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2014年11月24日 (月)

死に場所に悩む知人家族と、バングラデッシュの低賃金と劣悪な職場で疲弊する子どもたち。14年11月24日

紅葉が深まり空が明るくなった。


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 秋空に 古煙突の一本気

二年前の句。
段ボール加工工場の煙突で、40年前とまったく変わらず、今も当時のままの姿で残っていた。

快晴の土曜は散歩コースを変えて、久しぶりに新河岸川下流へ行ってみた。
昔のこの辺りは工場地帯で、転炉を使った製鋼所や化学工場が林立していた。昭和60年に埼京線が開通して以来、工場地帯はベットタウンに変わり、工場のほとんどはマンションに建て替わった。私の旧居の公団団地も、そのような工場跡地に建てられていた。


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秋が一段と深まった公園。
ベンチとテーブルに積もっているのはエノキの小枝。不思議なことにエノキは実を付けたままの小枝を落す。実を摘んでみたら、とても甘く香り高かった。

昨日は統合失調症のNさんから80歳の母親のことで相談を受けた。
それで、近くの東京北医療センターに入院している母親を訪ねることになった。

約束した午後、病棟のエレベーターホールでNさんが待っていた。
彼は元内科医で、外科医と建築家の弟がいる。彼は心の病のために働けないが、弟たちの援助と父親の遺産で生活の不自由はない。

母親の個室は暖房が効いていて暑いくらいだった。
彼女と私と死んだ母は長い付き合いだ。彼女は私の来訪をとても喜んでいた。顔色も良く頭もしっかりしている。病名は逆流性食道炎。難しい病気ではないが食欲が減退し足腰が弱るばっかりだと彼女は嘆いていた。

退院後、ヘルパーや食事サービスを受けたとしても、彼の不十分な介護では寝たっきりに一直線に思えた。
「入院しているうちにケアマネージャーと退院後のことを相談したが良いですね」
雑談をしながら、介護施設に入ることも検討したが良いと話した。

「私には介護は無理でしょうか」
Nさんが不安そうに聞いた。
「あなたに限らず、介護はだれにでも大変です。介護は24時間対応で、今日は気が重くて何もできないから休む、と言う訳には行きませんので・・・」
そんなことを話すと彼は納得した。しかし、心なしか寂しそうに見えた。
心の病があると、突然に何もできなくなって1日中寝ていたりする。しかし、老人はトイレや喘息の発作など、待ったなしに対応しなければならない。まして、家事の経験がまったくないNさんが対応に苦慮するのは目に見えていた。
そんな話しを交えながら1時間ほど過ごした。

一階の売店で買い物があるからと、Nさんは玄関まで見送ってくれた。
途中の大部屋の病室からおばあさんの声が聞こえた。
「どなたか、いませんか」
大きくはないがよく透るはっきりした声だった。
それは終末期の母の声によく似ていて、一瞬、その頃のことが蘇った。

母の死の少し前、深夜に母の声で目覚めたことがあった。
「どなたか、いませんか」
病院で聞こえた声と同じように、母は呼び続けていた。
急いで母の部屋へ行って明かりをつけた。
「正喜がいてくれたの。ああ良かった」
母は安堵したように笑顔になった。
「ここは病院じゃないよ。いつもそばにいるから安心して寝な」
頭を撫でながら話すと、母は次第に正気を取り戻した。
「起こしてしまってごめんね。さあ早く寝なさい」
深夜に起こしたことを、母は何度も謝っていた。


大部屋からのおばあさんの声に看護婦さんが駆けつける様子はなかった。
病院は病気を治す所で、老人介護には不向きだ。治療のためのサービスは受けられるが、老人のこまごまとした要求は受け入れてもらえない。

Nさんの母親は自宅へ戻るのが幸せだが、彼の病状悪化も心配だった。共倒れになるより、外の施設に頼る方が良いと彼に薦めた。
「できるかぎり近くの施設に預けて、毎日、訪ねてあげたら喜んでもらえますよ」
気休めにNさんに話した。
「たった一人の家族の母を看取るのは、私にはとても辛いことでした。死に場所を念頭に置く介護は寂しいですね」
Nさんとそんなことを話して帰路に着いた。


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写真はシャッター通りに変わった北赤羽駅近くの商店街。新幹線と埼京線が開通する前は、屋根付きの食品市場袋マーケットがあった。マーケットには近隣の工場労働者相手の小さな食品店が並び、昭和の匂いがした。市場は新幹線建設に伴い写真の場所に移転したが、隣接するスーパーに客を奪われ、2年と待たずに、ほとんどは閉店してしまった。


土曜夜、地球ドラマチック「レンガを運び続けて・バングラデシュの子どもたちは今」は辛い番組だった。
登場した11歳の少女は1日12時間、レンガを干し場から窯まで運ぶ仕事をしていた。賃金は歩合制で1000個運んでも98円。しかも、家族の住む狭い掘っ立て小屋の家賃は3500円。家族が全員必死に働いても食べるのがやっとで、貧困から抜け出るチャンスは殆どなかった。

もう一つの家族の14歳と13歳の兄弟は、弟の小学校の学費を稼ぐために鉄工所で手作業で鉄パイプ作りをしていた。劣悪な環境で怪我も多く、空中を舞う金属粉を吸収して絶えず発熱や頭痛に悩まされていた。兄弟の夢は末の弟が勉学に励み、出世して自分たちを助けてくれることだった。

バングラデシュでは1割の富裕層が9割の富を独占する格差社会だ。国土の大部分を占める農地は毎年、干ばつ・洪水・高潮に見舞われ、小作農で食べられなくなった農民たちは大挙して都市部に流入している。富裕層は彼らを低賃金で雇って益々豊かになり、格差は開くばかりだ。

ドキュメンタリーを見ながら、高い税金の祖国を捨てて、税金の安いシンガポールへ移住する金持ちたちのことを思い出した。

日本でも米国でも富裕層たちは、財力は独力で稼いだとの強烈な思いがある。失敗するリスクを取って、人の何倍も働いて積み上げた富みだから、1円たりと国へ支払いたくないと祖国を捨てる。

バングラデッシュの低賃金で働く子どもたちを見ていると、彼らの考えが間違っていることに気づかされる。
先進国の富裕層は個人の力で資産を築いた訳ではない。先進国で育てば、知らない間に国家の手厚いシステムで教育を受け、支えられて成長し、国家の豊かさを元手に資産を生み出している。

もし彼らがバングラデッシュで生まれ育っていたら、どんなに優秀でも小学校すら行けず、12時間労働で疲弊し、大人になる前に病死することだってある。先進国の富裕層が祖国に税金を支払うのは、後に続く子どもたちに、自分と同じチャンスを与えるためだと知るべきだ。

それにしても、バングラデッシュの超格差社会で革命が起きないことが不思議になる。日本が経験したように、農地解放をして自作農を増やせば、農業効率が良くなって豊かになれる。不十分な教育が今の事態を招いているのだろう。


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