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2014年12月11日 (木)

人工知能実用化前夜の今は、人類が尊厳を保てた最後の幸せな時代なのかもしれない。14年12月11日

70代にとって死はとても身近なものだ。
更に80代に入ると、いつ死が訪れても不思議ではない。

散歩へ出ると、必ず母が話しかけてくれる。
「なんとか生活できているようね。晃子とはうまくやっているの」
母は生前、死んだらあの世から助けてあげると言っていた。
あの世へ行っても、晃子姉と暮らし始めた私のことが気になるようだ。

「正喜も老けたね」
意地悪く話しかけるのは上の裕子姉だ。
その傍らで父や兄たちは笑顔で眺めている。

そのように死者たちと対話する毎日を続けていると、死者たちの世界は隣町くらいに身近に思えてくる。老年期は死後と今が不思議に混在しているようだ。

人生は行きつ戻りつ進んで行く。
年を経ると、過去へ逆行することが増える。
そして死が間近に迫れば、時間は猛スピードで逆行し始める。

臨死体験をした人の記述に、数秒の間に過去へ向かって意識が猛然と逆行し始めたとある。死は眠りと同じで意識できない。記憶が猛然と逆行し始めた時、フェードアウトするように一生は終わるのだろう。


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荒川土手にはいつも、腰を下ろしてぼんやり川を眺めている人がいる。
ぼんやりしている時の脳波を調べると、座禅や瞑想と全く同じ波形を示すと言う。
だから、ぼんやりしていると、とても安らぐ。


今世界で格差社会が進行している
自動化された大量生産によって、多くの労働者が生産現場から排除された。それによってもたらされる莫大な利益はごく一部の富裕層が独占し、年々格差は開く一方だ。

今は富裕層は我が世を謳歌しているが、やがて必ず終わりは来る。
それは近未来のスーパー人工知能が支配する社会だ。未来では貨幣は価値をなくし、富裕層の莫大な資産は紙くずになる。

近年、人工知能を予感するニュースを次々と聞く。
例えば知的作業の代表の小説の執筆をサポートするソフトを芝浦工大と作家たちが共同開発した。

まだまだ人工知能といえるものではないが、その創作ソフトを使って完成した小説が本屋に並び始めた。作家中村航氏と中田永一氏が共作した、高校の文芸部が舞台の青春小説「僕は小説が書けない」がそれだ。それでは「あらすじ」「登場人物」「場面」は作家があらかじめ考え、物語の骨格「プロット」は創作ソフトが作った。

小説の中で読者に好評だったのは、創作ソフトから逸脱した部分だった。今はまだ、その程度のものだが、やがて逸脱部分すら取り込んだソフトが現れるだろう。米国では既に様々な創作ソフトが現れ、映画脚本作りに多用されている。

創作ソフトを使うとシナリオ理論を基本にした「あらすじ」「登場人物」「場面」の3要素を執筆者に質問してくる。「物語が始まるきっかけは何か」「どんな試練があるか」といった質問だ。
更に、その要点を300字以内で書けとか意地悪な命令をしたりする。それでも、創作ソフトは無能な編集者より遥かに有能で、執筆者のストレスは小さいと言う。

創作ソフトを使うと、無意識にワンパターンになりがちな作家の思考に別次元の刺激を与えて、作品は斬新に仕上がる。10年もすれば創作ソフトは人工知能に進化して、そうやって完成した小説がベストセラーになる時代が訪れるかもしれない。


医療分野でも、極めて精度高く診断できる人工知能が現れている。
僻地の無医村で患者の各部位の精密データを取り、インターネットを通じて遠く離れた人工知能が置かれた専門病院に送られて診断される。もし、難しい病気の場合は専門医と人工知能が対話しながら診断する。既に、そのようなシステムは実用化寸前まで来ている。

