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2014年3月22日 (土)

虚脱感に囚われていたが、高級陶器をゴミ置き場で拾ったら雲散霧消した。14年3月22日

昼間は、早足で散歩すると汗ばむ程に暖かかったが、日が落ちると急に冷たくなった。桜の開花は来週末あたりになりそうだ。

夕暮れに散歩する時は、条件反射のように「アメージング・グレース」を聞く。
そのきっかけは26年前の絵描きへ転向した頃にさかのぼる。
当時、43歳の私は高収入の職人仕事から絵描きから転向したばかりだった。
無我夢中で制作に励んでいたが、世に認められるとは全く思っていなかった。

日が傾き始めると、毎日のように荒川土手へ出かけ、アメージンググレースを聴きながら日本酒の小瓶を飲んだ。荒川土手近くに東京で唯一の醸造所の小山酒造がある。酒はそこの出店で買った。ほろ酔いで眺める夕日は実に大きく眩しかった。

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雪の残る奥秩父の山塊。

絵描きとして生活できる宛は皆無だったのに、その頃の私はのんびりしていた。それは私が若かったからだけではなく、社会全体に活気があったからだ。当時の日本人の多くは、頑張れば何とかなる高度成長期の楽天主義を色濃く身に付けていた。

それから1年間、必死になって絵を描いて青山で初個展をした。
個展費用に加え、100万ほどかけて立派なDMをつくって大量にばらまいた。すると、投下した何倍もの額で絵が売れた。そして、広告用イラストの仕事が殺到した。私は好きな仕事だけを選び、嫌なものは断った。そのような高収入の生活は、それから4,5年は続いた。

絵描きの前の仕事はフランス系の彫金の仕事だった。
私の師匠は美智子妃のティアラ制作の最重要工程を任された名人だったが、そのことは以前ブログに書いた。読んでみたい方は「美智子妃 ティアラ」で検索すればトップにヒットする。

師匠の師匠は旗本末裔の型彫り師で、大正初期にフランス留学して洋式彫金の技術を身につけた。型彫りとは金銀をプレスで成形する型を作る伝統的な仕事で、鉄の固まりを彫る精緻な仕事だ。
帰国した彼はフランス彫りと日本の伝統工芸を融合させ、宮内庁御用達にも選ばれる彫金界の第一人者になった。

彼の一番弟子が私の師匠で大変な名人だった。
師匠と比べると私の技術はかなり落ちる。私には絵描きへの愛着があり、本気で研鑽をしなかったことに原因があった。しかし、伝統工芸は子供の頃から大好きで、そちらは独学で高度な技術を身につけた。

そのような私が絵描きに転向すると宣言した時、母も兄姉も大賛成した。しかし、仕事関係の知人たちは「わざわざ高収入を捨てて、貧乏絵描きになることはないのに」と押しとどめた。

私は捨て身で絵描きに転向した。だが、生活への不安は払拭できず、夕暮れが近づくと荒川土手へ出かけて、ほろ酔い気分でアメージンググレースを聴いた。荒川上流に沈む夕日はガンジス川に沈む太陽のように心に染み入り、今も鮮明によみがえる。

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散歩道で見かけた女の子。あんまりに魅力的なので、振り向き様にシャツターを押した。だから、画像がぶれてしまった。

あれから一瞬で26年が過ぎた。
絵描きとしては認められたが、収入は転向当時の数分の一以下に減った。その間に日本の経済力は数倍に膨らんでいるのに、文化への投資が激減してしまったからだ。

デザインも絵画も彫刻も、当時と比べると美大生は未来を持てなくなった。生活ができない美術系を男子は見限り、美大は女子学生ばかりになってしまった。

高収入を得ていた彫金職人の殆どは海外の安い商品に押されて失業し、タクシー運転手や夜警や清掃などの異業種に転職した。

欧米では建築物に投下される資金の1%が美術に振り分けられて、アーティストの生活を保障している。殊に、フランスでは安価な家賃のアトリエ付き公営住宅が提供され、日本のように住まいが狭くて制作できない作家の不幸はない。

私は家賃12万の一人では広すぎる公団住宅にいるが、制作場所と作品の置き場を確保する為に分不相応に無理している。

以前、某政党の中堅議員から、欧米並みに芸術家を支援する法案を通すための協力を依頼された。快諾して、私なりに動いたが法案は通らなかった。もっとも、成立したとしても、今あるクールジャパンの活動費の使い道を見ていると、コネのある作家が優遇されるだけの旧弊から抜け出すのは難しかったはずだ。

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赤羽商店街は飲屋街に変わった。
近所にダイエー、西友、イトーヨーカ堂、と大型スーパーが進出したおかげで、昔日のにぎわいはなくなった。

商店街は急速にシャッター通りに変わって行ったが、その空き店舗が次々と飲食店に変わり、今は情報誌で紹介される程の歓楽街に変わった。

写真右手は今も八百屋を続けている「八百八」。道路向こう右手にうなぎで有名な「まるますや」がある。昔は気楽に入れたが、今は超人気店になっていつも行列している。

S_2S_3S_4「グーが来た」を完成させてから虚脱感に苛まれている。
やるべき予定は沢山あるが、10年近く、いつも頭において続けて来たシリーズ絵が終わったのだから仕方がない。

滅入った気分で、不燃物ゴミを専用置き場へ捨てに行くと未使用の食器類が捨てられていた。
包みを開いて糸底のマークを見ると良品だった。

花模様の浅いボウルは英国ウェッジウッドのボーン チャイナで、売値5000円程。多分、結婚式などの引き出物で、使われないまま捨てられたのだろう。フリーマーケットで1000円で売れば直ぐに売れそうだ。

下はパリ・ジバンシィのデザインで日本のヤマカが制作したもので、売値1500円ほど。

私の住まいは中級だが、それでもそのようなものが常時捨てられている。もし車の運転が出来るなら、高級住宅地を回って良いものを拾い集め、いい商売をやれそうだ。

そんなことを考えていると、いつの間にか虚脱感が消えてなくなった。
悩みは心の隙間に何かを入れると解消したりする。失恋には新しい恋人。失業には就職。それが総てではないが、人の悩みは意外に物理的に解消する。

カボチャと小豆の羊羹できんつばを作った。
白玉粉の皮なので、モチモチ感がありとても美味しい。
普通のきんつばは小麦粉の皮なので焼くのは簡単だ。
白玉粉の皮は粘るので意外に難しい。しかし、抜群の美味しさだ。

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