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2014年3月30日 (日)

宿場町の怪談。14年3月30日

生暖かい。風雨が強く傘が何度も壊れそうになったので散歩は早々に引き上げた。

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数日前、下の新河岸川を下って行く船。この時はのどかな春日和だったのに、今日は激変した。

仕事の締め切り前でブログを書く暇がない。それで、昔の文を引っ張り出して載せた。現実と夢が入り交ざっているので、そのつもりで読んでいただきたい。
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       「掘り割り」

 40数年前、彫金職人だった頃、東京北部の旧宿場町に住んでいた。
その街には昔の商家が残り、中央に深い掘り割りがあった。

その老人と出会ったのは初夏の頃だ。
掘り割り沿いの遊歩道の縁台で、彼は刻みタバコをくゆらせていた。
頭を剃り上げ、ステテコに糊のきいた浴衣地の甚兵衛を軽く羽織った姿は涼しげに見えた。
老人とは何度か会ううちに、軽く会釈を交わすようになった。

ある暑い午後、汗を拭き拭き歩いていると、縁台でお茶を飲んでいた老人が呼び止めた。
「にいさん、休んでいきなよ」
老人は席をずらし、縁台のゴミを手ぬぐいで軽く払った。
恐縮しながら腰掛けると、老人は薬缶から冷たい麦茶を湯飲みに注いでくれた。

二人で川面を眺めながら麦茶を飲んだ。
涼しい川風が深い掘り割りから吹き上げた。
「いい風ですね」
つぶやくと、老人は「ああ」と応えた。
それをきっかけに、老人と話すようになった。


 その日は納品があったので、散歩は夕暮れ前になった。
ぼんやり歩いていると、ふいに後ろから老人に呼び止められた。
これから飲みに行くから付き合えと言う。
仕事が終わって、一杯やりたい気分だったので喜んで応じた。

居酒屋は掘り割り沿いの遊歩道を少し上った木立の中にあった。
その道は毎日歩いていたのに、私はその店を知らなかった。
老人は慣れた手つきでのれんを跳ね上げて入った。
磨き込んだ板壁に戦前の赤玉ポートワインのポスターが飾ってあった。
「おーい。いないのか」
老人は奥に声をかけた。

現れた浴衣姿の女は三十前後で色白の目元が涼やかな人だった。
女は黙ってカウンターにコップを置いて冷や酒を注ぎ、焼き茄子などをキビキビと並べた。

小一時間飲んでいたが、他に客は来なかった。
老人は飲みながら、戦前、隅田川沿いの造船所で船大工をしていたとポツリポツリと身の上話をした。女は終始、笑顔で頷くだけで何も喋らなかった。

「かあちゃん」
奥から子供の声がした。
「あら、起きたみたい」
その時初めて、女の下町言葉を耳にした。
小粋で艶っぽい声だった。

女は奥から3歳ほどの男の子を連れて来た。
「こいつ、俺のガキなんだ」
老人は嬉しそうに男の子を抱き上げた。
「まさか、そちらの方は "おれの嫁さんだ" とでも言うんじゃないでしょうね」
冗談めかして言うと、「その、まさかなんだ」と、老人は真顔で答えた。

老人と飲んだのはその日だけだった。
それからも散歩は続けたが、その日を境に老人と出会わなくなった。
居酒屋で聞けば彼の様子は分かると思ったが、一人で訪ねるのは気が引けた。


 夏の終わり、縁台に腰掛けている老人と久しぶりに出会った。
老人はいつものステテコ姿ではなく、麻の上下にパナマ帽と盛装して、別人のように見えた。

「これから、三人でお出かけだ」
老人は嬉しそうだった。
立ち話をしていると、遠くで着物姿の女と子どもが手を振っているのが見えた。
「じゃあ、元気でな」
老人は軽く会釈して去って行った。

夕暮れの道を親子三人が仲睦まじく歩いていくのを見送ったのを最後に、老人とはプッツリと出会わなくなった。
居酒屋で様子を聞いてみようと、掘り割り沿いの道を何度も往復して探したが見つからなかった。
老人の家は知っていたが、訪ねて行くのは大仰に思えて止めた。
それから散歩コースを変えたので、老人たちのことは次第に忘れて行った。


 翌年の夏、思い立って、掘り割り沿いの道を歩いてみた。
老人に挨拶しようと、彼に聞いた記憶を辿って家を訪ねると取り壊され駐車場になっていた。

隣家のおばあさんに老人の消息を聞くと、最後に会った去年の夏の終わりに亡くなっていた。
驚いて奥さんや子どものことを聞くと怪訝な顔をされた。
「お嫁さんとお子さんは戦争中、出征している間に東京大空襲でを亡くなられましたよ。それ以来、あの人は独り身だから家族はいないはずです」
おばあさんは昔のことを思い出しながら話した。
居酒屋のことも聞いてみたが「そんな場所にお店があったかしら」と、首をかしげるばかりだった。


老人と書いたが、今の私と変わらない歳だ。
当時は老人に見えたが、今の自分も彼と同じくらいに老いているのだろう。
当時は戦争の生き残りが多勢いて、戦争の悲惨さがあちこちに記憶されていた時代だった。

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