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2014年7月18日 (金)

今朝の「花子とアン」は、美輪明宏の愛の讃歌で眠気が吹き飛んでしまった。14年7月18日

テレビは科学実証番組などを除くと、きちんと見たことがない。ドラマの殆どは他のことをしながら音声だけを聞いている。

今朝の「花子とアン」では、そのような"ながら視聴者"は眠気が吹き飛んでテレビに見入っただろう。私も、突然に台詞のやり取りが終わり、美輪明宏の愛の讃歌がフルに朗々と流れたのには驚かされた。

元のエディット・ピアフの愛の讃歌は音楽史に残る名曲だが、越路吹雪や美輪明宏も素晴らしい。殊に今回の美輪版の日本語歌詞は原曲に近い。越路版が甘い愛の喜びを歌い上げているのに対し、原曲と美輪版は背徳の愛を歌い上げている。

 貴方がいる限り私は恐れない 
 愛する心に恐れるものは無い
 貴方が言うなら愛する国も友も捨てよう
 例え空が落ちて来ようとも 貴方がいれば怖くない
 そして貴方が言うのならば 黒髪を何色にでもするし どんな恥があろうとも喜んで耐え忍ぶ・・・
 いつか人生が貴方を奪っても この愛があれば それで幸福・・・

聞き終えて、寺山修司の名言「身捨つるほどの祖国はありや」が想い浮かんだ。それは、愛には我が身や祖国を捨てられる程の力があると思ったからだ。

最近、好感度が増していた嘉納伝助の純愛は、蓮子の浮気でメタメタに踏みにじられてしまった。このままでは蓮子は視聴者の反感を買うだろう。作者がこの筋書きをどのように修正して視聴者を蓮子に引きつけるのか見ものだ。

通常のドラマなら、嘉納伝助を意地汚くて強欲に描けば蓮子の愛は説得力を持つ。しかし嘉納伝助のモデルの伊藤伝右衛門は実在の人物だ。彼は裸一貫から筑豊炭坑の川筋もんの荒くれたちを従え、炭坑王と言われるまで出世した風雲児だ。蓮子のモデル白蓮が男の元に走った時も、いきり立つ部下を押さえて追わせなかったし、姦通罪で訴えることもしなかった。

同時代に生きていた母は「気っぷのいい男らしい人」だとよく話していた。それほどに九州では人気のある人物を意地悪に描くのは不可能だ。世間知らずの帝大生と世間知らずの年増お嬢さんの恋と、捨てられた嘉納伝助の純愛を秤にかけたら、多くの視聴者は伝助に感情移入してしまう。伝助は画面からフェードアウトする運命だが、彼の取り扱いは更に難しくなった。

美輪版の背徳に満ちた「愛の讃歌」が使われたのは、そのような成り行きを考えての伏線かもしれない。それにしても美輪版の愛の讃歌には他の歌手にない人としての強い存在感がある。ちなみに、美輪版の愛の讃歌の売り上げは、今日一日で10人抜きして越路版を越えトップになった。この分では、今年の紅白は愛の讃歌で決まりかもしれない。

筑豊にある嘉納伝助のモデル伊藤伝右衛門の屋敷は公開されている。ドラマが始まってから入場者は5倍に増えたそうだ。


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先日の夕暮れ風景。

昨日は甥の命日だった。20年前、甥は仲間たちと大宮に居酒屋を開いた友人を祝いに訪ね、夜遅く酔って帰路についた。大宮駅で上り電車を待っていると、目の前を長大な貨物列車が速度を落として通り過ぎた。
「先に行く」
甥は仲間たちに言い残して貨物列車に飛びつき東京方面へ向かった。
そして、与野を過ぎた辺りで振り落とされて即死した。甥は酔うと、突発的に眠くなるナルコレブシーの傾向があった。多分、耐え難い眠気に襲われ、取手から手を放したのだろう。

