« 100分 de 名著「菜根譚・洪自誠著」は敗者たちに贈る暖かいメッセージ集だった。14年11月9日 | トップページ | 100分 de 名著・菜根譚・真の幸福とは「花は五分咲き、酒はほろ酔いが良い」と中庸を最良としていた。14年11月14日 »

2014年11月12日 (水)

10日は酉の市だった。ロシア民謡の現地アルバムを廉価でダウンロードした。14年11月12日

最近、自分が漂白し続けているように感じる。どの住まいも仮住まいの気持ちが抜けない。プログの副題と同じで、散歩している間だけ自分の居場所を感じる。殊に地平線や水平線を眺めながらの散歩が好きだ。その点で、今の住まい下の広い土手道は素晴らしい。同様に、旧居の富士から秩父山塊、奥日光まで見渡せる眺望も素晴らしかった。

急に秋色が増して、いつも休んでぼーっとしているベンチ前のトチノキは殆どの葉を落とした。停まることなく年月は進んで行く。置き去りにされないように歩き続けているうちに長い年月が過ぎてしまった。

毎年、秋が深まるとロシア民謡が聴きたくなる。
昔はアルバムを買いそろえていたが、録音しないままにレコードを処分してしまった。それで、iTune Store でロシア語で検索してみた。するとロシア現地の16曲収納のアルバムが1100円と安売りしていた。ロシア民謡は多くの日本人歌手が唄っているが、現地の歌声はロシアの大地の匂いがして段違いに素晴らしい。すぐにアルバムをダウンロードして散歩中に聴いている。ロシア民謡は街中ではしっくりしないが、荒川土手の広大な風景の中で聴くと実に素晴らしい。


Ha_1ロシア民謡が好きになったのは母の影響だ。

母が写真の頃、久留米から祖母に連れられて別府温泉によく遊びに行っていた。

その大正時代はロシア革命の最中だった。上海や満州には内乱を逃れた白系露人が多く亡命していた。

その中には起業して成功した者もいた。
そのようなロシア人たちに別府は保養地として大変人気があった。

その頃、母が別府の浜辺を散歩していると、砂浜にロシア人たちが円陣を組んでロシア民謡を合唱していた。
その歌声は当時の日本人歌手の水準より遥かに優れていた。
以来、母はロシア民謡に魅了され、後年、満州へ家出するきっかけになった。


R1


画像は100年前のウラジーミル州のカメンカ川沿いの古都市スーズダリ風景。
当時の最新技術・三色合成方式を使ったカラー撮影である。

1910年〜16年の帝政ロシア末期の風景を、最後のロシア皇帝ニコライ2世の命で写真家セルゲイ・プロクジン=ゴルスキーが撮影した。これは3原色のフィルターを通して同時に撮った3枚のモノクロ・ネガから赤青黄の3枚のボジを焼き、それを重ねたカラー写真。

当時はカラー印画紙はなかったので、スライドみたいに透過光で鑑賞したものだろう。皇帝から下賜された現像用の作業車を使った大掛かりで複雑な作業を経ているが、今の水準に見劣りしないことに驚く。カラー写真には100年前のロシアが目の前に息づいているような新鮮さがある。・・・母は1913年生まれだ。

100年前の帝政ロシアには絢爛たる文化が息づいていた。革命後のソヴィエトはあまりにも多くの損失を与えてしまった。もしロシア革命が農奴を解放して民主化するだけの穏健なものにとどめていたら、アメリカ並みの先進国に発展したとロシア国民は考えている。


ようやく安倍首相と習主席が握手した。短い会談がされたとしているが、成功失敗と評価は大きく分かれている。中国の場合、殊に対日本では会った後、外交が失敗に至れば習主席は糾弾され失脚の可能性すらある。

「本気で会談をするつもりはない。安倍がしつこく会いたがっていたから、アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議のホスト国として儀礼的に会ってやっただけだ」
それが仏頂顔をした習主席の建前だ。
しかし、中国外交は完敗したと言う外交専門家もいる。習主席はたとえ仏頂顔で握手をしたとしても、会って話をして外交文書に記録を残した以上、良い結果を国民から義務づけられてしまったからだ。

だからか、失敗した時の国民の反発を避けるため、中国マスコミはこぞって「尖閣領有権での歩み寄りと、靖国不参拝を日本が約束した」と根拠のない報道をして、習主席の逃げ道を作った。

安倍首相外遊の50ヶ国目の相手が習主席だった。それまでの外遊は韓国中国を除いて成功している。殊にアジア諸国の、対中経済関係は重視するが覇権主義には閉口している、との複雑な思いが鮮明になり、心理的な中国包囲網は成功していた。そのような安倍外交が、今回、中国に歩み寄らせた主因だろう。


