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2014年3月 5日 (水)

老いの苦しみは、否定したり、老いに価値を見いだそうとすることから始まる。そして富士噴火。14年3月5日

散歩をしながら、いつも誰かと独り会話をしている。
相手は先に逝った肉親や知人たちだ。
「正喜は親孝行だからきっと良いことがあるよ」
母は生前、車椅子を押す私に言っていた。母の言葉は当たって、死別してから2年ほどは奇跡的に絵が沢山売れた。

「良いことは出尽くしたのかな」
散歩をしながら心の中の母へ話しかけた。
「もっと良いことが、これから待っているよ」
母は応えたが、良いことは早く起きてくれないと先がない。
「信じることにする」
つぶやくと母は笑っていた。

様々な督促状は日常的に届くが、納期の限界までは安泰だとポジティブに考えている。若い頃は定職を持っていて、収入が途絶えるなど想像もしなかった。しかし、絵描きに転職してからは収入が途絶えるのは当たり前で、無駄な買い物はしなくなった。毎日の買い物は、散歩道のお店を全部チェックして、帰りに最安の品を選んでいる。だから、一般主婦より遥かに買い物上手だと思っている。

そんなストイックな生活ができるのは、好きな仕事をしているからだ。豊かで安定した収入があれば失うものも大きい。好きな仕事なら収入が激減しても満足感は大きい。世の中はバランス良くできているものだ。


朝から寒い雨。今日のNHKひるブラは横須賀市のワカメ漁。現地から実況の横須賀の海も寒い雨。ゲストの市川紗椰が手がかじかむと言っていた。市川紗椰は米国人の父を持つハーフのモデルだが、言葉使いも箸使いも美しい日本的な楚々とした佳人だ。

知らなかったが三浦半島は鎌倉時代から続く良質な海藻の産地だった。ワカメ漁55年の老人の笑顔が良い。誠実に一生懸命生きて来た海の顔だ。よく考えたら、彼は私と殆ど同じ歳だった。私は一人暮らしになってからあまり笑わなくなった。嘘笑いでも精神的に良い影響がある。これからは少し努力してみよう。

港の海面を打つ雨粒の波紋が美しい。岸壁にしつらえられたテーブルにはワカメだけでなく、ワカメを食べて育ったサザエ。そして、そのサザエを食べて育ったマダコ。それらを使った地元料理はどれも美味しそうだった。


10日ほど続いていた胸骨辺り痛みが少し治まって来た。葛根湯を飲み、鎮痛剤のフェルビナクを塗って仕事をセーブしてのんびり眠ったおかげだ。

重篤ではない胸痛と判断したのは、咳や息切れがなく、食物の嚥下や呼吸とは無関係だからだ。もし呼吸に関連していたら心肺の異常が考えられる。食物を飲み込む時の胸骨辺りの痛みは食道がんと関連がある。私の痛みは筋違いした時の痛みに似て、体を動かした時に痛む。

仕事と言っても出版の宛のない絵本制作で、10年ほど前からポツポツと描き貯めて来て、明日にも完成する。少子化の影響で日本の絵本の世界は大変厳しい。良いものが完成したとしても採用の見込みはない。それでも好きで描き続けた作品で、完成となると一抹の寂しさがある。これは私の人生を集大成するもので、思いついては描き加えて来た長い年月を振り返ると懐かしい。

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3日前の春の空。
この雲は雨雲の前触れ。

親友が急性硬膜下血腫で倒れ入院した。去年の暮れに彼は転んで頭を打ち一瞬記憶を失くしたと話していた。精密検査を受けるようにうるさく言ったが、もう何でもないからと本人は放っておいた。事故から1ヶ月ほど過ぎて、猛烈な頭痛に襲われて、救急車で運ばれたら頭の硬膜下に出血していた。