事故だったので葬儀は変則的になり、葬儀の先に火葬された。彼は頭に包帯が巻かれていたが目立った損傷はなく眠っているように見えた。

戸田の斎場に上の姉、裕子姉も来ていた。
「大変なことになって」
裕子姉は甥の母親である晃子姉を気遣っていた。その裕子姉は母の死の2年前に死んだ。

一人息子を亡くしても、晃子姉は意外な程に明るく過ごしている。しかし、それは表面だけの姿だと思っている。

母も60代の頃に長兄を失くした。さぞや嘆くだろうと思っていたのに、母は一度も嘆かずに明るく過ごしていた。
それから30年が過ぎて、母が車椅子生活になった頃のことだ。
「繁を亡くしてから、幾度枕を涙で濡らしたか分からない」
車椅子を押している私に、母が突然に話し始めた。
その時、子供を亡くした母親の哀しみは終生消えることはないものだ、と思った。

そして、母に死が迫っている頃の深夜、様子を見に行った時のことだ。
「繁、元気だったの」
目覚めた母は満面の笑みを浮かべて私を見上げた。
黙って母の頭を撫でながら、私を繁兄と錯覚してくれて本当に良かった、と思った。

だから晃子姉も、母のように知らないところで悲しんでいる、と思っている。


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ヘクソカズラの花。
名前に似ず可憐な花だ。匂いのある葉に虫食いがある。「タデ食い虫も好き好き」で、ヘクソカズラが好きな虫がいるようだ。

プリント用紙やインクの予備が不足している。お中元でビックカメラの商品券をもらったので、早速昨日、池袋へ出かけた。近年は画材よりパソコン用品にかける費用の方がずっと大きい。

若いイラストレーターやアニメーターの殆どはディスプレー型のタブレットで絵を描いている。彼らの多くは画材を殆ど使わなくなった。それで画材屋は世界堂の一人勝ちになり、他の店は苦境に立たされている。

昔、デザイン関係の客で大盛況だった新宿駅ビルのいずみやも、今はいつ行っても客の姿を見たことがない。昔のデザイン会社にはマーカー全色が並べられた立派な棚があった。今、それらの画材はパソコンや周辺機器に代わってしまった。


一昨日は宝塚劇場隣のスカラ座で「アナと雪の女王」を見た。上映1時間前にチケット売り場へ行くと、指定席は自由に選べた。シニア料金で1100円。この安さは本当に助かる。開演まで時間つぶしに銀座4丁目の画廊へ行った。画廊のKさんも「アナと雪の女王」を見たようで、神田沙也加は歌も台詞も上手いと言った話で盛り上がった。

去年辺りだったか、NHKがディズニーランドを借り切って、音楽番組を作った。シンデレラ城前の舞台で、彼女は母親の松田聖子とお姫様スタイルで歌った。母親が上手いのは当然だが、彼女も負けずに上手くて驚いた記憶がある。あの頃に、ディズニーと神田沙也加の繋がりが生まれたのかもしれない。

上演15分前に行くと、座席は4割近く埋まっていた。音響の良い劇場で大画面で見ると楽しい。CGは一段と進化して、アナや髪の毛や肌色の美しさに見とれた。氷の表現も見事だ。ファンタジーの楽しさに満ちていた。多分数年後には、ミュージカルになって劇団四季で上演されるだろう。ちなみに、スカラ座での上映は今日までだ。


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昨夜、夜の散歩へ出かけると13階の外階段にヤモリがいた。外灯に集まる虫を捕らえているのだろう。
母は北九州の方言でカベチョロと呼んでいた。可愛いので見とれていたら怖がらせたようで、慌てて壁から落ちてしまった。ヤモリはコンクリート床にピチャと音を立てて落ちて、急いで消火器具ボックスの裏に逃げ込んだ。怪我をしなかったら良いのだが、心配になった。

昔、一軒家に住んでいる頃、玄関を開けると同じように驚いたヤモリが壁から落ちた。ヤモリの体は華奢で衝撃に弱い。そのヤモリはそのまま弱って死んだ。今も可哀想なことをしたと想い出す。


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Goof

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