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2014年7月21日 (月)

奥秩父への小さな旅で嗅覚が初期化され、東京が少し嫌になっていると感じた。14年7月21日

蝉が降るように鳴いている。正式発表はまだだが、梅雨明したようだ。6月の夏至を過ぎてからは確実に昼の時間は短くなって行く。夏真っ盛りに、年の瀬へ落ち行く気配を感じるのは、老いたせいかもしれない。


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緑道公園の百日紅。

先週土曜、雨が降りそうな曇り空の下、奥秩父の友人の別荘を訪ねた。路線図で調べると西武線から秩父線に乗り継いで、所要時間は1時間半程と意外に近い。池袋で11時に秩父方面行きに乗って乗り継げば1時には着くだろうと、気楽に考えながら家を出た。しかし、それは甘い考えだった。

お昼前に池袋に着いた。西武秩父へ直行するレッドアローは出たばかりで、次までは1時間の待ちだ。慌てる旅ではない。細かいことは考えずに、発車寸前の飯能行きの急行に乗った。

代わり映えのしない郊外風景が続くので、目をつぶってiPodで音楽を聴いていた。所沢を過ぎるとすぐに航空自衛隊入間基地に入った。音楽はオンブラ・マイ・フ に代わっていた。広大な基地の立ち木が後方へ過ぎて行く風景に音楽がピッタリと合って夢を見ているように心地よかった。基地を過ぎると狭山丘陵地帯が広がり、更に旅情を感じた。

仏子駅と元加治駅の間に入間川が流れている。その鉄橋上から、昭和44年まで単線だった頃まで使われていた鉄橋が赤錆て残っているのが見えた。上京した昭和38年から、年に二三回は終点の吾野まで行って正丸峠の伊豆ヶ岳へ登山した。その頃は、その廃線になった鉄橋を使っていた訳だ。目前に、忽然と現われた赤錆た鉄橋は風化した記憶のように懐かしかった。

終点吾野から西武秩父まで西武秩父線として繋がったのは昭和44年以降のことだ。それまでは、秩父へ行くには高崎線の熊谷乗り換えの秩父線しかなかった。

1時頃に飯能駅に着いた。駅員に聞くと、20分後に出る秩父行きの各駅停車より、その15分後に出るレッドアローの方がずっと早く着くと言う。乗り換え駅で過ごすのも旅の楽しみだ。土産物売り場で笹餅を売っていたので、昼食代わりに1300円の一束を買って、1個だけ食べた。

特急券310円を買って、やっと到着したレッドアローに乗車すると、車内は新幹線などと共通する特有の電車臭さがあり、鄙びた旅情は吹き飛んでしまった。しかし、車窓風景は素晴らしかった。雨雲が山肌を這う急峻な山々は山水画をながめているようだった。

35年前の正月、母を三峰神社へ連れて行ったことがある。まだ父は健在だったが、極度の出不精だったので留守をたのんだ。その時すでに、レッドアローは運行していたので、母は同じ風景を眺めたはずだ。
「ほんとうに山が深くて素晴らしいね」
母はしきりに感動していた。当時の私は頻繁に南アルプスなどを登山していたので、この程度の山を深いと感動している母の気持ちが理解できなかった。しかし、豊かな自然を眺めていると母が感動していた気持ちが良く分かった。

正丸峠下の4.5キロもある長大なトンネルを抜けると秩父盆地に入って、雰囲気が変わった。盆地を囲む山々には雨雲がたれ込め、時折雨粒が車窓を打った。小一時間で秩父に着いた。乗り換えの秩父線の御花畑駅へは、一旦改札を出て仲見世と呼ばれる10数軒の店の間を歩いて行く。

母と来た時は土地の産物を売る小さな出店が数軒あるだけで、大人のコブシを二つ合わせたくらいの大きな野生の百合根を1500円で買った。皮は紫がかっていて香り高く、とても美味しかった。母は晩年まで、その野生の百合根の美味しさを話していた。

夜に花火大会があるようで、浴衣姿の女の子たちが仲見世を楽しそうに歩いていた。その先の観光客用に整備された小路は自然の植物とハーブの香りがして心地良かった。自然の香りに包まれていると、昔、毎週のように山へ行っていた頃の記憶が蘇った。小路を抜け秩父線の踏切を渡り熊谷方面に少し歩くと御花畑駅があった。

母と来た時は途中にあったお好み焼き屋に入って食事をした。正月だったので開いていたのはその店だけだった。独り者らしい50代の女主人は、正月は寂しくて大嫌いだと私たちに愚痴っていた。その頃は普通の民家ばかりばかりだったが、今は2,3階建ての低層ビルが増えていた。

秩父線はスイカ・カードが使えないので、昔ながらの切符を買って、三峰行き電車を待った。20分程で先に到着した熊谷行き電車に、駅で待っていた乗車客の大半は乗車してしまい寂しくなった。それから15分後、やっと来た下りの電車に10人程が乗車した。

古い車両はガラガラに空いていて、車窓の風景が広く見渡せた。影森駅、浦山口駅と、駅前の貯木場に新しい材木が積まれていて山国に来た実感がした。次の武州中川駅でSLとすれ違った。沿線には古い家が散見され、昭和への懐かしさがこみ上げた。目的の武州日野駅には2時過ぎに着いた。