退院してから直ぐに電話があり、頭の左右二カ所に穴を開け、溜まっていた血液を500cc抜いたと話していた。脳の損傷はなく、他の後遺症もほとんどない。頭の傷を見せてやると言っていたので、近く見舞いに行くつもりだ。

硬膜下血腫の頭痛は自殺したくなるほど激烈で、それを止める特効薬は2時間の効力しかないと彼は話していた。しかも、その特効薬は一生で飲める限度は10錠。だから、処方される時は、助かる見込みがない重病だと思ってよい。

この先、私も彼と似たような状況に追い込まれることがあるだろう。私は彼のように家族がいないので、重篤だと思ったら助けは呼ばず自然死を選ぶつもりだ。しかし、借家で死んでは持ち主に迷惑をかける。他に良い最後の迎え方がないか考えている。

同年代の知人たちからの電話は大抵病気の報告か訃報だ。ガン、膝・腰痛、糖尿に肝臓に諸々の成人病と少々重篤な知らせを聞いても驚かなくなった。私も治療必要な病気を幾つも抱えている。ただ、厳格な生活コントロールをして普通を維持しているだけだ。

老いは誰にでも否応なく訪れる。
老いを考えると、終末期医療の世界的権威のキューブラー・ロスの言葉を想い出す。
「自分を愛すなんて馬鹿馬鹿しい」
彼女が老いに倒れた時の言葉だ。老いの苦しみは、老いを否定したり、老いに価値を見いだそうとすることから始まる。彼女はそれらを馬鹿馬鹿しいと否定することで、素直に老いを受け入れられたのだろう。私は何が起きてもただただ良い人生だったと思っている。

良い人生を考えていると、40年以上昔、上野不忍池のアイスキャンデー売りを思い出した。風にはためくアイスの旗が明るい陽射しにキラキラ輝いていているのを眺めていると、とても幸せな気分になった。

それは自転車の後ろにアイスボックスを積み、鐘を鳴らして街を売り歩いていた懐かしいスタイルだ。その頃は郷里の九州でも姿を消していたので、とても珍しかった。

客は不忍池のボートで、湖上から注文すると、長い柄の網にアイスキャンデーを入れて渡した。昔はそのような小さな商売が無数にあり、失業のセーフティネットになっていた。今はそのような小さな商売は壊滅し、行き先をなくした者たちは生活保護へ向かっている。

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昔描いた、おおおとこエルンストシリーズ「エルンスト海へ行く」小学館、の一場面。
右下にアイスキャンデー売りを描いた。

3月11日の震災記念日が近づくにつれ、地震関連の番組が増えた。私が生きているうちに次の大地震は起きないと思っている。しかし、富士山噴火には遭遇するかもしれない。

869年7月9日に起きた貞観三陸地震M 8.3〜8.6から9年後の878年10月28日に、相模・武蔵地震-M 7.4が起きた。更にその8年後の887年8月26日に 仁和南海地震・M 8.0〜8.5が起きて、東南海・東海地震が連動し、東海から紀伊半島にかけて巨大津波が襲った。

貞観三陸地震の5年前の864年に富士は大噴火して溶岩流が青木ヶ原を作った。今回は富士の大噴火は三陸地震の後に起きる訳で、何時起きてもおかしくない状況だ。

火山噴火は地震より予知は容易だ。噴火が間近になれば警報が出るはずだ。噴火すれば東京での降灰予想は2センチ。火山灰は5ミリの降灰でも都市機能は麻痺する。2センチも降れば、総ての交通、水、電力の供給は長期に止まる。だから、各家庭は2週間ほどの水、食料の備蓄が必要になる。私は元気だったら、1週間分の水と食料を背負って、歩いて東京を脱出するつもりだ。

これから起きる大災害のことを考えていると、2010年に死んだ母の晩年は実に穏やかだった。人生前半の厳しい戦中戦後をしのいだ後は右肩上がりの高度成長期に入った。そして、医療費無料と恵まれた時代を享受し、最期は私に看取られて在宅で静かに逝くことが出来た。

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