70歳は死が身近になる大きな分岐点で、臨死体験への期待がより深くなった。14年9月16日
NHKスペシャル「臨死体験・立花隆思索ドキュメント・死ぬとき心はどうなるのか」を見た。昔、彼の著書「臨死体験」を読んだので関心は深い。膀胱ガンが再発している74歳の彼は70歳は死がより身近に深くなる分岐点だと話していた。そのことは後4ヶ月で70歳の私も身を以て理解できる。
私は自分の死は認識できないと思っている。それは、眠りや気絶した瞬間を認識できないことと同じだ。言い換えると、他人の死は認識できても、自分の死へは永遠に到達できない。
だからと言って死の恐怖が消える訳ではない。だから死の間際の臨死体験は大きな救いだ。番組中、米国取材での死から生還した人の5分の1は臨死体験を経験してした。彼らに共通していたのは、臨死体験で全知全能の神の存在をはっきりと感じ、光と花々に溢れた美しく神秘的な世界で人生最高の幸福を感じたことだ。
ケンタッキー大のケビン・ネルソン博士によると、臨死体験は大脳下奥深くの辺縁系と呼ばれる、は虫類にも共通する脳の最も古い箇所が担っていると言う。その神秘体験と夢は酷似している。死の間際、辺縁系では眠りと覚醒のスイッチが同時に入る。それは極めて浅い眠りに近い白昼夢に似た状態だ。その時、辺縁系は神経物質を出して死に逝く人を幸福感に満たしてくれる。そのような辺縁系の働きで、誰もが安らぎの中で死を迎えることが出来る。
進化の初期段階に生まれた脳組織の辺縁系は、は虫類にもある。だとすれば、動物の多くが臨死体験をしていることになる。しかし、生物進化の過程で、何故その臨死体験が必要だったのかネルソン教授にも分からない。敢えて言うなら、死の恐怖を和らげてくれる神の恩顧としか考えられない。
臨死の研究をしているミシガン大のボルジギン博士によると、実験ネズミが死ぬ時、心停止から30秒の間に脳活動は三つのステージを経て完全な死に至る。
心停止から3秒ほどがステージ1で、脳波は減弱しているものの基本的に脳細胞は活動している。
続くステージ2では、5秒ほど脳波がリラックスしている状態のアルファ波と、まどろんでる状態のシータ波が同時に強く現れる。
臨死体験をしていると言える劇的な動きはステージ3に起きる。その時、強烈に覚醒している時に出現する強いガンマ波が現れ、脳活動が完全に停止するまで続く。その時、ガンマ波は前頭葉から後頭部へ激しく流れる。それは強烈に何かを想像したり思い出している状態で幻覚や瞑想の状態にとても近い。もし、そのネズミがステージ3から蘇生して人の言葉で語ることが出来たら、きっと劇的な臨死体験を語るはずだ。
人の場合は心停止から脳細胞は数時間は活動しているとの説がある。だから、人の臨死体験は他の生物より生き生きとしていて、神秘的で劇的な幸福感に満ちたものになる。
気をつけなければならないのは、聴覚は最後まで生き続けていることだ。だから、死者の傍で語る言葉は気遣いが必要で、間違っても悪口は言ってはならない。
脳細胞は酸素やブドウ糖の供給が途絶えるとすぐに死滅すると言われて来たが、本当はもっと強靭に長い時間、活動を続けているようだ。それについて記されているフランスの処刑人家系が残した処刑記録がある。
それによると、ギロチンで切り離された頭は少なくとも数分は生きている。フランス革命の時、多勢の人がギロチンで処刑されたが、その時、同じ首籠に落ちた、かって激しく憎しみあった政敵同士の首が噛みつき合ったと記録されている。マリーアントワネットの処刑の時は、彼女の首の髪を掴んでぶら下げ頬をぶって侮辱した処刑人を彼女が睨みつけたとの記録が残されている。
番組では死後の世界や魂についも迫ろうとしていたが、現時点での解明は難しい。私見だが、科学的に証明できなくても、信じない人より信じている人は幸せに死ねると思っている。科学的には生きている意識の中に死者の魂は存在できても、空中を浮遊するような魂は難しいかもしれない。
臨死体験には体内離脱が含まれている。臨死体験では、体から離脱した魂が下のベットに横たわっている自分が見えたりする。先に記したように、人の脳は死亡後も、脳神経は数時間は生き残り、奇跡的に生き返った人が自分の遺体の回りで交わされた会話を体内離脱の感覚で覚えていたりする。
