「ぼんやり」することは脳科学では重要なことだ。母の命日の前日、ぼんやりと十条のお富士さんへ出かけて過ごした。14年6月30日
夏雲の間に青空が見えた。程よい暑さで風が心地よい。今日は赤羽駅近くの上野歯科医院に毎月一度のメンテナンス予約が入れてある。午後の診療が始まる10分前に着いて、待合室の週刊誌を開くと記事を読む間もなく呼ばれた。待ち時間が短いのは助かる。いつものように虫歯チェックと歯石除去を丁寧に30分程かけて終え、歯の表面を軽く磨いてもらい、終わったのは4時10分。
上野歯科医院近くに赤羽自然観察公園がある。明日は母の命日なので、母をリハビリさせていた公園に寄った。
古民家の前庭には七夕が飾ってあった。以前は古民家の冷たい畳に横になり、天井のシミを眺めていると安らいだ。今は厳禁で、横になると係員が飛んで来る。せち辛くなったので、古民家は遠く眺めるだけで寄らなかった。
この道の手摺を伝って母は毎日リハビリをしていた。写真では分かりづらいが、右手手摺にくっついて白い花を咲かせているのはトウネズミモチ。年頭の大雪のために遊歩道よりの太い枝が折れて貧相になった。
トウネズミモチの実は漢方で女貞子と呼ばれ強心利尿作用がある。日本のネズミモチとは別種でネズミモチの実は橢円なのに対しこちらは球形。
この木を母はサカキだと思い込んでいて、まだ幼木の頃「よしよし、元気に大きくなりなさいね」と頭を撫でていた。母の願い通りにトウネズミモチは5mほどに成長し、その後ろのクヌギは更に大きく成長していた。
11年前の今頃の母の動画。この画像をクリックするとYouTubeで開く。
動画の母は90歳。がん宣告を受けて駒込病院に入院する前に撮った。現在の公園と比べると同じ場所とは思えない。まだ古民家は建っておらず、木々も若木ばかりで見通しが良かった。
この前年秋に母は酷く腰を痛め、まったく歩けなくなった。しかし、運良く近所に開業した若い整形外科医に腰椎の硬膜外麻酔によるペイクリニックを受けて劇的に痛みが消えた。動画の頃は200mほど歩けるまでに回復していた。
この時、母は肝臓ガンを始め幾つかガンを発症していて、私は母の死を100%覚悟した。最後の肝臓ガンの大手術を終えたのはこの年の11月末。無事に退院したが、体力は寝たっきり寸前までに落ち込んでいた。それから毎日この公園に連れて来てリハビリをさせて体力は徐々に回復した。しかし、術前の半分が限度で、それ以降は年々体力は低下し、7年後の7月1日に死去した。
久しぶりの赤羽自然観察公園だった。まだ、ボランティアによる草刈りや樹木の剪定前で野趣溢れていた。
今日は富士山開きの前夜祭。十条の富士塚は縁日でにぎわっている。母が死んだ年を除いてお詣りは欠かしたことがない。公園からその足で十条へ歩いた。
50年前、芸大受験に失敗した後、十条の彫金家の元に弟子入りし9年を過ごした。彫金家ゆかりの人たちは皆鬼籍に入り、十条との縁はなくなった。
その間に赤羽は大変貌したが、十条は住宅が新しく建て変わっただけで殆ど様子は変わっていなかった。この街で暮らしていた頃の、つまずいてばかりの青春は思い出すと辛くなる。
住宅街は相変わらず車一台通るのがやっとの地震危険地区だった。だから、街は防災番組に登場するようになった。久しぶりで意外だったのは、大きな建物がないので空を広く感じたことだ。
十条銀座に出た。昭和が色濃く残っていて年寄りが多く、チンドン屋が歩いていた。先頭とその後ろは夫婦かもしれない。一番後ろは二人の娘のようで、とても可愛い若い人だった。
この卵屋は50年前からあった。写真には写っていないが、手前に小さな豆屋があり、昔ながらに木箱に入れた大豆、小豆、落花生を店番の老人が量り売りしていた。この一角は時間が止まったような風景だった。
普段はひっそりとした住宅街のこの道には長い露店が並び、雑踏にベビーカステラやお好み焼きの香りが漂っていた。正面奥のこんもりと木々が茂っているのが高さ15mほどの富士塚。富士から運んだ溶岩が積み上げられていて、ここを登れば富士登山したの同じご利益がある。
