自分の人生を重ねてしまう朝の連ドラと、敬老の日に思ったこと。14年9月22日
花子とアンは終わり間近い。次々と登場人物が死んで行く展開に、あらためて人生は別れの繰り返しだと思ってしまう。殊に、花子の祖父周造が雪が舞う晩秋の空を見上げながら静かに死んで逝った姿は心に残った。
老いた順に死別して行くのは自然だが、その逆に子供に先立たれた花子と白蓮は本当に辛だろう。震災で好きな人に先立たれた花子の妹かよに気持ちを重ねる三陸の被災者も多いかもしれない。その一方、新たな命の誕生もあるが、独り身の私には遠い世界だ。
母は朝の連ドラが大好きで、どの作品も朝と昼二度見ていた。大きな展開のない平凡なドラマの何処が面白いのだろうと思っていたが、最近、母の気持ちがよく分かる。物語中の死別だけでなく、ありふれた些細な出来事にも母は自分を重ねていたのだろう。
若い頃は世間がよく見えない。様々な辛い思いを経験して初めて世間が見えて来る。母が膝を痛めてからは杖をついている人が目につくようになった。腰を痛めて車椅子生活になってからは、車椅子が気になった。旧居で家賃の支払いに困窮してからは、生活に行き詰まっている人が気になった。
今回の引っ越しで腰を痛めて、いよいよ老年期に入ったと軽いショックを覚えている。肌や頭髪の衰えなどの老いは徐々に進むので、すんなり受け入れていたが、突然に四六時中悩まされる腰痛は本当に辛い。母はもっと大きな苦痛をいつも味わっていたのに、今思うととても明るく受け入れていた。それは昭和の激動期を生き抜いた世代の強さなのだろう。
雨が降りそうな浮間公園。
引っ越しの片付けは8割がた終わった。後は必要なものの整理と仕事の動線の確保だ。昨日はベニヤ板を買って来て、画架と作品の整理棚を作った。
旧居の仕事部屋は長い年月をかけて、手順良く絵の具、筆、筆洗い、パレット、画材の位置を決めて能率良く絵を描いていた。広い住まいなら、それらは難なく解決することだが、限られた狭い空間でそれらを確保するのはとても難しい。道具の探しものに費やしている無駄な時間を早くなくしたい。
先々週、旧居の隣人Yさんが訪ねて来た。彼女は新居で最初のお客さんだ。彼女から四国の実家に咲いていた秋の花をもらった。ケイトウにワレモコウは清澄な田舎の空気が一緒にやって来たようで清々しい。貰ってから2週間が過ぎた今も写真のように瑞々しく元気だ。野生に近く、花屋の切り花より遥かに命が溢れている。
彼女は新居下の荒川河川敷のゴルフ場に来た帰りだった。良い機会なので赤羽ゴルフ倶楽部のレストハウスで待ち合わせした。2階のレストランはステンドグラス装飾のある瀟洒な作りだ。知らなかったが、ゴルフをしない人でもお茶や食事に自由に利用出来るようだ。
お茶の後、彼女を新居へ案内した。彼女と姉は2年ぶりの再会で話が弾んでいた。来客で、にぎやかな住まいは本当に楽しい。旧居は北赤羽駅に近く来客は多かった。今の住まいは駅から遠く、以前のようにはいかないだろう。
小一時間ほど談笑して、彼女のゴルフバックを持って旧宅まで見送った。腰痛は不思議なことに重い荷を肩にかけて歩くと消える。もしかすると、荷物を揺らさないように腰を制止させて歩くから痛まないのかもしれない。
今も旧居を毎日訪ねて郵便受けを覗いている。郵便局扱いの手紙類は転送手続きを済ませてあるが、それができない民間運送会社扱いは今も旧居の郵便受けに届く。それで訪ねて、郵便受けを空にしている。
東京北社会病院下の彼岸花。母は彼岸花が大好きだった。死別後5年を経て、公園の彼岸花は倍に増えた。
