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2014年9月10日 (水)

浮間2丁目の新居にて、人生悲喜こもごも。14年9月10日

ブログを随分長く休んでしまった。
上京してから5回目の引っ越しの今回はとても疲れた。多量の道具類と作品の梱包に使った段ボールは100個近く。新居に足の踏み場もなく山積みにされた段ボールを片っ端から開封して大雑把に収納した。おかげで、仕事用眼鏡がない、電気配線に使う半田がない、常備薬がない、重要書類がない、ハサミがない、と一日の大半は探し物をしている。これから整理して、なんとか11日に仕事を再開する予定だ。

連日、深夜まで重い物を片付け続けて、全身筋肉痛になった。彫金や彫刻用の道具は、最大70キロと重量物揃いだ。おかげで腰痛が酷くなり、かがむのも寝るのも一苦労だ。

今回は生まれて始めて親指の腹に豆ができた。原因は段ボール梱包に使った安い中国製粘着テープだ。国産布テープなら容易に指でカットできるが、中国製はすぐに縦に裂けて、それがやたらに指にくっつく。粘着力も異様に強く、剥がす時に指の皮を引っ張るので大きな豆ができてしまった。

新居は浮間二丁目の荒川べりの激安区営住宅だ。ダメ元で初めて申し込んだら、倍率が高いのに当たってしまった。まさか当たるとは思わず、落選回数稼ぎのために、いい加減に申し込んだのが災いして、最後の最後まで入居は危うく、一時は完全に諦めていた。


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新居からの荒川風景。
この一帯は都営住宅が多いが、荒川土手に隣接している区営住宅はこの一棟だけだ。Googl地図やストリートビューで調べれば簡単に新居を特定できる。

42年前、赤羽へ引っ越して来た頃から、夕暮れになると毎日荒川土手を散歩した。その頃はこのアパートはなく、広い庭付きの都営一戸建て住宅が10軒程あった。その先には茅葺き農家があった。やがて、都営の戸建住宅は現在の9階建てアパートに建て替えられ、区に移管された。

その頃は埼京線はまだなく、交通の便は悪かったが自然好きの私には最高の散歩コースだった。それから30数年後、その公営アパートに入居するとは夢にも思っていなかった。
茅葺き屋根の農家は豪邸に変わり、周辺の畑も住宅地に変わった。


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朝の荒川風景。夜が白むと同時に、毎朝、荒川土手を多勢がジョギングしている。新居は6階で、以前の13階と比べると、眺望の広がりは小さい。以前の住まいからは奥秩父の山塊が手に取るように眺められて山好きには最高の住まいだった。その喪失感は息苦しい程に寂しい。


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今日夕暮れの荒川上空の満月。


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新居は埼京線の北赤羽駅と浮間船渡駅から等距離にある。北赤羽駅からのコースは車が多く殺風景なので、一駅先の浮間船渡駅を使っている。このコースの半分は浮間公園内でとても気分がいい。写真は浮間公園に隣接する荒川河川敷ゴルフ場の赤羽ゴルフ倶楽部の建物。


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夕暮れの浮間公園。公園は浮間船渡駅の前にある。水面は大きく蛇行していた古荒川の取り残された三日月湖。この一帯は旧居より4m土地が低い。昔は絶えず氾濫していて、昭和30年代まで旧家の土蔵には非常用の小舟が梁からぶら下げられていた。低湿地のこの辺りは、江戸の頃から桜草自生地として有名だった。


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住まい近くの北向地蔵尊。古い石仏で趣が深い。

9月5日、都市整備公団査察員立ち会いのもと旧居を引き渡した。
私と母の痕跡が総て消えた住まいは、葬儀の後のがらんとした部屋に似ていた。
査察員を送り出し、ブレーカーを落とし、玄関に立つと万感迫るものがあった。
込み上げるものを抑え、17年間の苦楽が染み付いた住まいに永久の別れを告げた。


新居には自治会組織があり、月一度は全戸総出で団地の掃除をする。その他にも様々な管理分担があり、小さな村落の雰囲気だ。それは煩わしい一面、殆どが顔見知りなので、知らない人は近づきにくく防犯に役立っている。

歩く距離は長くなったが、毎日、今までと同じコースを散歩している。昨日も今日も旧知の人たちと会って、気持ちが和んだ。

浮間橋から旧居の城塞のような建物が見える。そこで母を看取ったので、いつも立ち止まり、心の中で母の冥福を祈る。本当は手を合わせたいが、橋の真ん中で手を合わせていたら身投げと間違えられるので、それは止めている。

母は緑道公園の陸橋から、昔、祖母と父を看取った旧居の跡に向かつて、いつも手を合わせていた。今になると母が手を合わせていた気持がとてもよく理解できる。


新居の区営住宅は光通信に対応している。
しかし、利用している人はほとんどなくて、我が家へ光ケーブルを引く工事に難航した。
7日の夜にやっと開通し、電話番号は光電話特有の局番に代わった。旧電話にかけると3ヶ月間は新番号の案内がある。開通してからパソコンの周辺機器を含め、正常に動かせるまでまる1日を費やした。おかげでブログのアップは更に遅れた。


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30歳代に描いた古い作品。
赤羽台団地の駐輪場。真夏の太陽にギラギラ輝いている姿に感動して描いた。

深夜、荒川河川敷の秋の虫が降るように聴こえる。住まいを吹き抜ける川風は強く寒いくらいだ。12時過ぎ、ベランダの遠く向こうを埼京線の最終電車が走り去った。

新居は家族向けの住宅なので姉と同居している。
昨夜は新橋で働いたている姉を北赤羽まで迎えに行った。そのコースは深夜まで人通りが多く、これからは一人で帰れると言うので、今夜から迎えを止めた。
72歳の姉には通勤が長くなり体にこたえるだろう。歳の順に逝くとしたら、母に続いて姉を見送ることになる。平穏な人生は難しく、残り少ない年月は悲喜こもごも過ぎて行くのだろう。


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