35年前は更に白久駅、終点の三峯口駅まで行って、ケーブルカーに乗り換え三峰神社に初詣した。母は参道から見える深い雲取山の山塊に圧倒されていた。それ以後、北アルプス、八ヶ岳、志賀高原、裏磐梯と山へ連れて行ったが、そのどれよりも三峰神社から眺めた雲取山の方が大きくて深いと母は信じていた。

武州日野駅隣の公衆トイレに入ると、広くて新しく清潔だった。雨が時折落ちていたが、自然の野の香りに包まれ体の隅々まで洗い清められた気分だった。舗装された車道は避けて平行する山道を歩いた。物音は聞こえず、折り畳み傘に当たる雨音が心地良かった。途中、小さな神社があったのでお参りした。


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駅を出るとすぐにこのような風景が広がった。畑の一角の高木の梢でヨシキリが鳴いていた。

 ヨシキリの つま呼ぶ声に 雨野原


自然の中をのんびり歩いて行くと、いつの間にか別荘に着いた。
既に友人たちが集まってにぎやかだった。邸内は廊下の一角だけでも我が家より広く、広い庭にはウグイスなどが来て鳴いていた。

一休みしてから、友人は敷地を案内してくれた。クルミや山椒があってとても楽しかった。敷地の一角に沢が流れている。私は友人たちより先に、沢へ向かって急峻な山道を駆け下りた。崖上の細い路で勢い余ってバランスを壊したが、ぐっと我慢して一気に駆け抜けた。

駆け抜けた5mほどの小径を振り返ってゾッとした。それは30センチ程のか細い踏み跡で、その片側は20mほど岩だらけの沢へ垂直に落ちていた。もし、バランスを壊したまま落ちたら命はなかった。事なきを得たのは、土地の神様にお参りしたご加護だと思った。

帰り道で学校帰りらしい若者と出会ったので挨拶した。その山道を登った先に民家があると友人が話した。今もそのような不自由な生活をしている人が居ることに驚いた。そのような不便な生活を敢えてしている人は土地の人ではなく、多くは都会から移り住んだ人たちだ。そう言えば、すれ違った若者には都会の雰囲気があった。

遅く到着したので、友人たちは泊まるように強く薦めたが、私はやりたいことがあると固辞した。せめて食事だけでもと言うので、みんなで車に分乗し、秩父市内のレストランへ出かけた。

東京と違い、レストランには広い駐車場があり、周りに自然の植物が豊かに植えてあった。食事をしていると、打ち上げ花火の音に雷鳴が入り混ざって聞こえた。その内、変電所に落雷したようで停電し店内は真っ暗になった。

「停電は懐かしいね」
昔、停電が日常時だった頃、ロウソクを点けるのが楽しかった思い出話で盛り上がった。停電は5分程で解消した。

食事の後、雨が激しかったので、友人が西武秩父駅まで車で送ってくれた。駅に着いたのは8時半。池袋直行のレッドアローは出発したばかりだったので、最終のレッドアローを1時間近く駅のベンチで待った。

土砂降りの雨の中、花火は次々と打ち上げられた。花火の大輪は上半分が雨に霞んでいた。音を聞きながら駅前広場の水たまりを眺めていると、水面に花火がキラキラと映った。

 うつむけば 雨水に映える ゆめ花火


乗車した最終のレッドアローの車窓は真っ暗だった。乗客は花火見物帰りの浴衣がけの二人連れが多く一様に爆睡していた。私もつられたように眠くなり爆睡した。飯能駅に着くと目覚め、進行方向が反転するのに合わせて座席を回し、再度爆睡した。次に目覚めると池袋に着いていた。

11時近く、池袋駅の連絡通路を歩いていると、様々な嫌な匂いがどっと押し寄せて気分が悪くなった。僅かな旅の間に嗅覚が初期化されて敏感になってしまったようだ。

私は東京が大好きだったが、その夜、本当は少し嫌いになっている気がした。そして、田舎の生活も良いなと思い始めた。もしかすると、東京生活に疲れているのかもしれない。


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東京でのいつもの散歩コース。都内では自然豊かな場所だが、奥秩父と比べると自然の香りが殆どしないと思った。

日曜月曜と、中途半端な田舎ではなく、北海道のような大自然の中で生活したと思った。ネットだけでできる仕事に変えたら何処でも生活できるので、その方向に生活を変えるのも良いかもしれない。

今日の昼のニュースで、千葉の巨大アウトレットモールを紹介していた。連休で家族連れで混雑しているが、みな疲れているように見えた。浪費が豊かさと思えたのは高度成長期までだ。今、先進国では便利で豊かな都会生活を離れ、生活を落としてでも田舎の生活を選ぶ者が急増している。

右肩上がりを目標に生きている高度成長期型の生活は先進国ではずっと前から破綻し始めた。中国などの追い上げに応戦して闘い続けても幸せな生活は得られない。

小さな日帰りの旅で、日本は自然豊かで本当に美しい国だと思った。秋になったら再度、友人の別荘へ山栗やクルミを拾いに訪ねようと思っている。


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