いつものコースを散歩していると元内科医の統合失調症のTさんと会った。Tさんはマスコミの統合失調症の取り上げ方は間違っていると話していた。確かに、番組で取り上げるのは立派に元気に生活している部分ばかりで、あれでは患者は大したことはないと誤解されるかもしれない。何事でもそうだが、良いところだけでなく、悪いところも取り上げないと、病への誤解は解決しない。先週の敬老の日、100歳前後になっても活躍していた絵描きをEテレで特集していたが同じことを感じた。
「百歳なんて若造です」
日本画家・小倉遊亀の答えに質問者は深く感心していた。この言い回しは長命で元気な人が好んで使うが、短命な人への思いやりのなさは惚けによるものだ。
「百歳近くなって、やっと絵が良くなった」
ある長命の洋画家の言葉だ。しかし、その画家の壮年期の作品は、明らかに老年期より優れている。彼が良くなったと思ったのは、惚けによって審美眼が衰えたことによるものだ。
いずれも、そのような言葉を殊更取り上げる制作側の編集に問題がある。ちなみに、老いて作品が良くなったのは日本画家・富岡鉄斎くらいのものだ。彼は80歳近くになって本当に絵が良くなった。
Tさんと近況を話ししているうちに日が落ちた。それからいつもの公園へ行き、いつものベンチに腰掛けてぼんやり夕空を見上げていた。その30分程に変わらない安らぎを感じる。先週まで、散歩道でツクツクホーシが鳴いていたが、この数日、聞かなくなった。今年の秋の訪れはとても早い。
散歩をしていると昔のことばかり想い出す。かと言って旧居に戻りたいとは思わない。今はあの高額家賃を払い続ける力はないし、思い出が消えてしまった住まいは空虚なだけだ。
想い出すのは母を介護して死なせた赤羽北の旧居ではなく、27年暮らした赤羽台の家の記憶だ。住み始めた頃は母だけでなく祖母も父も元気だった。姪や死んだ甥や兄姉も友人たちもよく訪ねて来て本当ににぎやかだった。私自身もとても元気で、いつも希望を持って前へ前へ進んでいた。
いつも今が一番良いと思って来た私だが、新居に移った今は違う。家賃負担が軽減して生活にゆとりができたのに、空虚さに囚われてばかりだ。もしかすると、これが老いなのかもしれない。何をこれからの生きるすべにしたら良いのか、まだ見つけられずにいる。戦ってばかりの人生を続けて来て、初めてのこの経験に心底戸惑っている。漠然と、残り少ない余生をプレッシャーにして頑張ることだと考えているが確信は持てない。
8月から引っ越し準備に入り、新居では非能率に深夜までダラダラと片付け続け疲労困憊していた。しかしようやく疲労が薄れて来た。昨夜は久しぶりに7時間寝た。新居は南西に向いていて、午後の西日が強い。絵の仕事場は光が安定している北向きが良い。その点、北向きの部屋を仕事部屋にしていた旧居は快適だった。新居の仕事部屋は午後は仕事が難しい。これからは早起きして、日が差さない午前中に仕事を済ませようと思っている。
最近見つけた四葉のクローバー。
余談だが、ヘーゲルは著書「精神現象学」で、若者は生死をかけて自分を認めさせる承認への戦いをすると言っていた。しかし、老人はどんなに強い者でもいつか敗れることを知っている。もし、無理に勝利を維持しようと努力を続ければ競争の奴隷に陥って自由を失って行く。
仮に自由を確保したとしても、自由は心許なくて危うく人を孤独にしてしまう。かと言って、自分を認めてもらおうとすると八方美人になり自由を失う。
一人では幸せにはなれないのは厳然たる事実だ。だから、気遣いや愛が生まれるのだろう。インターネットは孤独な人たちに、一人でも生きられるような錯覚を生んでいる。だが、人とのリアルな繋がりを失えば人は確実に不幸へ落ちて行く。
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