それは神経科学でサードマン現象と呼ばれる状態に似ている。サードマン現象は古代人には普通に備わっていた特殊なサバイバル能力で、右脳が起こす現象とされている。
現代人は左脳で論理的思考をし、右脳で空間認識や芸術的思考を行う。しかし、右脳が担っているサバイバル能力は現代人においては眠ったままだ。
古代の人々は、遭難などで危機的状況に陥ると右脳が働き始めて、実在しない何者かが現れ、励まして助けてくれた。古代人は、それを神々の導きだと信じていた。敬虔な宗教家も、キリスト教、仏教に関係なく、苦行や危機的な状況で、同じような神秘的な現象を体験している。
右脳は危機的混乱が起きた時にサバイバルシステムを起動させる。その現象は苦境に陥った自分を冷静に客観視することで、狼狽を防ぎ、冷静に生き抜く力を呼び起こす。その現象の一つが体内離脱で、体内から魂が抜けたと言うより、自分の置かれた状況を、あたかも空中から眺め下ろすように、客観的に想像しているのだろう。
臨死体験は世界の様々な人種に同じようにある。それは民族の宗教観に関係なく、色とりどりの花畑を浮遊して限りなく大きな多幸感を感じる。そして、神秘的な世界に流れる川を渡ろうとしたり、門に入ろうとした時、誰かに引き戻されて目覚め生還する。その誰かは大好きだった肉親だったり神であることは民族に関係なく共通する。
脳の研究は始まったばかりで分からないことが多い。例えば、インデアンの老人は死期を悟り「今日は死ぬのに良い日だ」と草原へ一人腰を下ろして死を迎える。母を看取ってから私はその逸話を信じるようになった。祖母は5月1日、父は6月1日に死んだ。母が元気な頃、1日に死んでくれたら5、6、7月とぞろ目になって覚えやすいと、生前母に話していた。
そして母は、6月に入ってから急速に弱り7月1日に計ったように死んだ。多分、母は7月1日に死のうと決意していたのだと思う。しかも、私が外出している時や眠っている時を避け、私が傍らにいる時に死ぬことを決意していたはずだ。だから、私は母の最後の吐息と最後の心音を聞くことができた。そのような体験をした人は多い。私も、祖母、父、母に倣い、4月か8月の1日に死ぬと信じている。
死者の魂は信じていないと前記したが、本当は母の魂を信じている。
「長いことやさしく世話をしてくれて本当にありがとう。私が死んだら必ず、あの世から守ってあげるから信じてね」
8年間の母の介護の最後の頃、車椅子を押す私に母は何度も話していた。
そして死別後、幾度となく生活の危機が訪れたが、奇跡的に絵が売れたり、思わぬ金が入ったりして生き残ることが出来た。旧居の公団住宅では3ヶ月の家賃滞納が1年以上続き、打つ手なく裁判所に強制退去を執行される寸前、初めて申し込んだ区営住宅に当たり大きな危機を逃れることが出来た。それらの奇跡は総て、母が起こしてくれたと信じている。
関連して、数日前に小さな奇跡が起きた。母の遺骨は絵の具粉砕用の乳鉢で微粉末にして、ゆかりの場所に一部を撒いた。今回、新居に移り、荒川土手にも撒こうと、小さな革袋に遺灰を入れて出かけた。
その日は、その前に池袋の公団事務所で未払い家賃を清算した。帰りに上着のポケットに入れて置いた遺灰の革袋を確かめると、入れていたはずなのにない。池袋の雑踏で落としたとすれば万事休すだ。何とも申し訳なく気落ちして帰宅した。
翌日、もしかすると奇跡が起きて、落とした革袋を見つけられるかもしれないと思って、前日と同じコースを辿ってみた。すると、東京社会保険病院下の公園のベンチにその革袋が置かれていた。
多分、その近くの舗道で拾った人が置いておいてくれたのだろう。人に話すと「お母さんは正喜さんの所へ帰りたかったのでしょう」と言われた。そのような偶然が繰り返し起きると、ついつい母の魂の存在を信じてしまう。ちなみに遺灰を荒川土手に撒くことは止めた。
日曜の荒川土手から川口方面。住まい直下の東京側の荒川土手が決壊すると東京の半分は水没する。それを防ぐため堤防は日本最強に作られている。対して、川向こうの埼玉側の堤防は東京側の半分程の厚みだ。
東京社会保険病院、夕暮れの庭。
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