救われる断捨離と、却って煩悩を深める断捨離・・14年8月10日
台風11号の余波で、時折、驟雨が通り過ぎた。四国の集中豪雨は気の毒だが、好天が続いた東京では程よいお湿りになりそうだ。
お昼前、玄関前を激しく雨が打ち付けた。カメラが濡れないようにタオルで巻いてシャッターを押した。撮り終えて部屋に戻るとすぐに雨は通り過ぎ、薄日が差して蝉が鳴き始めた。
相変わらず住まいを片付け続けている。昨日は大宮の浜田さんに来てもらって、エッチングプレスと額作り用のノコギリセットなどを持って行ってもらった。エッチングブレスは今の住まいに引っ越して来てから使う機会がなく、招き猫や彫刻の置き台代わりに使っていた。
エッチングプレスは玄関からの通路真っ正面の頑丈な道具入れ上に設置してあった。今まで考えたことはなかったが、なくなってみると戸惑いを感じる。エッチングプレスには、銅版を置く頑丈で重い鉄板が付いていて、その鉄板を母が手摺代わり使っていたことを想い出したからだ。ものを捨てる都度、そのような思い出が次々と蘇って喪失感を感じる。
終戦後、外地で無一文になった多勢の日本人たちが引き揚げて来た。その時、富士山を眺めた多くの日本人が祖国に戻って来た安らぎを感じた。外地で生まれ育って、一度も富士山を見たことがなかった人までが、その感慨を感じたと言うのだから不思議だ。
ものはとても脆いものだが、失っても町や村の共同体、故郷の風景、家族や友人が残っていれば救われる。断捨離は、日常の中で忘れているそれらを確認する作業なのかもしれない。もし、断捨離で悩みが深まるのなら、本当に大切なものを見いだせなかった結果だ。
しかし、喪失感をきっかけにして、本当に自分を支えてくれるものを探し出すことができる。移ろいやすいものではなく、確固とした自分自身に支えを見いだせるなら、更に素晴らしい。例えば、普通の家庭人なら、ものを失った時に家族や友人たちの大切さを再認識する。家庭を持たなかった私の場合は、友人たちや、変わらない散歩コースや街並に安らぎを見いだす。
幾度も記載しているが、私にとってディズニーランドは変わらない安らぎの一つだ。あの施設には30年変わらない風景とキャストの笑顔が保持されている。しかし、30年後となると確信はない。想像したくないが、園内にゴミが舞い、施設のペンキが剝げ、老朽化したビッグサンダー・マウンテンに危険に付き運行中止の張り紙が貼られるかもしれない。よく教育されたキャストたちは消え、薄汚れた中年従業員たちが物陰でふてくされてタバコをふかしているかもしれない。
そのように自分の外に支えてくれるものを見いだしても永遠ではない。三陸大津波では美しい町と共同体が一瞬で破壊され、福島第一原発周辺の町は帰れない廃墟になってしまった。だから、どんな激変にも耐え得る高度な精神的なよりどころを見つけないと断捨離は巧く行かない。
とは言っても、大上段に振りかざし堅苦しく考える必要はない。ものを捨てることで喪失感を感じたなら、お手軽に身近なものに支えを求めれば良い。それが壊れたら、次を探し出せば良い。それを何度か繰り返している内に人生は終わるはずだ。
ところで、エッチングブレスがなくなり喪失感を感じた私は、その後、冷たい緑茶を魔法瓶に入れて散歩に出た。そして、いつもの公園の緑陰で休み、iPodで音楽を聴きながらゆっくりとお茶を飲み干した。それから、生協で牛乳と野菜ジュースを買って帰ると喪失感は消えていた。そのように切り替えられたのは、低迷し続けた人生の賜物かもしれない。
日曜美術館ではバルティスを取り上げていた。バルティスは好きな画家だが「20世紀最後の巨匠で孤高の画家」と解説されていたのには違和感を感じた。
彼は孤高ではない。何度も書いているが、孤高とは、絵が売れず自殺したゴッホや自殺未遂したゴーギャンなどにふさわしい言葉だ。バルティスは40代で絵で支払うことを条件に、画商から農園付きのお城を提供されている。最期を過ごしたスイスの由緒ある木造豪邸は数点の絵の代償として得ている。若い頃の彼は貧乏画家だったが、40代からは一貫して日の当たる道を歩いて来た。
