「70歳からのサバイバル」 夏の盛りに死をイメージしながら命の輝きを感じた。14年7月28日
先週末は「朝まで生テレビ」を見ていて寝不足だった。夕食後、横になるとすぐに眠ってしまい、夢うつつに「ドーンドーン」と花火の音が聞こえた。土曜は隅田川の花火大会だった。この住まいからは遠くビルの間から花火が小さく見えるが、音がそんなに大きく聞こえる訳がない。
ぼんやりと、どこかで花火大会しているのかな、と眠り続け、目覚めたときは花火の音は消えて静かだった。この住まいから見物できる戸田と板橋の花火大会は今週末の8月2日だ。
「少年老いやすく学なり難し」
延々と自分に課している内に、60代も残り少なくなった。何とか頑張れるのは良くて10年。そんなことから「70歳からのサバイバル」を生活の重要な指標にしている。
先日、奥秩父の友人の別荘に集まった友人たちは、それぞれの世界で成功し、今は孫に囲まれ、老夫婦で海外旅行を楽しんでいる。その豊かな老後に至るまで、長く大変な苦労を続けたのだから当然の賜物だろう。
その時は田舎暮らしも良いなと思ったが、それは私の錯覚だった。友人たちに囲まれ、にぎやかに楽しく過ごしたので、そう思っただけのことだ。もし、独り身の私が移転したら寂しくて「誰かいないか」と叫び出したくなるだろう。統計では、リタイア後に田舎や海外暮らしを始めた7割が挫折し、長年暮らした都会へ戻っている。
老いは寂しくなって行くことだ。40代の頃は24時間、いつでも電話が出来る相手がいたが、今は死んだり弱ったりして、当たり前の時間でも電話できる相手は殆どいない。
若い頃はやりたいことに寝食を忘れて取り組んでいたが、今はそうはいかない。しかし、体力の回復を待っていては永遠に何も出来ない。体力が7割でも回復したら良しとして、いい加減に取り組むようにしている。
世俗での「70歳からのサバイバル」の問題点は年回りだ。占いや暦を見て今年は良いとか悪いとか行動基準にする人が多いが無視すべきだ。ポジティブな予見だけを信じて「年回りが悪いから3年待つ」などのネガティブな予見は絶対に信じるべきではない。70歳過ぎてからの3年は、それで寿命が終わることだってあり得る。だから、何かを始めたその時こそが最良の年だと思うことにしている。
老いてから大切なのは「あの時こうすれば良かった」などと後悔しないことだ。過去の失敗を人生のスパイスと考えれば、良い思い出を際立たせるのに役立つ。人生は苦味、甘味、酸味、旨味が程よく交ざって本当に素晴らしい人生になる。
老いると無意識のうちに経験で得た智慧を生かして、さほど大きな失敗は繰り返さない。失敗を恐れるあまり挑戦しないで人生を終えることこそ最大の損失だ。
「前へ前へ進み、最後は前のめりに倒れて死ぬ」
坂本竜馬の名言だったか、これは好きな言葉だ。最期の場所がドブ水であっても、前のめりに死にたいと思っている。
昨日の夕暮れ。激しい驟雨のあと青空が見えた。
シャワーに死のイメージがある。今日も汗を流しながら、一瞬死のイメージがよぎった。以前ブログに書いたが、10歳くらいの頃の体験がトラウマになっているようだ。
私が育った漁師町・日南市大堂津には県下でも有名な風光明媚な海水浴場があり、夏休みには内陸から多勢の子供たちが臨海学校に来ていた。
地元の子供たちは朝7時頃から広い砂浜に出かけ、泳いだり、冷えた体を熱い砂浜で温めたりして過ごした。私は水泳が得意だったので、遊泳禁止の沖合で泳いでいた。監視員はいたが、今程、うるさくは注意されなかった。
遊泳禁止の赤旗の外で、青空と雲を見上げながらプカプカ浮かんでいると、突然に誰かにしがみつかれた。一瞬だが見覚えがある上級生だった。彼はとても大人しくて悪戯するタイプではない。おそらく溺れかけて私にしがみついたのだろう。私は振りほどこうと何度ももがいたが、彼は必死にしがみついて来た。もがいていたのは4,5分だったと思う。何度も海水を飲んで、もうダメだと思いながら海底に沈んで行くと、彼は反射的に手を離した。
今もその瞬間を明瞭に覚えている。海面の天井から見える青空と雲が遠ざかって行くのを私はぼんやり眺めていた。そして、海底の砂に足がついた瞬間に我に返り、全力で海底を蹴って海面に出た。すると目の前に知らない男の子の浮き袋があった。地元の子なら総て知っていたので、臨海学校に来ていた小学生だと分かった。彼らは異常な事態に気づいて近づき、私と上級生は助かった。
当時の浮き袋はトラックのタイヤチューブを転用したものだ。黒く大きく頑丈で子供が2,3人つかまっても沈まなかった。砂浜では浮き袋屋がタイヤを山積みして1日5円10円でレンタルしていた。
すぐに帰宅した。母に危険な目に会ったことを訴える気はなかったが、早く帰った経緯を話すと、母はいきなり私の手をグイグイ引いて、上級生の家へ連れて行った。
