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2014年4月22日 (火)

宇宙は生まれたてなのに、太陽の命は直ぐに終わる。ストラディヴァリウスは奇跡の楽器。14年4月22日

新しい仕事の立ち上げに忙殺されていたら、5日間ブログを休んでいた。書かねばとの強迫観念はないが、3日休むと、友人たちが孤独死を案じて電話して来る。だから、これ以上は休めない。

ブログは休んでも散歩は絶対に休まない。私に取っての散歩は生きることと同じだ。新緑の今は、若葉寒むの風雨に晒されても、たとえようがないほど清冽で、生きている実感がする。

今日は小雨の中、東京北社会保険病院の庭で休んだ。
熱いお茶を飲みながら、芝生の向こうの新緑の木々の梢と暗い空をぼんやり眺めていた。

今朝は7時に目覚めたが直ぐに二度寝をしてしまった。二度寝で見た夢に母が出て来た。
「正喜と暮らせて、本当に楽しかった」
母が笑顔で話しかけた。
「一人暮らしのオレは楽しくない」
私は、そのようなことを言った。
「それは思い違い。正喜は正喜といつも一緒なのだから、いつも楽しいはずよ」
母は変な慰めをした。

夢での会話は午後の散歩まで覚えていて、病院庭のベンチで小雨に打たれながら、ぼんやりと反芻した。自分のことは嫌いではないし、自分程に気の合う相手はいない。その相手と死ぬまで一緒なのだから、幸せなのかもしれない。そのように自分に言い聞かせたが、納得するには無理があった。


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モクレン。

前夜は、Eテレの地球ドラマチック・星・宇宙の神秘・誕生から死まで、とスーパープレゼンテーション「18分でわかる宇宙の歴史」を仕事をしながら聞いていた。

この宇宙は誕生してから137億年。宇宙誕生から90億年後に地球に生命が生まれた。宇宙の寿命は数兆年だから、今の宇宙は生まれたての元気な盛りだ。

元気な盛りにしては、地球の衰えは早い。46億年の地球の生命の歴史の最後の一瞬で生まれた人類が、早くも衰退し始めているからかもしれない。

この宇宙時間では、太陽系はすぐに老いて死を迎える。宇宙から見ると太陽系の一生など取るに足らない一瞬のことで、星々は死んでは生まれ、その膨大な繰り返しを経て、数兆年後には宇宙は漆黒の闇になる。

と言っても、それは我々が属しているこの宇宙のことだ。現代物理学では私たちが住んでいるような宇宙が10の後に0を500個並べた数ほどあると言う。そんなことを考えていると、人の一生など無に等しく思えた。


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緑道公園の新緑。
ピンク色はハナミズキ。

ETV特集「ストラディヴァリウス・魔性の楽器・300年の物語」は以前放映されて好評だった。先日の深夜、それに未公開の映像や演奏を加えて再編集した89分版を放映していた。出演していたバイオリニスト・五明カレンが実に可愛い。

ストラドの音はボーズのスピーカーをつないで聞いた。専門的なことは言えないが、音質が実に豊かで優しいことが印象に残っている。番組の演奏者たちによると、ストラドは優れた演奏者が弾き続けることで更に良い音になるらしい。だから、長い間、弾かれずに仕舞っておくと本来の音が出なくなると、まるで生き物のようだった。

42チャンネル同時デジタル録音での計測では、ストラドの音は一般のバイオリンより斜め上に強い指向性があった。優れた音質は特殊なニスにあると言われていたが、今は木質にあるとされている。ストラドをCTスキャンをすると、空間内に立てられた魂柱を境に、前後の容積がぴったりと二分されている。表板も盛り上がった部分が最薄で、従来考えられていた構造とは違っていた。使われていた木材スプルースは小氷河期に木質が緻密に育ったもので、音特性に優れていた。

番組で初めて知ったのは、彼が登場した17世紀のバイオリンは室内楽の為に作られていたので音域が狭かったことだ。
後年、オーケストラの登場で音域を広げる必要に迫られ、当時のバイオリンに、指板を長く駒を高く、ネックを強く反らせる大改造が行われた。その時、弦も強く張られた結果、殆どの古いバイオリンは耐えられずに壊れて消えたが、ストラドだけは極めて頑丈で大改造に生き残った。ストラドは卓越した技術に様々な奇跡が加わって生まれた楽器だった。

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路傍のスミレ。

電子ニュースで、米国南部ミシシッピ州の州都ジャクソンを訪れた特派員記事を読んだ。現地の失業率は高く、広がる地域格差の寂れた代表の街だった。

早速、アメリカ・ミシシッピ州・ジャクソンでストリートビューで見てみると、記事にあったように目抜き通りのレンガ造りの商店の殆どは荒れ果て歩いている人はいない。延々と辿り続けていて、唯一開いていたのは安食堂だけで、朝食が数ドルと走り書きされた看板が侘しかった。

住宅街も空き家だらけで荒れ果て、ふいに現れる、よく手入れされた庭と立派な建物は総て教会だった。それほどに、この街は心を病んでいるのだろう。

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赤羽台団地の古い建物。
直ぐに取り壊され、味気ない今風の高層に建て変わる。

朝日系の電子ニュースに、日韓日中反目の原因は総て日本側にあるとあった。内容は日本側が約束を破り軍国主義に走るから韓国中国が怒っている、とあちらのマスコミと同じ論調だった。あの新聞社が反政府なのはかまわないが、自分たちが犯した明白な過去の誤りをまったく反省しない姿勢には憤りを感じる。

昭和30年代の頃、郷里の日向灘に面した海岸でゴムボートがよく発見された。北朝鮮の諜報員が上陸した痕跡と噂されていたが、警察が本気になって捜査したり、マスコミが熱心に追跡した形跡はなかった。今になって分かったのは、そうやって上陸した北朝鮮工作員によって日本人拉致が行われていたことだ。その頃、社会党などの左翼勢力が警察捜査や警備強化の妨害をしなかったら、今程に大きな拉致被害は起きなかった。

当時は、北朝鮮や中共は理想国家で、批判をすると朝日新聞や社会党などが、軍国主義復活だとつるし上げた。そのような傾向は昭和50年あたりまで強くあった。当時、小学校の教頭をしていた同窓生は、問題を起こした在日朝鮮人の子供の頭を「だめだぞ」とポンと叩いたら、社会党議員と日教組が差別的暴力だとやって来て、彼は暴力的に糾弾された。去年の同窓会で会った時、彼はそのことを突然に思い出して憤っていた。


先日、見た昭和37年制作「キューポラのある街」でも、左翼よりの教師たちは、北朝鮮帰還事業を理想国家建設と賛辞していた。今、映画を見ると、帰還した少年サンキチの病弱な父親・浜村純は、あの過酷な国情では直ぐに死んだだろう。

帰還者たちが到着した荒涼とした北朝鮮の清津港に出迎えた先着の同胞たちが「俺たちは騙された。船から下りずにそのまま日本へ引っ返せ」と叫んでいたとのと証言がある。帰還した若者たちが平壌のホテルに泊まっている日本人左翼学者に「嘘の情報で自分たちを騙した」と抗議に押し掛けた記録も残されている。

私は生まれてからずーっと朝日に洗脳され続けて来たので、帰還事業は理想国家建設のためと大人になっても信じていた。従軍慰安婦問題でも、済州島で日本の官吏が路上で少女を拉致し慰安婦にしたと、事実無根の捏造記事を流布させた張本人は朝日だった。今思うと、中韓の反日運動の原因は、朝日を始めとする日本の左翼勢力のプロパガンダが元になている。しかし、彼らはまったく反省していない。

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