旧式記録媒体の磁気テープは逞しく進化していた。45年前冬の北海道旅行。14年5月10日
連日、日中対立のニュースを目にしない日はない。内容は様々だが、共通するのは、いざとなったら米国は頼りにならないことだ。日中が衝突した時、始め米国は日米安全保障条約を守るが、最終的には日本ではなく中国を選ぶとしている。
米国債とドル保有の世界一位は中国で二位は日本。日本は中国と遜色ないが、それでも米国は中国の巨大市場を選ぶ。世界中で嫌われている中国であっても、国や産業が中国の巨大市場を選ぶのは冷徹な現実だ。それを冷たいと考えるのは情緒的すぎる。
日本の取るべき外交姿勢は、平和友好に徹するか、自衛能力を高めるかに二分される。しかし、戦後長く、積み重ねて来た平和友好がまったく機能せず、中国、韓国が年とともに高圧的に変化し続けた現実を日本国民は身にしみて分かっている。
その結果、表面は平和友好に徹しながら、いざとなったら軍事力で自衛するのは、自然な成り行きのようだ。スイスが永世中立を掲げながら国民皆兵でハリネズミのように武装しているように、日本もいざとなったら徹底的に反撃する意志があることを中国に示す他ない。
先日の習主席の欧州歴訪でも、中国は総ての国で日本を非難していた。裏を返せば中国が日本に潜在する軍事力を恐れての中傷非難だろう。日本は一流のミサイル、核兵器、無人攻撃機の製造能力を備えている。そして、非常時に一致団結する国民性も日本の特性だ。それらの潜在能力を日本が顕在化させる前に、国際世論を利用して潰してしまいたいのが中国の本音だろう。
そのような中国とは平和友好を称えながら、しっかりと軍事転用できる民生技術を見せつける。それがこれからの日本の対中外交の基本になりそうだ。更に、地道に親日国を増やして行くのも効果的だろう。
韓国に関しては、日韓両国が騒いでいるだけで、その確執を世界は殆ど気にしていない。米国の靖国非難は、北朝鮮封じ込めの為に出来る限り日韓は仲良くして欲しいとの願いによるもので、正義や道義上のものではない。世界に占める韓国の比重も無視できる程に小さい。韓国とは冷静に程よく距離を置くのが最善のつき合い方のようだ。
以上が、最近の様々な論評を読んで感じたことだった。
世界生産をソニーと富士フイルムが独占している磁気テープが高度記録媒体に進化していた。磁気テープは光ディスクやハードディスクの登場で忘れ去られていたが、いつの間にか逞しく高機能化し、200テラバイトの登場も間近だ。この分野なら、電子機器で台頭著しい中国韓国に競争力は全くない。このニュースには時代から取り残された旧世代が復権したような嬉しさがあった。
我々はカセットテープ世代だ。初期のソニーのウオークマンはカセットケース大を売りにしていた。それが、いつの間にかメモリー全盛に変わり、若者は音楽用カセットテープがあったことさえ知らない。実際、あの巻き戻しの遅さや、選曲の難しさは煩わしかった。アナログ特有のノイズ軽減のドルビーシステムなど、今となると懐かしい。
最新の磁気テープは瞬時に検索できるソフトが開発され、ハードディスクに比べてアクセススピードでも遜色ない。更に、インターネットを介在させないセキュリティーの強固さや、ハードディスクのように電気代がかからず維持費が安いことも注目されている。企業や公的機関で膨大な重要データの安全管理が緊急課題となっている今、磁気テープ活用は世界に一気に広まりそうな気配だ。
先日の地震の前日に撮った幻日の写真だ。同じ写真がテレビニュースで紹介されていたが、どれも建物の間から撮られたもので、これほど明瞭ではなかった。
この写真は夕暮れ近くに撮ったものだ。私は気づかなかったが、お昼過ぎに太陽の下に逆さ虹が各地で観測された。一説では幻日や逆さ虹は地震の前兆と言われている。空気中の微細な氷の結晶のプリズム効果によるものだが、なぜ地震と関係あるのかはよく分かっていない。
毎日、ゴミ袋2個分以上を目標に、身の回りのものを捨てている。昨日は古い写真をゴミ袋二つ分捨てた。写真は総て目を通して、捨て難いものを厳選して書類箱1個分だけ残した。
白黒時代のネガをベタ焼きしたのものは愛着深い。昭和40年代半ば頃はカラー写真の色味が悪く、私は白黒写真に拘っていた。当時はコダックのトライX400を冷蔵庫にいつも10本くらいは買い置きしてあった。
白黒写真は今眺めても味わい深い。以下は45年前の厳冬期、北海道を旅行した時のハーフのネガのベタ焼きをスキャンして編集したものだ。ハーフとは35ミリの画面を2等分して、2倍量撮影できるコンパクトカメラのシステムのことだ。
何となく下車した厳冬期の伊達紋別駅辺り。北海道でも太平洋側は寒さが厳しいだけで雪は少ない。
伊達紋別の街を時間潰しに歩いていて映画館を見つけた。
出し物が良ければ見るつもりだったが、結局、入らなかった。
再度室蘭本線に乗車し、長万部から函館本線に乗って小樽へ向かった。
函館本線での相席は、倶知安の病院へ見舞いに行く可愛い姉妹だった。
無計画の気ままな旅だったので、彼女たちと一緒に倶知安で下車し、駅近くの喫茶店でコーヒーを飲んだ。
私は24,5歳だった。
彼女は大柄な健康的な人だった。
姉妹と別れた後、私は小樽方面へ向かう鈍行に乗った。
東京では珍しかったが、北海道ではSLが普通だった。
この沿線の積雪量は多く雪質も良い。
日本海に面した寂しい駅で、急行待ちのために10分ほど停車した。
その間、下車して灰色の日本海を眺めた。
列車は北海道仕様の二重窓で、暖房が効き過ぎて暑いくらいだったので、火照った体に寒気が心地よかった。
本州の列車の窓は一重で、窓側は氷の花が咲くほどに寒くて通路側は暑く、長く乗っていると体調がおかしくなった。
気が変わって、小樽では下車せず、終点の札幌まで行くことにした。
倶知安から相席の熟年漁師は、外で雪玉を作って来て齧りながら美味そうにウイスキーをあおっていた。
私は長万部の駅で買った凍った毛ガニをリュックから出して食べた。当時は、毛ガニは高級な食べ物ではなく、誰でも買えるおやつ程度のものだった。
「北海道の毛ガニは美味いだろう」
漁師は上機嫌に話しかけながら、バックからスルメの束を出した。
「持って行け」
見も知らぬ私の膝に彼はスルメをドンと置いて小樽で下車して行った。
札幌の宿も暖房が効き過ぎて、寝苦しかった。
翌日は網走へ向かい、阿寒湖、帯広、と気ままに旅して帰京した。
国鉄の切符は20日間北海道周遊券で冬期割り引きがあったので1万を少し切っていた。
宿代を含めた旅費は10日間で3万ほどだった。当時のサラリーマン月収は4,5万ほどで、それが高いか安いか判断は難しい。
帰京してから、出会った姉妹の姉と数度手紙のやり取りをしたが、フェードアウトするように文通は終わった。健在なら、いいおばあちゃんになっているだろう。
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