知られている。それは骨髄や皮下脂肪に含まれている幹細胞=ASCだ。ASCは5年以内の臨床応用が予定され、iPS細胞より実用化は早い。

昨夜のサイエンスZERO「天然の治療薬・脂肪に潜むスーパー細胞」ではそのASCを取り上げていた。
今まで脂肪組織は単なるエネルギー貯蔵庫と考えられていたが、近年、様々な生理活性物質を産生・放出する大切な内分泌器官であることが分かって来た。その生理活性物質の担い手が上記のスーパー細胞・ASCである。ASCには骨・神経・筋肉などの細胞に生まれ変わる能力がある。さらには自ら病気の患部を探り当て、治癒を助ける薬のような物質を放出する機能を持っている。

ASCによる筋肉、脂肪層、軟骨、骨などの損傷の治療効果は素晴らしい。様々な血行再建、心臓の心筋再生、変形性膝関節症、脊椎損傷、尿失禁、肝障害、腎障害、膵障害、膠原病、アルツハイマーのアミロイドβの分解、糖尿病、歯槽膿漏による顎の損傷した顎骨の修復、クローン病による瘻孔形成修復と多くの病に効果が期待される。

外傷や手術による脂肪組織や骨の欠損は患者に外観上の苦痛を与えている。それに対して、例えば乳がん手術後の乳房の欠損では脂肪組織を注入して修復していたが、脂肪組織に血管形成が難しいために定着率が悪かった。しかし、脂肪組織とASCを同時注入すると、脂肪組織内に血管新生が促され高い定着率が得られた。

骨欠損に対しては欠損部にASCフィブリン糊を投与し整復した治癒例がある。
脊椎損傷における神経の再生も期待できる。
心臓疾患の弱った心筋の強化、尿失禁の原因の弱った括約筋の強化、変形性膝関節症の軟骨損傷修復、脊椎損傷での神経組織修復では、その患部にASCを直接注入することで大きな効果が期待できる。

ASCは体内でミクロの治療ロボットのように自ら患部を捜し出し治療する働きがある。
体内の損傷箇所はSOSに相当する物質を放出している。注入されたASCは患部が発信したSOSを感知して、血管内壁を転がって損傷箇所へ辿って行き、血管壁から損傷箇所へ侵入して、修復物質のサイトカインを放出して修復する。番組では肝障害のマウスにASCを注入して、ASCが肝臓の損傷箇所に集まって修復している様子を見せていた。

ASCにはiPS細胞ほどの万能性はないが、皮下脂肪に大量に含まれていて安全性は高い。 ASCには免疫抑制効果もあり免疫異常が原因の関節リウマチや膠原病にも治療効果がある。

痩せる為に腹部の皮下脂肪の吸引する方法がある。従来は、吸引した脂肪組織は無駄に捨てられていたが、これからはASCを取り出して有効利用することが考えられている。

従来、ASC同様の幹細胞は骨髄から採取されていた。それには全身麻酔が必要で苦痛が大きく危険もあった。しかし、皮下脂肪の採取は格段に安全で簡単だ。更に、皮下脂肪からは骨髄組織より1000倍多く採取できて、皮下脂肪由来のASCは機能もはるかに優れている。

ASC効果が期待できるのは皮下脂肪で内臓脂肪ではない。成人病を悪化させる内臓脂肪は従来通り減らすべきだ。成人病で苦しんでいる方は、今はできるかぎり悪化を防いで、5年待てば完治が期待できる。

いずれにしても皮下脂肪は贅肉などと馬鹿にできない、大切な内分泌器官の一つだった。

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大雪の翌朝の奥秩父山塊。

昨夜は朝までアイスダンスのショートを見ていて寝不足だ。これは順位に関係なく楽しめる。カナダ、米国、イタリー、フランス、ロシアと、いずれも女優として通用するほど美しい。比べるとシングルのフィギュアスケートは難易度を競うばかりで楽しめない。この素晴らしい競技を日本のマスコミがあまり取り上げないのは残念だ。今夜はアイスダンスのフリー。これは見逃せない。またもや寝不足が続きそうだ。

フィギュアスケートのシングルは見ていて辛くなる。格闘技も野球もサッカーも水泳も、力が強くて技術があれば勝つので、無心に応援できる。しかし、採点競技は心のどこかで相手の失敗を願っていて、応援した選手が勝っても罪の意識が残る。

オリンピックの選手たちの青春は「ロミオとジュリエット」の中世の群像を想い起こす。金メタルを目指して19歳の羽生と競ったパトリック・チャンは大人びて見えたが23歳の若者だった。老成していると思ったジャンプの葛西選手は41歳とまだ中年の域ではない。スポーツ全般、どれも選手生命はあっという間に終わって、引退後に第二の人生が始まる。


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子供たちが後ろの林から枯れ枝を運んできて作った隠れ家。
まるで、現代アートのインスタレーションみたいだ。
--現代アートにおける芸術的空間--
右下の芝生からツグミが不思議そうに見上げていた。

