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2014年6月23日 (月)

東京北医療センター屋上庭園の真昼の幻影たちとミントティー。14年6月23日

毎日、散歩コースで摘んだミントで、ミントティーを作って飲んでいる。薬効は精神の安定とあるが、心に問題はないので純粋に香りを楽しんでいる。

散歩コースにミントが繁茂している場所が数カ所ある。
私が摘むのは、患者として世話になっている東京北医療センターの屋上庭園だ。ここはとても清潔で、摘むには最適の場所だ。5月までスペアミントは大繁殖していたが、造園業者に根元から刈り取られてしまった。スペアミントは繁殖力が旺盛で、既に新芽を10センチ程に伸ばしている。

この屋上庭園は眺望が良く静かで心地よい。殆ど利用する人はいなくて、稀に看護婦さんが休み時間のメール送受信にやって来るくらいだ。


Mi_2Mi_1今日も眼科の予約に来たついでに屋上庭園へ行ってミントを摘み、いつもリュックに入れている小さなタッパーウエアに詰めた。

タッパーウエアは早春の頃は土筆やよもぎを詰めていた。

それ以外は主として四葉のクローバーを入れにしているが、今はスペアミント入れに使っている。

容器にはミントの香りが染み付いていて、空でもふたを開けるとミントが気持ちよく香る。

ミントはグラスに入れ、紅茶のティーパックを上に重ね熱湯を注ぐ。

ミントティーは甘くした方が美味しい。

通常はミントは入れっぱなしで飲むが、私は大量にミントを入れるので、贅沢にすぐに取り出して雑味が出るのを避けている。捨てたミントは芳香を漂わせて住まいを心地良くする。


遠野物語を始め、伝承文学には死者の魂がしばしば登場する。
伝承にある死者の魂の通り道を、この屋上庭園に感じる。夕日が美しく眺望が良くて、あの世へ旅立つにはとても素晴らしい場所だ。

ちなみに、今の住まいを選んだのも、眺望が良く夕日が美しかったからだ。実際、願ったように、母は在宅で私に看取られて静かに旅立ってくれた。

屋上庭園は、今はミントだけでなくクチナシが甘く香っている。今日も、真昼の陽射しの中を精霊の化身と伝承されている黒アゲハが、病院で亡くなった人の魂のようにゆらゆらと舞っていた。

東京北医療センターの前身は国立王子病院。その前は軍の施設で多くの死に接して来た場所だ。だから、死者たちの魂を感じるのかもしれない。


ミントを摘み終わってエレベータを待った。
庭園のある3階エレベーターホールはいつも誰もいない。

病院エレベーター内の正面壁には姿見が設置してある。
ドアが開き、正面の鏡を見ると誰もいないはずの私の右後ろに、5,6歳の男の子が立っていた。
坊ちゃん刈りに青い縦縞の可愛いパジャマ姿。開いたドアの明るい光を背にしているので表情までは分からなかった。
「気がつかなかったけど、子供が後ろにいたんだ」
不思議に思いながら振り向くと、エレベーター内は私だけで他には誰もいない。
どうやら真昼の幻影だったようだ。
「病院で死んだ幼い魂かもしれない」
肉親たちに大きな哀しみを残して旅立って行った幼い魂を想いながら帰路についた。

この世のものでないとしても、怖さはまったくなかった。
ただ涼風に吹かれているような、少し寂しい気持ちが残った。


リアルな幽霊やお化けに是非に出会ってみたいが、今日のように幻影を感じるだけだ。
お化け好きは死んだ母も同じだった。
7,8年前の母が元気な頃、散歩コースの墓地脇の遊歩道を車椅子を押していると、母は誰もいない芝生に挨拶した。
「誰に挨拶したの」
聞くと、おじいさんが立っていたと言う。
「俺には見えなかったけど」
「私には見えるの。変なことを聞くのね」
怪訝に思っている私を母は笑った。
それからもしばしば、母は誰もいない散歩道で、死者たちに挨拶していた。


昔、絵描きに転進する前は自然林に囲まれた崖上の一軒家に住んでいた。四方総て自然林で隣家は離れていて、夜中でも大きな音をたてる職人仕事には最適の場所だった。

玄関前は山道で誰も使わず、来客も母も私も隣家の間を抜ける裏道を使わせてもらっていた。しかし、郵便配達の書留郵便などは規則で正式な玄関を使うことになっている。それで、郵便局と役所のためだけに玄関にドアホーンを設置してあった。

ある年の夏の真昼、お盆が近づいた頃に、ドアホーンが毎日のように鳴った。
すぐに玄関を開けるが誰もいない。玄関前の山道は20mほどあり、子供のいたずらなら逃げて行く姿が見えるはずだ。