この祭礼は地元ではお富士さんと呼ばれて親しまれている。人出の殆どは地元の人で、すれ違う人の中に何となく知人の面影を感じる。もしかすると、子や孫たちなのかもしれない。ちなみに、お富士さんは7月1日が本祭りなので、興味がある方は出かけると楽しい。東十条駅か十条駅から直ぐの場所で、人の流れに着いて行けば自然に到着する。
お詣りを終えてから、東十条駅から京浜東北線で赤羽へ出た。車内放送で川口近くの線路上を人が歩いているので、排除するまで電車は赤羽に停車すると言っていた。この電車に乗り遅れたら、東十条で長時間待たされるところだった。
赤羽駅近くで明日の食材を買って、東京北医療センターを抜けた。病院庭のベンチで、持参して来た熱いお茶を飲んだ。ぼんやりと空を眺め、風にそよぐ草原を眺めていると安らぎを感じる。
ぼんやりすることは、発想や幸せ感にとても重要な働きをしている。先日の「サイエンスZERO・ぼんやりに潜む謎の脳活動」でそのシステムを説明していた。
考えごとをしている時、逆に血流が減少している場所がある。そこが「ぼんやり」に関わる重要なネットワークが働いている場所だ。「ぼんやり」している時、脳は哲学的な自己認識や記憶や情報の統合などの重要な働きをして、新しい発想や多幸感を生み出している。ぼんやりしているのが大好きな私にはとても納得できる番組だった。
「ぼんやり」のネットワークはディフォルト・モード・ネットワークと呼ばれ、そのシステムが衰退したのが認知症で、過活動になっているのが統合失調症と考えられている。この研究は始まったばかりで、これからそのネットワークに関連深いアルツハイマー病、うつ病、自閉症などの治療に画期的な成果が生まれそうだ。
ヤマボウシの花と実。実は9月には甘く濃オレンジに熟す。
最近、大嵐が間近に迫っている気がする。と言っても私のことだが不思議な程にのんびり暮らしている。嵐への備え方は二つしかない。頑丈な家に引きこもるか、柳の枝のように強風に身を任せることだ。私は後者を選んだ。なぜなら、この大嵐で命まで失うことはないからだ。
ブッダと老子の思想は共通点が多い。ともに人生の本質は常に留まらず変化して行くと考えている。人は環境や自然や天候を支配しようとせず、なされるがままに生きることを薦めている。
二人の思想の差は、現実社会に即してしたたかなのが老子で、死に瀕するまで純粋に生を極めるのがブツダだ。私はこの二つの思想の影響を強く受けた。
とは言え、生活再建へ向かって一時の休みなく努力している。後年になって今を振り返ったら、とても充実した日々に見えるかもしれない。世間では努力すれば必ず報われると言われているが、アートの世界は別だ。生涯、努力が報いられないアーティストが圧倒的多数で、貧しくても絵だけを売って収入を得ている私はとても希な立場だ。
明日7月1日は母の4回目の命日。昨日は母と親しかったSさんが供物の甘いサクランボとお花代を送ってきた。年々、世間から母のことは忘れられて行くので、このような心遣いにはホロリとさせられる。
私の人生は母の死を境に大きく変わってしまった。それ以前は母の介護ために生きていたが、死別後はフワフワと捉え所のない自分を問い返す日々に変わってしまった。そして今、フワフワしていることにポジティブな意義を感じている。
フワフワ生きることはとても大切で、前述した「ぼんやり」に共通する深い意味がある。思い返すと、母が生きている頃は、ぼんやりすることは出来なかった。母を家に残して買い物へ出た時、疲れて一休みしたくても、気になってすぐに帰宅していた。年の順に命を終えるのは自然なことだ。生きた結果が寂しさであっても、生きることには大きな意味があることに、最近やっと気づいた。
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