幸不幸は過ごした年月で計ったりせず、ボーッと過ごせば短命も長命も関係なくなる。14年9月29日
午前4時半、夜明け前の荒川河川敷。
夜明け前からジョギングやウォーキングの人がたくさん行き交う。写真では暗くて分かりにくいが5,6人はいる。昔の夜の荒川土手は寂しくて怖い場所だったが、健康志向の今は深夜までジョギングしている人がいる。
先日まで、荒川土手で会っていた80歳ほどのお年寄りは、体を左に大きく傾いた姿勢で歯を食いしばって歩いていた。顔色は悪く体調が悪く見えたが、最近見かけない。その方も10年前は元気一杯だっただろう。それを思うと、満身創痍の今の自分でもかけがえがなく健康に思えて来る。
元社会党党首の土井たか子氏85歳が肺炎で死去した。位人臣を極めて最高の医療を受けられた人だが、それでも最期は必ず来るものだ。
彼女の歳まで私は15年の猶予がある。若者にとっての15年はとても長いが、私の歳では一瞬の長さで、ゆとりなどない。
そのように、人生の価値を年月で計ると辛くなる。価値は常に現在の自分を総てとして考えるべきかもしれない。もし今が辛ければ、過去の楽しい記憶や未来への夢が安らぎを補ってくれる。それでも安らぎが得られないなら、ボーッと無心で過ごすことだ。
もし、その生き方が出来るなら、短命を嘆いたり長命を誇ったりはしなくなる。何故なら、人は生きている人と亡くなった人2種類だけで、過去の幸不幸に関わらず共に生きていることでは同等だからだ。
緑道公園を散歩していると金木犀が香った。この香りを嗅ぐと1年の過ぎる早さを感じる。
毎日、散歩道の決まったベンチで空を見上げながら30分ほどボーッとしている。
母の車椅子を押している頃も、母の車椅子を傍らに置き、そのベンチで休んでいた。
その30分は最高の安らぎの時間だ。もし、そのベンチで、ボーッとしながら最期を迎えられたら素晴らしい人生になるのだが・・・かなわぬ願いだ。
以前にも記入したが、脳はぼんやりすることで幸せ感を生む働きをする。脳科学者の研究では、ぼんやりしている時と、座禅などで瞑想している時の脳の働きはとてもよく似ていると言う。何も考えずボーッとしていると、脳は哲学的な自己認識や記憶や情報の統合など重要な働きをして、新しい発想や多幸感を生み出してくれる。
荒川土手では、土手に腰掛け河川敷や荒川をボーッと眺めている人が必ずいる。彼らも、日常の辛いことや嫌なことを忘れ、ボーッとしている幸せを感じているのかもしれない。ちなみに、土手内側の街並を眺めている人は皆無だ。ボーッとするには広々とした自然が必須のようだ。
昨日日曜日に久しぶりに赤羽自然観察公園へ行った。
写真は母がいつも撫でていたトウネズミモチの幹。
以前は、この小さな枝の根元から親指程の太さの枝が伸びていて、母はいつも「元気に大きくなりなさいね」と枝を撫でていた。
ある日その枝は草刈りボランティアによって剪定されてしまった。
それでも母は「芽を出しなさいね」と傷跡を撫でていたわり続けた。
母と死別してから5年目に入った。
トウネズミモチの幹には母の望み通りに新しい枝が芽生えた。
それは母が新しい夢を紡いでくれたようで嬉しかった
自然公園の小さなソバ畑。白い花と根元の赤く染まった茎が懐かしい。
田んぼの稲はたわわに実り間もなく刈り取りが始まりそうだ。
先日の夕空。
飛行機雲とは違うように見える。不思議な地震雲みたいな形なので写真に撮った。
これから6時間後に、雲が延びて行く方向の北陸で地震が起きた。そして翌日御嶽山が噴火し、多勢が死傷した。
若い人が多勢亡くなったが、そんなに早く人生が終わるとは夢にも考えていなかっただろう。いつ終わるか分からない命だからこそ、人生の価値を年月で計ってはならないと思っている。
引っ越し以来、半田ごてなどが入ったブリキ箱が見つからなかった。
人形のお雪さんは夏の浴衣のままで衣替えが終わっていない。
母が作った着替えを探したが、しまってある博多にわか煎餅の箱も見つからない。
私の部屋を始め、ありそうな場所を総て探したが行方が分からなかった。
探す場所は姉の部屋を残すだけになったので聞いてみた。
「ブリキ箱も博多にわかの箱も見たことはないよ」
姉は見たことも片付けた記憶もないと素っ気なかった。
それでも無理を言って姉の押し入れを見せてもらうと、姉が小物を纏めた段ボール箱に、ブリキ箱と博多にわかの箱は入っていた。
「あら、こんな所にあったのね」
姉は平然としていた。
もし、それが母だったら
「自分でしまったのを忘れていたみたい。ごめんごめん」
と、素直に間違いを認め、明るく謝ってくれた。
血のつながった母と娘でも、性格は微妙に違う。
「おばあちゃんとおばさんを比較しちゃダメだよ」
姪は言うが、何事につけて母の大きさと姉の小ささを比べてしまう。
実際の体つきも、長身の母に対しては姉は小柄だ。
お雪さんの衣替えは、母の終末期に姉に頼んだことがあるが、乱暴だったので以来私が着替えさせている。
衣替えを済ませると心なしかお雪さんは嬉しそうに見えた。
母が作った羽織の袖にちっちゃなお雪さんの手を通していると、
「ごめんごめん。寒かったでしょう」
と、母が優しく衣替えをさせていた姿を思い出した。
お雪さんは、始め母が作っていたが、不細工なので私が代わって仕上げた。胴体も手足も桐材と胡粉で精緻に作った。髪の毛は重みがあってしなやかな絹の穴糸を使った。
時折、お雪さんの前髪が少し伸びることがある。髪の毛に使っている穴糸のよりが緩んだためで怪奇現象ではない。伸びて不揃いになると切り揃えている。
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