解説者が、少女のエロチックな肢体を好んで描く彼を、芸術のためで決してロリコンではないと力説していたのには笑った。ロリコンを芸術的だから違うと、ごまかす必要はない。そのような詭弁は却って恥ずかしい。
立秋の頃の緑道公園。6年近く、この陸橋前に巨大な作業施設が建てられていて鬱陶しかったが、やっと取り払われた。
先日、国立西洋美術館のRINGS 指輪展を見た。上野で用事を済ませ、次の予定まで時間が空いたので、何となく入った。殆ど期待していなかったので意外に良かった。絵描きになる前、彫金で25年間生活を支えていたので、技術的なことが詳細に分かるので他の人より楽しめた。
古代から近代までの宝飾品が網羅してあった。個人的にはきらびやかな近代より、エジプトや古代ローマ辺りのシンプルな護符をモチーフにした作品に惹かれた。
メメント・モリを表現した中世のギメル・リングも良かった。ギメル・リングとは2個のリングを組み合わせた指輪だ。気に入ったそれはハートの形に組み合わされたギメル・リングで、組み合わせを開くと骸骨の彫刻が現れるようになっていた。メメント・モリとは「死を記憶せよ」の意味で、中世芸術のモチーフによく使われている。そのギメル・リングは愛=生命の盛りにも死を忘れるな、と言った隠喩を示している。
他に面白かったのはヒキガエル石の指輪だ。作品解説には、ヒキガエル石は腎臓の病気を防ぎ、毒を検知すると汗をかいて色が変わり、新生児と母親を悪い妖精から守る、とあった。それを粉末にして熱さましや、毒虫の制毒剤としても使われていた。
昔の西欧では歳を取った大きなヒキガエルは頭の中に宝石を持っていると考えられていた。それがヒキガエル石で、幸福が得られるお守りとして使われた。展示作品の色は灰色がかった不思議な茶色で、お世辞にも美しい石ではない。しかし、その強力な霊力から大変珍重されたようだ。
本当はヒキガエルの頭から宝石が発見されることはなく、巨大な魚の歯の化石だったようだ。漢方では恐竜などの化石は竜骨と呼ばれ、鎮痛強壮効果があるので、化石であるヒキガエル石の効能は正しかもしれない。
夕暮れ雨が強くなったが、しばしば止んで青空がのぞいたりした。
昨日は長崎原爆の日で、慰霊祭の中継を眺めていた。先日の広島原爆の日の安倍総理のスピーチが以前のを使い回したとの噂に興味があったからだ。肝心の安倍総理のスピーチは聞き逃したが、被爆者代表の老女性の「平和への誓い」は聞いた。
「・・・集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじる暴挙です。日本が戦争できるようになり、武力で守ろうと言うのですか。武器製造、武器輸出は戦争への道です。いったん戦争が始まると、戦争は戦争を呼びます。歴史が証明しているではないですか。日本の未来を担う若者や子どもたちを脅かさないでください。被爆者の苦しみを忘れ、なかったことにしないでください・・・」
彼女はそう訴えていたが、これでは国民の大きな共感は得られない。
彼女の「平和への誓い」には巧妙な飛躍があり、警察が武力を放棄すれば強盗殺人が起きないと言っているのと似ている。世界から武力をなくせば大きな戦争は起きないのは正論だが、日本だけが武力を放棄しても戦争がなくなることは絶対にない。
南シナ海の西、南沙諸島などが中国に蹂躙されているのは、領有権のある周辺国に対抗できる武力がなかったからだ。そして、尖閣を守り続けられているのは日本に武力があったからだ。そのことは反日マスコミの朝日ですら認めている。彼女の「平和への誓い」に侵略的な周辺諸国への言及がなかったのは政治的過ぎた。これでは一昔前の反日左翼活動家の言動と同じで、広く共感されるのは難しい。
西沙諸島の中国による石油掘削については、ベトナムのグエン・フー・チョン総書記が「我々は戦争へのすべての可能性を想定して準備をしなければならない」と、戦争も辞さない強硬姿勢を示したことで休止している。
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