若い女性たちに蔓延する新たな貧困と、日田・女畑のお化けたち。14年4月28日
NHKスペシャル「調査報告・女性たちの貧困・新たな連鎖の衝撃」は、敗戦後の貧しい時代をよく知っている世代としては、本当の貧困にはほど遠かった。
独り身女性の3分の1は年収114万円。月収にすると9万5千円となる。確かに、一般女性と比べると貧しく、ケースによっては生活保護よりも低い。しかし、心身の健康を脅かすほどの貧しさではなく、十分に再起する余力は残されている。彼女たちに足りないのは、お金ではなく、強く生き抜く生活力のように思えた。
月収9万5千円は、韓国の大卒の初任給よりやや低い程度だ。今は日本と比べて韓国物価は安いとは言えない。更に、日本は国民健康保険など社会保険が充実しているので、実質収入は9万5千円よりかなり高い計算になる。盲腸手術程度の医療費で一般家庭が破産してしまう米国と比べても、安心度に限れば、ずっと豊かだ。
貧しい女性たちの時給は、東京では870円ほど。地方はぐんと落ちて時給670円ほどだが、物価や住居費が安い利点を加味したら、東京との格差は小さい。
それらから逆算すると、彼女たちは6時間労働を月に20日で、過酷な生活とは言えない。番組に登場していた地方の女性は小型車を持つゆとりさえあった。しかし、一泊2600円の劣悪なネットカフェに寝起きする状況は息苦しい程の貧しさを見せつける。
ネットカフェに長期滞在すると1600円に値引きされるが、月当たりにすると都内で木賃アパートを借りられる額だ。もし、一泊2600円を転々とすれば月に78000円となり、バストイレ付きのアパートが借りられる。そのことは彼女たちも熟知しているが、肝心の高額な礼金敷金を用意できないことで、底辺を蠢くことになる。
登場していた女性は、コンビニ弁当を1個買って一日過ごすと言っていた。私は弁当は一度も買ったことはないが、調べてみたらコンビニ弁当は500円前後だ。買い物や料理の時間がないと反論されそうだが、1日500円の予算で自分で調理をすれば、野菜たっぷり、タンパク質たっぷりの良質の食事が摂れる。
彼女たちの貧しさを強く印象づけたのは、劣悪な住居だった。彼女たちの生活を引き上げるには、礼金敷金不要の公共住宅を充実させることだ。土地は余っているし、アベノミクスで箱もの公共事業が復活している今はその好機のはずだ。
私が暮らす赤羽でも10年前から空き家が急増し、取り壊された空き地は駐車場に使われているだけで、殆どは遊休地になっている。地方都市での空き家率はもっと高く、日本全体で土地は有り余っている状態だ。
そのような遊休地を借り上げ、小規模公共住宅を建てて快適な住まいを提供すれば、彼女たちは心身ともに健康な生活を取り戻せる。心身が健康になれば、彼女たちは家庭を持ち子供を産む希望を持ち始める。それこそ、政府が声高にアピールしている日本再生に直結する方法だが・・・
連休始まりの公園。
静かな夜道を散歩をしていたらジンジンジンと何かが着いて来る不思議な音がした。立ち止まると止まり、振り返っても誰もいない。建物に自分の足音が反響して、そう聞こえたのかもしれない、と思いながら不思議な気分で帰宅した。
帰宅してから、何となく女畑(おなごはた)のお化けたちを思い出した。
女畑とは九州日田市の背後にある台地で、大変に肥沃な土地だったが水が乏しかった。
敗戦間近、建設省の技官をしていた父は、その土地に水を配水する国策の灌漑工事を監督していた。その頃、暮らしていた北九州は空襲が激しく、一家は父の赴任地の女畑へ疎開した。
昭和20年の厳冬、祖母は用事があって日田市内へ下山し、帰りは深夜になった。
祖母は雪が凍りついた山道を灯りなしで歩いていた。
すると、ゴロゴロと誰かが着いて来る音がした。始めは微かな音だったのに、歩くにつれ音は次第に大きくなった。
山の狸かキツネか化かしているのかもしれない、と祖母は思った。
祖母はお化けや迷信を信じる人で、タバコを一服すると、煙りが嫌いな彼らは逃げて行くことを知っていた。
