命と向き合う瑞穂農芸高校畜産科の女子高生たちと旭山動物園園長の対比。14年5月13日
先週のフジテレビ深夜で都内で唯一の畜産科がある東京都瑞穂農芸高校を紹介していた。畜産科は女子に大人気で、普通の女子高生が家畜を糞と泥にまみれて肥育し、屠殺から解体作業まで真摯に取り組んでいた。
新入生一人一人にひよこが与えられる。彼女たちは名前をつけて可愛がって育て、成体になったら自分で絞めて解体し、自分たちで美味しく食べていた。彼女たちは、今時の子がよく口にする「可哀想」を決して言わず、美味しくいただくことが育てた鶏に対する感謝だと語っている。
鶏を殺すには頸動脈を切って、逆さにして血を抜く。すると鶏は瞬時に気を失い、苦しむことなく速やかに死ぬ。しかし、心優しい生徒の一人は、思い切って首に包丁を入れられず、苦しみを長引かせてしまい、深く後悔していた。彼女は次は、思い切って鶏の頸動脈を切るだろう。
種豚からの人工受精用の精液採取を、女子高生たちは淡々とこなしていた。生徒たちは精液をメス豚に注入して受精させ、生まれたオス豚の去勢の実施教育も受けていた。オス豚やオス牛は筋肉質で食肉に向いているので、去勢すると柔らかく美味しい肉がつく。
彼女たちは心を込めて鶏や牛豚を優秀な食肉用に育て出荷していた。彼女たちは情実には流されず、子牛や子豚を可愛がることと食肉にすることは別と、割り切っている。瑞穂農芸の生徒たちは情緒的な動物愛護とは別物の、実に逞しい生き方をしている。
私たちが子供の頃は、普通の家庭で飼い鶏を絞め解体していた。子供たちはその時は残酷だと思うが、調理されると美味しい美味しいと食べていた。
食肉を口にしながら屠殺を可哀想と言うのは偽善だ。番組を残酷と評するのは身勝手過ぎる。鶏や牛馬を屠殺して解体してくれる人たちがいるから、我々は肉を食べることが出来る。
小学校六年生の頃、友だち数人と屠殺場を見学に行ったことがある。当時の屠殺は食肉業者から屠殺人が請け負っていた。屠殺人は業者からお金を受け取ると、目隠しした牛の眉間を屠殺用ハンマーで一瞬に打ち気絶させた。そして、ハンマーで空いた穴に長い細竹を深く差し込んだ。すると、条件反射で倒れたまま走るように激しく四肢を動かし、すぐに絶命した。残酷なようだが、これが大型家畜を一番苦しませずに屠殺する方法だ。
屠殺場の濡れた床には馬や牛の頭が転がっていて、私たちは気分が悪くなって逃げるように帰った。厩舎に繋がれて屠殺を待つ馬が前足で床を掻いていた姿。牛馬の骨を狙った野犬が駆け回っていた姿。とても陰惨な記憶が残ったが、食肉が嫌になることはなかった。店頭に並ぶ食肉の過程にそのような事実があったことを知ったことは、前記の女子高生と同じように良かったと思っている。
13日深夜のNHKドキュメンタリー「園長がハンターになった・格闘する旭山動物園」は上記と重なる番組だった。
日本全体で爆発的に増えて深刻な農産物被害や自然破壊を起こしている鹿駆除には、動物愛護団体などから可哀想の声が寄せられハンターへの風当たりは強い。その状況で、敢えて園長はハンターの資格を取り、駆除に乗り出した。それは動物と自然の調和を目指した決意だが、野生鹿を目前にすると園長はどうしても引き金が引けなかった。
鹿が激増した原因は、オオカミを人が絶滅させたのと、食肉の為の鹿猟の伝統が途絶えかけていることによる。鹿肉は美味しい高級肉で、フランスのように食肉にすれば、と考えがちだが現実は簡単ではない。
草を食べている野生の鹿は臭みが強く、適切に血抜きをしないと不味くて食べられない。それを防ぐには、生かしたまま捕らえ、一定期間牧場で雑穀だけを食べさせて育ててから食肉にする。羊の臭みも同じだが、鹿肉の臭みの原因は青草の成分が血液に移行することで起きる。
伝統的な鹿猟では、沢近くに鹿が現れるのを待ち、射殺した鹿を一晩、沢の流水に着けて血抜きをする。その前処置をすると臭みがない美味しい鹿肉に仕上がる。
動物好きの園長が野生鹿に引き金を引けずに悩む姿と、女子高生が果敢に鶏を絞めて解体し、感謝しながら美味しくいただく。この二つの番組が提示した問題はとても重い。人がオオカミを絶滅させたことで鹿が激増させ、自然破壊が進んだ。鹿猟は人の責務で、いただいた野生の肉は美味しく食べてあげるのが人の努めだ。
瑞穂農芸高校のドキュメンタリーは深夜放映ではもったいない良い内容だった。どんなに良い番組を作っても、深夜枠しか与えられないのは民放の限界なのかもしれない。
住まい下の桜並木は、いつの間にか緑に変わった。
新緑に 遠く過ぎ去る 会話あり
下から上へは音が伝わりやすい。緑陰で姿は見えないが老夫婦らしい人の会話が聞こえた。
もどりたや 五月の空の山桜
昔、五月の連休明けに、介護していた父が入院した時、介護疲れの母を慰労しようと清里に連れて行った。その時、咲いていた山桜を今の季節になると思い出す。
赤羽駅駅前広場のベニバナトチノキの花。
日本のトチノキやヨーロッパのマロニエの親戚。
昨日は大量の古いクロッキーや絵に目を通し、少数を残して他はゴミ袋5個分捨てた。この頃は毎日大量に描いていたので、ゴミの量は膨大だった。選ぶ基準は良い絵と言うより、これから描く絵のヒントになりそうなものだけを残した。
30数年前は携帯がなくて、新宿駅の公衆電話コーナーはいつも順番待ちをするほど込み合っていた。
今の人ならスマホを見ている、と思うだろう。当時はスマホはなく、手帳か何かを見ていたのだろう。
今、私は可愛い優しい絵を描いているが、昔はこの絵のように荒々しいものばかり描いていた。
たまたま、渡辺正行氏から劇団七曜日のポスターを依頼され、可愛いメルヘンチックな絵を描いたら、女優さんたちに好評だった。
美しい若い女性たちから「素敵」とか「可愛い」と絵を褒められ、私は一瞬で荒々しい絵から変節してしまった。その褒め言葉がなかったら、今も記載のような絵を描き続けていたかもしれない。
家を片付け捨てる作業は様々に沈殿した澱を葬る人生節目の作業だ。私は43歳の時にそれまでの生活を捨てて絵描きに転進した。その時より今回の状況は厳しいが、扶養していた母がいない分とても楽だ。
片付けていた勢いなのか、25年維持して来たケフィアヨーグルトの種菌を残すのを忘れて食べてしまった。仕方がない、健康食品として買い置きしていたケフィア生菌のカプセル中身を種菌に使った。1年前に買ったカプセルなので、元気に発酵してくれることを祈っている。
母は本当に良い時期に死んでくれた。もし翌年の2011年まで生きていたら、地震でとても怖い思いをさせた。地震で大揺れした時は、母のベットまで仏壇が飛んだので怪我したかもしれない。更に、母の部屋への通路に大量の本や道具が積み重なって、直ぐに駆けつけることができなかった。
もし、現在まで母が生きていたら、厳しい生活に辛い思いをさせ、私は耐えられなかったと思っている。しかし、独りになった今は違う。身一つになれば何をやっても生きて行けると思っている。
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