ベンチで休んでいると、冷たい空気の中を小さな薄茶色の蛾が優雅に舞っていた。外敵の少ない厳冬期に活動するフユシャクガだ。はかなげに舞う姿に冬の妖精のような気品を感じた。

ベンチでお茶を飲みながら空を見上げていた。この10分ほどの時間に幸せを感じる。
空を見上げながらふいに、10年前の7月の青空を想い出した。

91歳間近の母を車椅子で駒込病院へ連れて行った。前年11月に肝臓ガン手術を終えて最後の診察だった。近所の病院で引き続き診てもらうために、担当メンバーの一人の若い医師に紹介状を書いてもらった。彼には母は愛着のある患者だったようだ。

「具合が悪い時はいつでも来て下さい」
医師はエレベーターまで見送りながら何度も母へ繰り返していた。

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もう、駒込病院に行くことはなかった。田端駅へ下る深い切り通しの手前、白竜山東覚寺境内に赤紙仁王堂がある。入り口両側の巨大な二体の石像には病快癒の願いの赤い紙がみの虫のように貼付けてある。仁王堂をお参りして、無事に迎えられたことを感謝した。

途中のコンビニで買ったアイスクリームを仁王堂の日陰で母と食べた。見上げると澄み切った青空に真っ白な雲が流れていた。その時、肝臓ガンを乗り切った安堵感をひしひしと感じた。

赤羽駅前の赤羽市場で昼食用にアナゴ寿司を買って帰ると、母はとても美味しそうに食べていた。そのような母の食欲を見るのは、その頃までで、以降、年々衰えて行った。

心地よい記憶は、人生って良いなと感じさせてくれる。もし、10年後まで生き延びていたら、同じベンチでお茶を飲みながら、フユシャクガを眺めていたその時間を、あの時は幸せだったと振り返るのかもしれない。幸せは大上段に構えるような凄いことにはない。ささやかで平凡な時間にあるようだ。

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昨夕の夕日。
夕日の左手に薄く富士のシルエットが見える。

先日、故郷の漁師町大堂津をストリートビューで開くと、以前は縦断する国道だけの表示だったのに、狭い路地裏まで緻密に撮られていた。Googleは流通や車の自動運転への利用を見越して、更に地図情報収拾に力を入れているようだ。

地図情報は流通の成否を決める。アマゾンは無人ヘリコプターで注文品を配達することを考えている。日本では厳しいが、広大で庭も広い米国ならいち早く実現しそうだ。

今の郷里は記憶と随分違っている。広々していると思っていた道路は路地裏のように狭かった。見上げるように高く感じたお寺の石垣は、今なら簡単に上れるほど低い。昔、畑や田んぼだった所にも住宅が建ち、宮崎や日南市内のベットタウン化が進んでいた。

ただ、町外れの高さ2mほどの不動明王が昔の記憶とまったく同じ姿で、花を供えて大切に祭られていたのには安堵した。

不動明王は20センチほどの薄い石造りで、前後に倒れそうに立ててある。その不動明王が倒れたら、町は滅びるとの言い伝えがあった。だから、子供たちはお詣りに出かけては、ちゃんと立っているのを見て安堵していた。

先人はわざと薄く、大地震で倒れるように石像を作ったのだろう。倒れるほどの地震が起きれば大津波がやって来る。その地方には大津波の伝承があり、地震の後海水が引いたら裏山に逃げるように年寄りから日頃教えられていた。これから確実に起きる東南海地震では、その地方を6mを越す大津波が襲う。

ストリートビューで見ると寂しいくらいの田舎だった。両親がこの地の知人たちに誘われて引っ越して来たのは終戦直後だ。
「米はないけど、魚でも野菜でもたっぷりあるから」
北九州で焼け出され食糧難に喘いでいた両親は、知人たちの熱心な誘いに惹かれてこの町へやって来た。

都会育ちの両親には寂しい田舎だっただろう。しかし、私たちには天国のように楽しい土地で、毎日、友だちと遊んで過ごしていた。その頃の我が家の記憶は、白熱灯の暖かい光の下、10人近い大家族のにぎやかな食事風景だ。
「あの頃は大変だったけど、子供たちがいたので、とても楽しかった」
母は晩年までよく話していた。

その頃、可愛がってもくれた近所のおばあさんから、先日電話があった。その頃は若いお嫁さんだったが、今は80過ぎだ。彼女が電話しているイメージは、広い土間に黒光りする上がりかまち、その奥座敷で話している姿だった。

しかし、現実のストリートビューに映っていた彼女の住まいは、白いモルタル塗りの今時の住宅で、多分彼女は、洋間の椅子に腰掛けて話していたのだろう。その現実と記憶の落差には軽いショックを覚えるほどだった。

60年前の記憶にある建物を探したが見つからなかった。ただ、お寺の石垣の上に並んだ石仏と神社の御影石作りの鳥居と鉄道の鉄橋など、かろうじて昔のままだった。そして変わらないのは山や川だ。アサリを採った河口や、シジミ採りをした清流は昔と同じ姿だった。

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