上級生の家には母親と彼がいた。
「上級生なのに小さな子を危険な目に会わせるなんてとんでもない」
母は母子を厳しく咎めた。暗い玄関の土間で、ただ頷きながら頭を下げ続けていた暗い顔の母子の姿が記憶にある。上級生が年下の子にしがみついて溺れさせるような行為は、たとえ悪戯でも漁師町では絶対に許されないことだった。
母は長くは咎めなかった。彼の父親の記憶はない。もしかすると戦死か海難死したのかもしれない。戦後間もない時代で、そのような子供がクラスに4,5人はいた。
危険な目に会ったが、海が怖くなることはなく、次の日も朝早くから海へ出かけて楽しく過ごしていた。今なら、子供が危険な目に会えば、親は海に行くのを禁じたり、細々と注意したりする。しかし、当時の母親たちは危険がつきものの海を恐れるようには教育しなかった。だから、長年、トラウマにはならなかったと思っていたが、今になって、シャワーを浴びていると記憶が蘇るようになった。
人気があった大堂津海水浴場は利用者が多い分、水難事故が年に1,2度は起きた。子供が水死すると、地元の母親たちは小さな子供をおぶったり手を引いたりして、水死者を見せに連れて行った。4,5歳の頃、私も母におんぶされて、水死者を眺めた記憶がある。
「肛門が開いているから、助からないな・・・」
顔馴染みの内科医が救命処置をしながら話していた。親たちはそれを、河童が尻こ玉を抜いた跡だと子供たちに教えていた。だから子供たちは極度に河童を恐れ、河童がいそうな川の澱みや離岸流のある浜辺では絶対に泳がなかった。
河童と出会ったら挨拶すると、相手もつられて挨拶を返し、頭の皿の水がこぼれて元気がなくなる。砂浜の浅い水辺で、小さく水が湧いているのは河童が息をしているから・・・本当は砂中のカニが起こしている水流だったが、そんなことを子供たちは信じていた。子供たちにとって河童は実在の妖怪で、危険な場所は河童の迷信で避けていた。だから、水死する人たちの殆どは他所から遊びに来た人たちばかりだった。
日南市大堂津全景。旧友が送ってくれた写真にあったのを転載した。
曇り空だが、好天だと実に明るい緑豊かな南国風景だ。太平洋大戦の末期、本土防衛の拠点で、沖合の島影に炸薬を装着した特攻モーターボート"震洋"を待機させ、敵艦に特攻を試みる予定だった。しかし、ベニヤ作りの船体では1発の機関砲弾でも破壊され成果を上げるのは難しく、訓練中の死者を残して終戦を迎えた。
ただし、"震洋"のベニヤ製船体は軽く、操縦性は極めて良かったようだ。"震洋"の基地は写真左手岬崖下の頑丈なトンネル中にあった。
沖合の小島は七ツバエ。右の島は大島。亜熱帯気候でどんな作物も巨大に育つと母は話していた。手前の河口にある小島は虚空蔵島。虚空蔵菩薩が祭られていて、使いのハシボソカラスが沢山住み着いていた。湾の中央にある小さな点はカグラハエと呼ばれる岩礁で、兄たちは泳いで行き、サザエやアワビを沢山とっていた。手前の川は細田川。その汽水域は大粒で美味しいアサリの宝庫だった。
私のトラウマはマイナス面だけではない。生活に疲れると生きる意欲すら薄れる。そんな時、死にかけた記憶が、生への感謝や意欲を沸き立ててくれる。人は死を覚悟していても生きることへの意欲は薄れない。母も死の1週間前、携帯用の酸素ボンベを車椅子に下げて玄関前通路を行き来させると、本当に嬉しそうに遠い奥秩父の山並みを眺めていた。
死の前日、母は気分良く、ポツリポツリと思い出を話していた。あまりにも楽しそうで、今にも起き上がり既に処分してしまった母の持ち物の行方を咎められるのではと慌てたくらいだった。
「何か食べてみる」
母に聞くと嬉しそうに頷いた。その時一瞬、まだ生きられると希望を持ったのかもしれない。
「何か食べたり飲んだりすると体力が急激に低下しますので、点滴だけにします」
数日前から医師に言われていたので、母は何も食べていなかった。私は奇跡的に元気になってくれた、と大喜びして急いでお粥を作った。しかし、スプーンで2口程食べると、母の表情が変わった。誤嚥したのではと慌てたが、そうではなく医師が言ったように体力が低下したせいだった。それから吸引したり人工呼吸をしたりを繰り返して、なんとか自発呼吸を戻させた。
しかし、母の意識は戻ることはなく、翌日の夕暮れに死んだ。母は死の20日前辺りから死を覚悟していた。それでも最期まで生きる意欲は残していたようだ。
どんなに辛い日々でも、生きている素晴らしさを感じる一瞬がある。本当の生の素晴らしさは死が身近になってから感じるものかもしれない。万感の思いをこめて、母が最期に見せた笑顔から、そんなことを考えさせられた。
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