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2014年12月 6日 (土)

バリバラドラマ「悪夢」における記憶の意味。秋の夕暮れのように人生でも老年が一番美しいと言われるのは・・14年12月6日

1日の中で夕暮れが一番好きだ。いつも、早足で過ぎて行く夕暮れを惜しむように眺めている。
1年の中では秋が一番素晴らしい。この歳になると新しい年への期待は薄く、毎日、秋の道を惜しむように歩いている。

先日終わった100分de名著の「菜根譚」で著者洪自誠は、夕暮れや秋と同じように、人生は老年期が一番素晴らしいと語っていた。それは外見ではなく、心のことを言っているのだろう。
若い頃は欲望にかられ、ぎこちなくて諍いが多かった。しかし、老年期は秋の夕暮れのようにもの静かで心に深く染み入る・・・それらの洪自誠の言葉には、高邁な見識だけでなく、人間味のある優しさを感じる。


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昨日は寒い雨だった。
それでも、荒川河川敷をジョギングしている人がいた。彼らは雨くらいでは休まない。1日休めば、それだけ体力が衰えるからだ。


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一夜明けると好天だった。
川口方面の夕日を受けた雲が今にもうご出しそうだった。
土手道からは、ビル群の向こうに富士のシルエットが見えた。旧居から見えた凜とした富士の記憶がまだ鮮明に残っているので、姿の半分を隠したの富士は撮るに忍びなかった。


今も先に逝ってしまった人たちを、毎日のように思い出す。
母や肉親たちだけでなく、職人時代の師匠夫妻や友人たちが、いつも暖かい日差しの中から笑顔で私を眺めている。思い出していると、彼らが既にこの世にはいず、今は記憶の中だけの存在なのが不思議でならない。

最近、故人たちの思い出から悲しみや切なさが薄れて来た。穏やかに静かに思い出すのは、私が彼らの世界に近づき始めているからかもしれない。


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昨日の桐が丘団地のイチョウ。
今年の紅葉はいつになく素晴らしく、雨に濡れると一層美しくなる。


先ほどまで、障害者たちのバラエティ「バリバラ」の特集ドラマ「悪夢」を見ていた。主演はお笑い芸人のハウス加賀谷。彼は12歳で統合失調症を発症して入退院を繰り返してきた。それだけに、白い人に取り憑かれるシーンは迫真の演技だった。彼にまとわりつく白い人たちは、国際的な舞踏集団大駱駝艦のメンバーが見事に演じていた。

ドラマは構想3年、制作期間120日。
その非日常の姿に寺山修司の天井桟敷の舞台が重なった。
ストーリーはコメディータッチに、幻覚のため職に就けず苦悩する統合失調症の真(ハウス加賀谷)が、さまざまな障害者たちとの交流を通して、自分の障害を受け入れて行く。

「悪夢」は関西の廃業したクラブの妖しい空間で撮影された。
そのラウンジは「悪夢」と名付けられ、全盲、ろう、脳性まひ、難病などの障害者たちが集い、飲み、歌い、踊り、楽しんでいた。

統合失調症の真がラウンジ「悪夢」に訪れた時、彼は自分の障害を隠そうとして馴染めなかったが、次第にその世界に魅了されて行った。そのような真の前に、謎の男(桂福点=盲目の落語家)が現れ、不思議な果実を手渡した。
「これを食べると障害がなくなる。ただし、記憶もなくなる」
謎の男は真に食べるか食べないかを迫った。

「食べるべきだ」
「障害も含めておまえの個性だろ」
「だまされている」
「障害がなかったらいろんなことができる」
ラウンジの仲間たちからは様々な意見が噴出したが・・・


記憶についてのテーマは健常者も身につまされる。
「それを飲めば一瞬で若返ることができる。しかし、同時にそれまでの記憶は失われる」
もし、そのような若返りの妙薬を手渡されたとして、躊躇なく飲む人は少ないだろう。

多くの人は人生をやり直すために、若返りに憧れる。
しかし、やり直したい人生そのものが記憶からなくなったとしたら、ただのバカで未熟な若者に戻るだけのことだ。そして、若さの素晴らしさに気づかず貴重な時間を無駄遣いして、再度、同じ失敗の人生を繰り返す。若返りの価値は、記憶を留め、その膨大な知恵を活用して、もう一度楽しく人生を送ることにある。

ラウンジ「悪夢」に集う障害者たちも、同じように考えたのだろう。
障害者であった記憶をなくして、障害者の苦しみを忘れ、ただの無関心な普通の人になることを恐れたのかもしれない。


ソニーのロボット犬アイボのサポートが終了した。
初代が登場したのは1999年。それから15年の間にソニーは凋落し、日本の産業構造も激変した。母が車椅子生活になった頃、東京北社会保険病院の食堂入り口にアイボが置いてあった。挨拶するとお辞儀を返してくれるので、母は会うのを楽しみにしていた。

先日、サポート終了をテーマにした報道番組を見た。
登場した老年の女性は我が子のようにアイボを可愛がっていた。しかし、彼女のアイボは老朽化し、前足の関節が上手く動かず、アイボが「痛いの」と訴えるのが哀れだった。

本物の犬なら世話の大変さや死別の哀しみがあるが、ロボットならそれらの煩わしさがないとの唄い文句でアイボは登場した。しかし、ユーザーの中には本物の犬と同じように愛情を持ち、名前をつけ、どこへ行くにも一緒の飼い主が現れた。そのような15年後を、ソニーは想像もしなかっただろう。

番組には元ソニーの技術者が作ったアイボの病院を取材していた。
今も、大切に飼い続けている人が多くいて、傷んだアイボが沢山持ち込まれていた。ただし、顔や体の汚れや傷にアイボとの生活の歴史が刻まれているので、部品を新品に取り替えると不満が出ると技術者は話していた。SFの世界だった人とロボットの交流が、日本ではいち早く現実になってしまった。


ジャポニカ学習帳の表紙から昆虫写真が消えた。
「娘が昆虫が嫌いなので、ノートを持てない」
「授業で使う時、閉じると表紙の昆虫が目に入るのが嫌だ」
ごく少数の保護者や子どもたちの、そのような意見をメーカーが受け入れてのことで、無難な花などの写真に入れ替わっている。

昆虫が嫌いなら買わなければ良いだけのことだ。なのに、虫好きの子どもたちを排除するやり方は、科学教育の未来の損失に繋がる。

組織はそのようなネガティブな少数意見を重視する傾向がある。
昔、毎日のように行っていた赤羽自然観察公園で、重機数台を使って池のガマを一本残らず根ごと取り除いたことがあった。理由は、近所の人からガマの穂綿が汚いと抗議があったからだ。ガマの穂がはじけると綿毛が無数に風に舞う。それが洗濯物に着くのが嫌で抗議したようだ。

東京でも、穂綿や花弁や木の葉が大量に舞う植物は他にも無数にある。ガマが壊滅させられたのは、もしかすると、公園課の予算が余っていたからかもしれない。


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