経済用語に人口ボーナスがある。出生率が高く若者たち多い間に国力を豊かにして、出生率が下がって少子高齢化が始まったら豊かな頃の蓄えをボーナスとして使う、と言った意味だ。欧米の殆どと日本は人口ボーナスの恩恵を受けられているが、中国は未完成で、今後10年は好景気を続けないと人口ボーナスの恩恵を受けることは出来ない。

しかし、長期間の一人っ子政策により、10年後辺りから日本以上の少子高齢化に晒されることになる。おまけに政治は腐敗し所得格差は極端に開いた。政治家も経済人も稼いだお金を国外に持ち出し、祖国の為に役立たせようとしない。

中国は未来を恐れるから、なりふり構わず周辺諸国を侵略し、西域・チベットの資源を収奪して漢族のための人口ボーナスを得ようとしている。

日本は一般的な技術だけでなく、高齢化社会への軟着陸技術を持つ唯一の国で、公害対策技術も世界最高水準にある。それらの日本技術抜きで中国は安定した未来を迎えることはできない。

もし、中国が独力か他国の協力でそれらの技術を得ることができたとしても、豊かになるチャンスは遅れ、ただ貧しいだけの少子高齢化の近未来社会が待ち受けることになる。習主席が安倍首相と握手したのは、そのような切実な国内事情があったからだろう。


11月10日は酉の市だった。次の二の酉は11月22日。
いつものように王子から都電荒川線に乗った。
王子駅はホームの入り口に簡易の改札口がある。
「今日はお酉さんですよね」
念のために係に聞いた。
「ええ、お酉さんです。鬼子母神でも酉の市はやっていますのでよろしく」
中年係員は下町らしく愛想良く答えたが、鼻毛がボサボサ出ているのが可笑しかった。

都電はスマートで窓の広い新車に代わっていた。運転席後ろに立って、コントローラーを操作しているのを楽しく見学した。

終点の三ノ輪で下車した。そこから竜泉を経て鷲神社への道筋は、50年以上通っている。昔は貧しくて軒の低い商家が並んでいたが、今は地上げが進み、ビルやマンションに建て変わった。

お昼の早い時間に行ったので、お詣りの行列は短かった。それでも長大に並ぶ露店はにぎわっていた。去年との大きな違いは、円安の所為で外人観光客が多くなっていたことだ。


T_2


お詣りの後、浅草の観音様に抜けた。
写真は浅草ひさご通りのすき焼きの米久。かってにぎわっていた商店街の半数はシャッターが下りていた。


T_4


観音さまはお酉さん以上に外人観光客が多かった。
写真の手前におみくじ引き場がある。私はそこで、2010年〜11年にかけて6回連続「凶」を引いた。それで悪いことは何も起きなかったが、それ以来おみくじは引いていない。

おみくじの「凶」は足元に気をつけて慎重に生活しなさい、との神託で、私に悪いことは起きず、むしろ良いことがあった。それは慎重に暮らしたからだと思っている。逆に「大吉」を引いて好き放題に暮らせば、足元をすくわれ災いが訪れただろう。

浅草の観音様は日本一「凶」が多いと言われている。10分ほどおみくじ引き場を眺めていると、日本人女性ガイドに連れられた白人中年男性と家族連れの若いお嫁さんが「凶」を引いた。女性ガイドは心配しないように英語で優しく説明していたので、男性は却ってうれしそうだった。しかし、若いお嫁さんは一瞬顔色が変わり表情が引きつっていた。

以前も書いたが、利き腕ではない、左手1本で凶のおみくじを横木に結びつけると「凶」は「吉」に転化して災難から免れると言われている。

私みたいに6回連続「凶」を引いた者は滅多にいないだろう。内心7回連続の記録達成を狙う気分が頭をもたげたが、自重してその場を去った。

雷門周辺は人力車の車夫が沢山いた。どれも体育会系の日に焼けた若者たちだ。彼らには体を鍛えながらお金も稼げる良い仕事なのかもしれない。帰りはどこにも寄り道せずに帰宅した。


Ma_3

Ma_4

Ma_5

Goof

Mas

|

« 100分 de 名著「菜根譚・洪自誠著」は敗者たちに贈る暖かいメッセージ集だった。14年11月9日 | トップページ | 100分 de 名著・菜根譚・真の幸福とは「花は五分咲き、酒はほろ酔いが良い」と中庸を最良としていた。14年11月14日 »