祖母は路傍に腰を下ろして、キセルで一服した。すると音はぴたりと鳴り止んだので、祖母は安心して再び歩き始めた。
しかし、ゴロゴロ、ゴロゴロと音は更に大きくなって、どこまでも着いて来た。
祖母は怖くなって、走るように家に辿り着き、慌てて家に飛び込んだ。
「血相変えてどうしたの」
母は驚いて祖母を出迎えた。
祖母は土間の上がりかまちに腰掛けて、息せき切ってそれまでの経緯を話した。
すると母は大笑いしながら、祖母の足元の土間を指差した。
そこには雪の塊が凍り付いていた祖母のほどけた細帯が転がっていた。
祖母は細帯がほどけて雪道を引きずっていたのに気づかず、凍り付いた雪玉が次第に大きくなって音を立てていた訳だ。灯りがあればすぐに気づいたことだが、真っ暗な夜道だったので、祖母はキツネか狸に化かされたと信じてしまった。
もう一つは早春の頃の話だ。
母は赤ん坊の私を背負い、4歳ほどの裕子姉を連れて日田市内に下山した。
用事が終わると帰りは夕暮れ近くになっていた。
母は私を背負い、裕子姉の手を引いて歩き慣れた山道を急いでいると、突然に山道が途絶えてしまった。
目の前にあるのは木々が生い茂った小山で、道は山裾に吸い込まれるように消えている。
母は何処かで道を間違えたと思ったが、女畑の集落へは一本道で間違える訳がない。
母はキツネにでも化かされたのかと、立ち尽くした。
どうすれば良いのか考え込んでいると、小さな裕子姉が母に自信たっぷりに言った。
「大丈夫だよ。このまま行けるよ」
子供だった裕子姉は、先に立ってグイグイ小山の木々をかき分けて上り始めた。
母はあわてて追いかけて、裕子姉と小山を越えると、山向こうに、見慣れた山道が続いていた。
道々、いくら考えても、どうしてあんな所にや小山が出来たのか分からなかった。
やっぱりキツネに化かされたと思いながら、母たちは女畑の家に無事に帰り着いた。
翌日、その訳が判明した。
その前日まで続いた雨で地滑りが起きて、小山がそっくり山道に移動して出来たものだった。
普通の地滑りなら、小石が散らばっていたり、木々が倒れていたりするのだが、草地も木々もそっくりそのまま、何事もなかったように小山が移動していたので、母にはそれが理解できなかった。
しかし、小さな子供だった姉には、小山が路上に移動して来ても、少しも不思議な現象ではなかったのだろう。
「おおおとこエルンスト・学校へ行く」の教室の場面。
面白いニュースが郷里の隣の漁港、目井津(めいつ)からあった。
24日朝、目井津の漁師、山下善士(よしお)さん71歳は祥陽丸1・3トンに一人で乗って出漁した。
同日午後4時頃、日南市沖合約2・5キロでカサゴ漁をしていると、彼は横波を受けて海へ転落した。船に戻ろうとしたが、祥陽丸は無人のまま、勝手に自動操舵で港に戻って行った。
目井津では無人の船が戻って来たので大騒ぎになり、すぐにヘリなどで捜索したが山下さんは見つからなかった。その夜、妻はてっきり海難で亡くなったと思い、福岡に住む長女を呼び寄せ、漁師仲間と葬式の準備を始めた。
そして翌25日朝4時、死んだはずの山下さんが突然タクシーで帰って来た。
「タクシー代を支払ってくれ」
彼に言われて家人たちは幽霊だとびっくり仰天した。
自動操縦の船に置いてけぼりになった彼は、冬用のチョッキ型救命胴衣を着ていたので寒さと浮力の心配はなかった。彼は泳ぎ疲れると仰向けになり、波に身を任せて休んだ。幸い風が陸向きに吹いていて、約2時間で陸に泳ぎ着いた。しかし、疲れ果ていた彼はその場で寝てしまった。
どれくらい寝たかは覚えていないが、起きたら真っ暗だった。彼は国道を裸足で歩いてコンビニに着き、タクシーを呼んでもらった。
「大変だったが、トライアスロンをしたと思えばいい。港に帰ってきた船も偉かった」
それが帰還した本人の弁だった。
それにしても冬用のチョッキ型救命胴衣に自動操縦で自分の港へ勝手に帰港してしまう船と、最近の漁師は随分ハイテクになったものだ。
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