銀座で2014年米国版GODZILLAゴジラをセンチメンタルに観た。14年8月2日
1日は2014年米国版「GODZILLA ゴジラ」を銀座のTOHOシネマズ日劇で観た。金曜の18時半上映は混雑しそうなので、あらかじめネットで良い席を予約しておいた。2D上映なので立体眼鏡代金が不要。シニア料金1100円は本当に助かる。
上演の1時間前に着いたので銀座のギャラリー・オカベで時間つぶしをした。ギャラリーでは今日まで立花光朗氏の木彫展をしている。作品は自然の樹形や樹皮を生かして、女性を妖精のように表現していた。
立花氏は私同様に大変なSF好きだ。「ゴジラ」は既に千葉の劇場で観て、とても良かったと話していた。タルコフスキーの「惑星ソラリス」や「ブレードランナー」など、次々と昔のSF映画名作の話で盛り上がった。おかげで、待ち時間はあっと言う間に過ぎてしまった。
映画館へ向かう数寄屋橋交差点から夕空を撮った。右手建物が有楽町マリオン。
映画館のロビーは入場待ちの客で混雑していた。ゴジラ像がしつらえてあったので撮った。
昨夜も寝不足で眠い。映画が始まったが、ゴジラの現代批評的な導入部には興味はなかった。だから、日本の原発で放射能を吸収した怪獣ムトーが力を増して目覚めるまでの説明シーンは、とても眠かった。
夢うつつに・・・映画に登場する冷却塔がある原発は内陸部に建設する欧米型で日本にはない。日本の原発の殆どは海辺に設置して海水で冷却するから冷却塔は不要だ・・などと考えていた。
しかし、ムトウが凶暴に目覚めると私も目覚めた。ゴジラ映画の魅力は現代批判にはなく、荒々しい凶暴さにある。新怪獣の何となく日本ぽい名前から「ムトウ=武藤」とか「ムトー・ハップ」を連想した。そんな馬鹿馬鹿しい連想は、まだ眠気から醒めていなかったからかもしれない。
ムトー・ハップとは・・・昔からある、お湯をミルクみたいに白濁させる硫黄臭い入浴剤の商品名だ。その変わった名前は610ハッピーを変化させて生まれたらしい。硫化水素自殺が流行ったころに、硫化物を少量含むムトー・ハップは販売規制を受けて店頭から消えた。その後、規制はすぐに解かれたが風評被害で販売店側が取り扱いを止め、製造会社は泣く泣く生産中止にした。しかし、今でも人気が高く、製造会社の在庫が細々と流通している。
ムトーは翼竜怪獣ラドンと西洋の悪魔のイメージを合体させて作られていた。ムトーはロシア原子力潜水艦を補食して強大になってホノルルを襲った。そこにゴジラが現れてムトーに闘いを挑むと、劣勢のムトーは米本土へ飛び去った。
その頃、ネバタ州の放射性廃棄物処分場に保管されていた巨大な繭からメスのムトーが羽化した。彼らオスとメスはサンフランシスコで合流し破壊の限りを尽くし、メスは地下に大量の卵を産みつけた。
そこにゴジラが現れ、ムトーたちと激闘を繰り広げた。
ゴジラは千両役者である。海面を盛り上げで巨大津波を起こして、見上げるような巨体を現せた時「待ってました」と声援を送りたくなった。
ストーリーや社会的な意味付けはどうでも良い。見たかったのは悪役ムトーとゴジラの闘いのシーンだった。ハラハラドキドキする激闘の末、ムトーたちを炎で焼き破壊し、海へ戻って行くゴジラの姿は神そのもので、胸が熱くなった。
破壊シーンの各所に、NYテロのツインタワー崩壊シーンや三陸大津波の映像が重なった。おそらく監督はそれらを念頭に制作したのだろう。
かくて、昭和30年10歳の時に最初の封切りを見てから60年。ゴジラ進化の頂点の一つを見た想いで映画館を出た。
最初のゴジラは日南市油津の映画館で母と見た。怖くて怖くて前の背もたれの後ろに隠れながら見ていた。映画館前に作られていたゴジラのハリボテが、映画を観終えた後は今にも動き出しそうで、とても怖かった。それから数年、夜の海を見るとゴジラが現れそうな気がしてならなかった。
線香花火をしているゴジラ。
ゴジラへの恐れは次第に懐かしさに変わり、今は絵のような優しいイメージに変わった。フランス映画を観ているのは97歳で死ぬ前の母。映画気違いの母は死ぬまで洋画が大好きだった。
Sentimental Godzilla
ゴジラへのオマージュとして描いた。
・・・あれから随分長い年月が過ぎた。凶暴だった彼は、今は優しく音楽を奏でている。それは南の国の雨上がり、琥珀色の追想の日々・・・
帰路につき有楽町駅へ出ると、ガード下でストリートミュージシャンのサックス演奏に女性フアンが5,6人佇んで聴き入っていた。曲は「Fade into Light」 その哀愁ある曲に遠雷のように頭上の列車音が入り交ざり、とても魅惑的に聴こえた。
帰宅してYou Tubeでその曲を見つけて聴きなおした。しかし、音楽スタジオで採録された雑音なしの演奏より、ガード下での演奏は遥かに素晴らしかった。
路上ライブをしていたのは中村健佐(ナカムラケンスケ)。本田技術研究所を脱サラして12年、今は運営事務局を立ち上げコンサートを開催する程に活躍している。
今日午前中の目覚める頃、夢うつつに蝉と新幹線と花火の音が聞こえた。今夜は戸田と板橋区共同開催の花火大会だ。外は猛暑だが、13階の住まいは自然の風が吹き抜けて心地よい。
今の住まいの周りは長年親しくしている人たちばかりだが、12万の家賃を支払い続けるのが難しくなった。本当は母と死別したあとすぐに田舎へ引っ越すつもりでいた。しかし、センチメンタルな性格が災いして母の思い出が残った住まいから離れ難く、苦しいやり繰りを続けながら5年目に入り資金は尽きてしまった。
今は、日本中何処にでも住めるように、ネットでできる仕事への変換を計っている。それが実現したら、好きな地方で老後を送ろうと思っている。
夜、腹に響くように花火の音が聞こえた。外通路に出てみたが見物の人は殆どいなかった。10分ほど眺めて後は仕事部屋に戻り、音だけを聴いていた。
ここへ引っ越して来た17年前は、近所の人たちとビールを飲みながら見物した。
「お元気ですね」
玄関前の椅子に腰掛けた母に、何人もが声をかけて行った。
その頃は外通路に多勢の見物人がいて、にぎやかだった。
今日始めてツクツクホーシの声を聞いた。思い出は楽しくもあり寂しくもある。花火大会が終わると夏も終わりが近い。
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