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2014年10月 6日 (月)

想い出の生まれない土地や家ほど虚しいものはない。14年10月6日

お昼前には、台風18号はスピードを上げて通り過ぎた。今は台風一過の素晴らしい空だ。旧居からの素晴らしい眺望と比べるとスケールが小さいが、ビルの間に奥秩父山系の一部が見えた。


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寒い雨の朝は眠い。今朝はすぐに起きずにウトウトしていた。

ベランダのガラス戸にティリーフの緑の影が写っていた。
隣室から姉の咳が聞こえた。
容貌は似ていないのに咳だけは母に似ている。ふいに、30年前に住んでいた赤羽台の家にいるような錯覚がした。

その家の二階に私の部屋があった。母はいつも、階下の庭に面した部屋で編み物をしていた。時折、母の咳が聞こえると「ああ、元気だな」と安堵していた。

二階の部屋からは隣家の広い庭が見えた。緑豊かで清々しかった。
床の中でウトウトとしながら、30年前のそのような記憶が次々と蘇った。

新居に移転して1ヶ月が過ぎた。
これまでの引っ越しでは、1ヶ月も過ぎれば馴染んでいたのに、今回は一向に馴染めない。それは新しい想い出が紡がれないからかもしれない。

想い出が生まれない家は虚しい。以前の住まいは来客が多く、家族がいて、にぎやかで、振り返ると想い出で満たされていた。しかし、今の住まいは静かで寂しい。このままでは、老後は虚しく一瞬に過ぎてしまう。何とかしなければと、焦る気持ちで一杯になる。


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クローバーの紅葉は好きだ。ぜひ紅葉した四葉を見つけてみたいと思っている。


昨夜、版画家の菊池君と電話で話した。
今も、彼が話した老画商の言葉が重く心に残っている。
「70歳過ぎると、転がるように体力は落ちて行くものだ」
老画商は嘆いていた。
老画商が話したことは気分を滅入らせるものばかりだった。
彼は、同業の銀座の画廊の殆どは絵が売れていないと話していた。そのことは私も、バブル崩壊以来切実に実感している。それでも、出版やグラフィクデザインに関わっていたので収入は安定していた。しかし、ネット普及とともに頼りの紙媒体メディアは総て衰退してしまった。

以前は駅のホームや連絡通路に、必ず洒落たポスターが幾枚も貼られていたが、今は殆ど見かけることはないし、話題になることもない。
雑誌広告も新聞広告も、クライアントが効果対費用を重視し、目を覆うばかりに衰退している。出版も新刊数は維持しているが売り上げは右肩下がにで減少して行くばかりだ。
パッケージデザインも機能重視で、目を見張るようなデザインに出会うことは減ってしまった。

とは言え、成熟した日本社会でのアートへの関心は増している。よいものを作れば需要があるはずだが、既成の需給システムが根底から壊れてしまった。今、作家たちは、仕事をどのように成立させたらよいのか模索し続けている。


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台風の荒川土手。首都を守る頑強な堤防で、写真左手には補修用のテトラポットが積まれている。

最近、住まい下の荒川土手を歩きながらロジェワグナー楽団のアメリカ民謡を聴いている。アメリカの田園風景を河川敷のゴルフ場に連想するからだ。加えて、アメリカの田舎のおばあさんに、大柄で明るく自由奔放だった母を感じる。だから、アメリカの郷愁を歌った合唱を聴いていると気持ちが安らぐ。


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想い出の生まれない土地や家ほど虚しいものはない。
もしかすると、荒川土手の散歩が新しい想い出を紡ぎ出してくれるかもしれないと期待している。


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Goof

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