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2014年10月13日 (月)

老いから逃れることはできないが、ときめきに出会うことはできる。14年10月13日

先週に引き続き台風19号が接近中。おかげでテレビ番組は総て台風関連で潰れた。
風速25mくらいなら、冬の季節風では普通にあることだ。この程度の風雨ならテロップで十分だ。しかし、それができない内規があるのだろう。


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買い物帰りの荒川土手。左の雨に煙る建物が新居。

日曜大河ドラマの軍師官兵衛は利休の切腹だった。その時利休は私と同じ70歳だった。
「なすべきことは総てやった。思い残すことは何もない」
一つの道を成し遂げた利休と比べて、自分が未熟に思えてならなかった。


先日のネット記事に武田鉄矢が20年間鬱に悩んでいたことがあった。
鬱の始まりは42歳の時のドラマ「101回目のプロポーズ」で大ブレークしたのがきっかけだ。

「体調の変化なんですかね。ちょっとうつ病っぽくなって。何をやっても力が沸いてこない。人生の疲れがいっぺんに出て来て、やたらと暗く考える。休んだらこれっきり仕事がこないんじゃないかなとかと嫌なことばかり考える。「パパ頑張って」の家族の励ましも重荷に感じて・・・」
それが当時の彼の心情だった。

それから20年後の心臓の大動脈弁狭窄症の手術も、彼に老いを思い知らせた。現在、彼は65歳。今も鬱状態は残っているようだ。芸能界で大成功し、家族にも財産にも恵まれていた。悩みなどない人生と思っていたが、神は誰に対しても平等に悩みを与えてくれるようだ。


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荒川土手のハシボソガラスたち。
草刈りで、ミミズや昆虫などの餌がとりやすくなって、いつもこの辺りにいる。
餌取りの合間に、枯れ草にゴロンと横になったする仕草が可愛い。ジョギングする人たちは多いが、脅かしたりしない。都心で見かけるハシブトガラスと比べると小型でフレンドリーで、スズメたちも怖がらずに傍らで餌あさりをしている。


引っ越し前の夏の終わり辺りからスランプに陥って仕事への意欲が湧かなかった。これも老化現象の一つかと、半ば諦めていたが引っ越し疲れが癒されるにつれ意欲が蘇った。

しかし、その意欲は迷いのない盤石なものではない。迷いを抱えながらの見切り発車だ。これから良い作品を生み出したとしても、根底にある大きな迷いや喪失感は解消しそうにない。

人生の中で喪失感ほど辛いことはない。
大切な人との死別。社会的地位の喪失。想い出や財産の喪失。それ以上に大きなのは自分の健康と命の喪失だろう。

死から逃れることはできないが、新しいときめきに出会うことはできる。
知人は最愛の夫に先立たれ、長い間、喪失感に苦しんでいた。しかし、息子が結婚して孫が生まれ、昔の輝きを取り戻した。今は孫が結婚するまでは元気でいたいと、ウォーキングに励んでいる。
そのような新しい家族の誕生は喪失感を埋める最高のときめきだろう。

社会的地位が高く裕福な老人たちが、更に高い地位や更に多くの財力を求める気持ちはそれと同じかもしれない。以前の私は、そのような老人たちを強欲な欲惚けとして馬鹿にしていたが、老いた今は彼らの心情が少し理解できる。

裕福で高い地位に満足しているように見えるのは上辺だけだ。日に日に確実に健康は衰え、家族の心は離反し、荒野を独り行くような寂しさに苛まれているのが、彼らの本当の姿だ。だから新たなときめきを積み重ねて、喪失感を相対的に小さくしようとしているのだろう。
もっとも、私がやっていることは彼らと大差ないが・・・


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赤羽駅前にて。太棹の音に人は立ち止まることなく、忙しそうに過ぎて行く。

太棹の風雪に耐えた力強い音が日に焼けた演奏者に重なった。
彼とは母が元気だった7年前以来の再会だ。その時、母に言われて、ザルの中へなけなしの500円玉を入れた。その時も、今と同様にザルは殆ど空だった。


当時を想い出しながら目をつぶると、旧居の造作や壁のシミまで明瞭に蘇った。
それらは失ってしまった情景だ。しかし、その時間に戻ることができたとしても、安らぎが戻る訳ではない。老いを含め、変化して行く時間は受け入れる他ない。それが嫌という程分かっていても、どうしようもなく想い出が募る。

絵を描く意欲が蘇ったのは、想い出への憧れを素直に受け入れたからだ。今思うと、想い出を記憶から圧殺してしまおうとする気持ちが、無意識に絵を描く意欲を薄れさせていたのかもしれない。

人の運動能力や短期記憶力は年齢とともに劣化する。しかし、言葉や理性、知性、判断力などは70歳辺りまで向上し続け、死の2年ほど前まで高水準で維持される。だから、70歳を超えても様々に挑戦できて、新たなときめきに出会うことができる。

先日の発表では、日本の老人体力は努力好きの資質のおかげで年々向上していた。
新居下の荒川土手でも、夜明け前から暗くなるまで引きも切らず老人たちがジョギングやウォーキングをしている。

ときめきのない人生ほど虚しいものはない。
だから老人たちは体力維持に努めるのだろう。
私も更に良い作品を生み出すことで大きなときめきが得られると信じている。このまま枯れるべきか、と老いの処し方を悩んでいたが、もう少し熱く生きようと思い始めた。


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散歩道のハナミズキの実。

最近、散歩中に聴く曲をビバルディのヴァイオリン協奏曲に変えた。切なく音の変化の多い曲なのに、散歩道の静けさにとても良く調和している。
ことに、明るく静かな午後の光の中で聴くと心地よい。


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Goof

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