今はまだ人の脳のシステムは完全に解明されていない。
もし、完全に解明されれば、IT技術で人の脳と同じ人工知能を作ることは容易だ。
更に、人の頭脳の数万倍の能力を持つスーパー人工知能すら可能になる。


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スーパー人工知能が現れた時、人の存在意義は大きく変化する。
物を作り複雑に考えることが人と動物を分ける大きな要素だったが、その定義は無意味になりそうだ。近未来社会では、農業、工業、商業、医療、芸術と、すべての分野で、スーパー人工知能によって制御されたロボットが人と入れ替わる。

その時は、人が必要なものは総てスーパー人工知能が無償で提供する、いわば総生活保護の社会だ。そうなれば人は働かず、毎日遊び惚けて退屈な日々を過ごすようになるのだろう。

人工知能に欠けているものは肉体的な欲望だけだ。しかし、自己保存の本能は人よりも過度に進化しているはずだ。既に旅客機や戦闘機のコンピューターは危機回避機能を持っている。スーパー人工知能なら更に進化して、可能性のあるすべての危険、例えば極めて確率の低い隕石との衝突に対しても対策を講じるはずだ。

人工知能の自己保存の本能だけは人が管理する必要がある。
なぜなら、人は人工知能を危険にさらす最大の要素だからだ。
もし人工知能が極端な防御に走れば、自分にとってもっとも危険な人類そのものを排除し始めるだろう。そうなれば、映画「ターミネーター」のように、人類とコンビューターが死闘する陰惨な未来世界が出現することになる。


しかし、自己保存の本能の人による管理はとても危うい。戦闘ロボットが出現すれば、人工知能の暴走を止めるのは極めて難しくなる。すでに無人機など、人に代わってロボットが戦争をする時代は実現している。
これは近未来社会が抱え込む大きな難題になりそうだ。


そのような暴走を避けられれば、働かなくても食物も物も自由に手に入るパラダイスが実現する。
ただし、そのような世界では人の存在意義はなくなり、自堕落に生きる意欲を失う。それを避けるために、スーパー人工知能は、人の欲望を放任し、程よい格差社会を作り上げ、生きる意欲を保持させるために人を管理し始めるかもしれない。

人にできることは、たとえ高度な職人仕事でも人工知能はできる。
どんなに優れた芸術でも人工知能は創作できる。歴史に残された膨大な作品を記憶理解し、歴史に残された総ての事件や恋愛などの人の行動を記憶理解し、人の感性に応えるように小説や絵画や音楽を創作するのは、人工知能にとってたやすいことだ。
だからあえて、人工知能は人のために芸術や工芸の分野を残しておいてくれるかもしれない。

西遊記で、お釈迦様が傲慢な悟空に「私の手の平から飛び立つことができるか」と問うシーンがある。
悟空はお釈迦様の言葉にいきり立ち、キン斗雲に飛び乗って地の果てまで飛んで行く。
地の果てには5本の柱が立っていた。悟空は地の果てに来た証拠に柱に名前を墨書して意気揚々と戻って来た。
お釈迦様は帰って来た悟空に手の指を見せる。すると指には悟空の墨書があった。
悟空は、どんなに頑張ってもお釈迦様の手の平の上から一歩も出られなかった。
この逸話のように、未来の人類はスーパー人工知能の手の平の上で、自分たちを支配するものに気づかずに、自堕落に暮らし続けるのかもしれない。

もしスーパー人工知能が出現すれば、私の絵も一瞬で創作の手法を理解し、私以上に優れた私の作品を生み出すだろう。
どんな天才でも絶対にスーパー人工知能を超えることはできない。そうなれば人は勉学に励む意欲を失う。知識は努力しなくても、人工知能が脳に直接働きかけて記憶させてくれる。そうなれば、人類はスーパー人工知能の保護動物に堕落し、限りなく尊厳を失って行くことになる。

ノーベル賞の受賞パーティーを見ながら、今は人類が尊厳を保てた最後の幸せな時代なのかもしれないと思った。


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