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2014年10月20日 (月)

ストレス負荷テストでは、低い所から高い所へ移動するだけで意欲は高揚する。14年10月20日

先日、Eテレでストレス負荷テストを見た。
AB二つのグループに分け、Aグループは低い位置の皿の豆を高い位置の皿へお箸で移す作業。Bグループは上の皿から下の皿へ移す作業。それを長時間させてストレス度を計ると、AグループがBグループよりストレスが少なく、意欲も高かった。

人の意欲は下から上に移動するだけで高揚し、逆に上から下へ移動すると落ち込むようだ。そのテスト結果を私も実感している。17年前、平地の一軒家から13階の住まいに引っ越した時、秩父山地まで広がる地上風景を眺めていると訳もなく気分が高揚した。

そして今回、13階から6階へ引っ越した。住まいからの荒川河川敷は素晴らしい眺望なのだが、何故か気分が落ち込んでならず、旧居でいつも感じていた爽快感を殆ど感じることがない。もし、引っ越し先が13階以上の住まいだったら、意欲は更に高揚したと思っている。

ネット記事にあった若くして大成功した女性企業家は、湾岸の高層マンション最上階の600平米のペントハウスに住んでいる。住まいは10億ほどの超高価格だったが、彼女は少しも高くないと言う。なぜなら、広大な眺望の中で仕事をすると、開放感に満たされ次々とアイデアが浮かぶ。それが次々と仕事の成功に繋がって、住まいへの10億の投資はすぐに回収できた。それも、上記のストレス負荷テストと大きな関係があるようだ。


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好天の日曜は岩渕水門まで足をのばした。傍らの水道トイレが完備された親水公園はバーベキューの家族連れで大にぎわいだった。

荒川の流れはこの水門から隅田川と荒川放水路に分かれる。旧荒川は暴れ川で東京下町はしばしば洪水に悩まされた。その解決のため大正2年に広大な田畑が買収され、17年がかりで荒川放水路が造られた。

水門に最初に行ったのは41年前だ。今と変わらないのはこの水門辺りだけで、直ぐ傍の親水公園は後年に造られたものだ。

その頃は、浚渫した川砂で埋め立てられた荒地だった。埋め立て地にはダルマ船が係留してあった。広い船上には軒の低い家が建っていて、住人は大きなシェパードからヤギやニワトリなどの小動物を飼っていた。
その住まいはジプシーが住んでいるような不思議な雰囲気があり、行けばいつも立ち止まって眺めていた。


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荒川対岸の川口の高層マンション。

それから15年後の43歳のころ、先行きのあてもなく絵描きに転進した。
その頃も、毎日のように岩渕水門まで散歩に行っていた。水門の手前、新荒川大橋たもとに都内唯一の造り酒屋・小山酒造がある。その経営の酒屋で2合ビンを買って水門へ行き、突端の護岸に腰を下ろして酒を飲みながら夕日を眺めた。

夕日を眺めながらいつも、アメージンググレースを聴いていた。これから老母を抱えて、どうやって絵描きで生きて行けるのか皆目見当がつかなかった。それなのに不安はまったくなかった。


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絵描きへ転向してから3ヶ月ほど過ぎたころだ。帰ろうと護岸に積まれた大石から腰を上げ、土手を上り始めると、目の前に四葉のクローバーが風に揺れていた。それまで四葉は一度も見つけたことはなかった。これからとんでもなく良いことが起きるような気がして、飛び上がる程に嬉しかった。

転進しても売り絵で生活できる自信がまったくなかったので、とりあえずイラストで稼ごうと思っていた。当時はイラストの需要が多く、独自性さえ出せば確実に収入に繋がった。

最初に、25年のキャリアがある彫金の技術を使って立体イラスト作り、デザイン関係に売り込んでみた。するとすぐに、東芝EMIからCDと絵本の仕事が入った。

無名で経験もない私に仕事が来たのは理由があった。最初に出版社が依頼していた故長新太氏と東芝の依頼した故立松和平氏の考えが合わず破談になったからだ。更に立松和平氏が推した画家の絵を東芝が気に入らず、もめにもめて締め切りまで半月を切ってしまった。

しかし、東芝にも出版社にも2週間たらずの短期間に仕事をこなせる作家は見つからなかった。それで、自信過剰なくらいエネルギッシュだった私に白羽の矢が立った。

その企画は東芝が10組ほどの有名作家と有名画家を組ませたCDと絵本の大きなものだった。その中に突然無名の私が参加できたのは奇跡に近かい。その奇跡は、あの四葉のクローバーの霊力のおかげだと思っている。

不眠不休で仕上げた仕事は、紆余曲折があったが最終的に認められた。それをきっかけに一気に仕事は広がりイラストと売り絵だけで楽に生活できた。しかし、最初の売り込みに使った金属立体は続けて行くつもりはなかった。ファインアートに軸足を移すために次々と公募展に挑戦して受賞を重ねた。

それからの10年は一瞬に過ぎた。その間に絵本をいくつも出して、絵も順調に売れた。その幸運は四葉のクローバーの霊力を心底信じたことで引き寄せられたものだと思っている。


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今日はすっきりしなかったが、昨日まで爽やかな好天が続いた。
明るい陽射しに照らされた静かな部屋に一人でいると、母が元気だった頃をしきりに想い出す。思い返すと、母がいたから、がむしゃらに頑張れた。苦労ばかりしていた母の老後を楽にさせようと、失敗してもめげずに次々と挑戦できた。

しかし、母と死別してからは頑張る根拠を失ってしまった。更に今、安い家賃の新居に移ってからは、程々に働けば生活ができるようになって意欲は落ち込む一方だ。

頑張って来たのだから、無理せず楽をしたら良いだろう、と人は慰める。しかし、無理をする必要がなくても目標のない生き方では深い喪失感に囚われてしまう。老いてからの喪失感ほど虚しくて辛いものはない。

もう一つの問題点は、仕事の環境が激変して選択肢が少なくなったことだ。収入の元だった絵市場も出版もグラフィクデザインも低迷し、年々落ち込む一方だ。

今は仕事をしていても、砂上の楼閣を作っているようで虚しくてならない。もし母が生きていたら、それでも強引に仕事を頑張り続けられた。その母を失った今は、仕事だけでなく、いつでも帰れる故郷までを失くしたようで虚しい。


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公園のベンチ。10年前に設置されたが、今は朽ち果てた。


低迷から抜け出すためのキーワードは「もののあわれ」かもしれない。それは憐憫でも、寂しさでも、挫折でもない。清少納言の徒然草などでは、現代よりポジティブに解釈され、後年の侘び寂びに繋がった高度に洗練された言葉だ。

自由は相手を屈服させても得られないが、逆に負けを認めると自由は容易に手に入る。「もののあわれ」は仏教における無や、自然のうつろいに近く、創造に繋がる言葉だ。これからの自分の生き方にその言葉は重要な指針になってくれる、と思っている。


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