「お盆が近いので、死んだ甚兵衛さんか誰かが訪ねて来てくれたんだね」
母は訪ねて来た死者の魂がドアホーンを押していると嬉しそうだった。

もしかして故障ではと思って、試しにドアホーンを押すと、いつものせっかちで大きな音がした。
しかし、その不思議な音は「ピーーン・・・ポーーン・・・」と、間延びした優しい音で、まるで違っていた。

「死んだ魂が押せる訳ないよ。多分、スズメが小さなクチバシで押しているんだ」
私はスズメの悪戯だから間延びして小さい音なのだと話した。
「それはそれで、可愛いわね」
母は私の話を楽しそうに聞いていた。

ただそれだけのことで、それ以上何も起きなかった。
それからも真昼の静かな時間に、ドアホーンは思い出したように鳴った。
その都度、母は嬉しそうに、見えない人を迎えていた。
その光景を今も懐かしく思い出す。


S_5母が生きている頃にも病院の屋上庭園で不思議なことがあった。

母の死の前年、母の診察の後に屋上庭園に連れて行くと、可愛い若いネコが「ニャンニャン」と駆け寄って来た。

誰もいなかったので、よほど寂しかったようだ。

母にだっこさせるとしばらく母に甘え、それからタイル張りの遊歩道に飛び降りて毛繕いを始めた。

しかし、よくよく考えると、人目の多い病院の中をどうやって屋上までやって来たのか皆目分からなかった。そのままではまずいので地上へ戻そうと思ったが、ネコは私の手をすり抜けて茂みの中へ消えて行った。

気になって、帰ってからネットに掲載してある病院の平面図を調べた。すると庭園の一角に非常階段があった。若いネコはそれを上って冒険しに来たようだ。ネコがそれを下りて無事に戻ったことは分かったが、今もあの時の不思議な感覚が残っている。


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防災用の無線放送の拡声器。
今は6時になると「夕焼け小焼け」が流れる


大河ドラマの「軍師官兵衛」は珍しく欠かさず見ている。それは脇役たちが面白いからからだ。播磨の豪族・小寺政職の片岡鶴太郎に宇喜多直家の陣内孝則。前者の鶴太郎のあまりにも人間臭さい弱さに、後者の陣内の怪演ぶりは面白かった。次回から登場がなくなるのが残念だ。

戦国の乱世は人材が輩出した時代だった。個性的で極端な合理主義者ぞろいで、あのまま鎖国をせずに進化して行ったら、今とはまったく違う日本が生まれたかもしれない。
その次の乱世は敗戦後だったかもしれない。こちらも、ホンダにソニーと大創業者が輩出した。


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前回掲載したハーレーの絵の途中。
今は様々な表現方法を試みている最中で、なかなか完成しない。これから更に暗い寒色を重ね、それから明るい色を置いて行って完成させる。

絵描きは将棋指しに似ていて、10手ほど先を想定しながら色を置いて行く。総ての私の作品はこの段階を経て完成する。しかし、途中の絵を見せると誤解されるので、今までは途中の絵は公開しなかった。

以前、絵本を描いた時、文の作家に途中の絵を見せて欲しいと要求された。誤解されるからと強く拒否し続けたが、根負けして見せた。案の定、作家にイメージが違うと誤解されて猛烈なクレームを受け大げんかになった。しかし、完成した絵はイメージ通りで、それ以降の仕事で、途中の絵を見せろとの無理な要求はなくなった。


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熟したヤマモモにカラスが群れていた。
写真は熟して落ちているヤマモモをついばんでいるカラスたち。真上のヤマモモの木にも沢山のカラスがいる。

今年はいつも、芝生でムクドリたちが餌探ししていたので、カラスは近づかなかった。ムクドリは小さくても気が強く、集団でカラスを攻撃するので近づけない。


S_2そのムクドリがいなくなったので、カラスたちは好物のヤマモモに群がった。

この分では、数日で丸裸にされるだろう。

幸い、私は十分に食べたので心残りはない。

最近、好きなTVCM。

「あまちゃん」の能年玲奈が「ドラゴンクエストモンスターズ・スーパーライト」のCMに出演しているが、これが実に可愛い。能年玲奈は水滴頭のきぐるみを着てスライムに扮し、寒そうな小雨に濡れながら「ぼく強くなるから、仲間にしてよ」と物悲しそうに訴える。すぐに画面は転換して笑顔の能年玲奈が「うん、わかったよ」と楽しそうに言っている姿が本当に可愛い。


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