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2015年1月29日 (木)

日本人論における宗教的生き方は、厳しく義務を課せず、無理なく飄々と生きることだった。15年1月29日

上州から住まい下の荒川土手まで遮るもののない関東平野だ。
厳冬期の寒風は上越国境の山々から一気に吹き降ろしてく来て、氷の破片を叩きつけるように冷たい。

土手上の風は街中より2,3度は低い。それでも、荒川土手は早朝から夜半までジョギングやウォーキングをする人たちが引きも切らない。寒風に逆らうように進めば、人生の少々の挫折も乗り越えられそうな気になって来る。だから、風に逆らって進むのは苦行ではなく楽しみなのだろう。

荒川土手の風は厳しいがとても清浄で、以前より風邪を引かなくなった。比べて、環八に面していた旧居の空気は排気ガスに汚れていた。


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住まい玄関から見た荒川夕景。

判で押したように同じ生活をしている。
朝食を食べ、仕事を少しして、軽い食事をして外出。3時間かけて10キロ以上を散歩する。散歩途中、気に入った公園で熱いお茶を飲みながら20分ほどぼんやりする。帰宅して雑用を済ませ夕食。再度、テレビの音声を聞きながら仕事。寝るのは午前1時〜2時。

生活は相変わらず厳しいが、旧居ほどの切迫感はない。楽になった訳は家賃の安さだ。今思うと、旧居での高家賃生活を長く続けられたことが奇跡に思える。

変わりばえのしない毎日で、1日も1週間も1ケ月も猛スピードで過ぎていく。

「もう日が暮れた。1日が早くて嫌になる」
生前、1日中手芸に打ち込んでいた母は夕暮れになると、時間が早く過ぎるとぼやいていた。

手芸を止め夕食をとり、ソロソロとベットに向かう母の後ろ姿が今も目に浮かぶ。
そうやって、あっという間に終末期を迎え逝ってしまったが、それでも母は幸せだった。

今の私も、母と同じように時間の過ぎる早さをぼやいている。
しかし、そのような凡々とした生活が本当はとても素晴らしいことだと思い始めた。

そう確信したのは、正月の新春特集・100分de日本人論を見てからだ。
番組には4人の論者が登場し、その中の人類学者中沢新一は鈴木大拙について語っていた。

鈴木大拙は世界的な仏教学者で、現代世界に大きな影響を与えた思想家の一人とされている。
1870年11月11日生まれ、1966年7月12日96歳で没。
英語が堪能だった鈴木大拙は、英訳は大変に難しいとされていた仏典を、豊富な仏教知識を基に的確に英訳した。だから、西欧で使われている仏教用語の大半は鈴木訳が基本になっている。

彼がもたらした仏教思想の影響を受けた欧米人は多く、ビートルズやスティーブ・ジョブスなどもそうだ。
インターネットの基本思想は鈴木大拙の影響を受けているとさえ言われている。

番組で、92歳の鈴木大拙の1962年NHKインタビューがあった。
「仏教は西洋のようにこれが宗教、これが哲学、これが芸術などと言わない。
日本には人間生活そのものを一つの宗教として見て行く考えがある。
だから、きちんと分ける西洋的な眼から見ると、日本には西洋のような宗教はないかもしれない。日本では日々の暮らしそのものが宗教的だからだ」
彼はそのようなことを話していた。

鈴木大拙が注目したのは、浄土真宗の祖親鸞上人だ。
浄土真宗の教義は実にシンプルで「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで、たとえ極悪人でも救われるとされている。
親鸞上人の考えでは、人の行為そのものが、み仏に導かれたものだ。だから、自分の行為について考察したり、良い結果に感謝する必要はないとしている。そして、考えることを止めれば自然に無分別智が働き、まっすぐにものに接して正しく見ることができると説いている。

言い換えると、人が行動すること総てが仏様に導かれてのことだ。だからみ仏に感謝する必要はない。親鸞の教義では「南無阿弥陀仏」すら必要ではない。しかし、それでは大衆にとって捉えどころがなく、最小限の念仏として「南無阿弥陀仏」を奨励したのだろう。

浄土真宗の在俗の篤信者を妙好人(みょうこうにん)と言う。
番組では妙好人の一人通称「石見の才市」について語られていた。

本名・浅原才市(あさはら さいち、1850年(嘉永3年)2月20日 〜1932年(昭和7年)1月17日
元々は船大工だったが、郷里の小浜に戻り下駄職人に転職した。
彼は仕事の合い間に、口あい(くちあい)と言われる信仰を詠んだ詩を、かんな屑・木片・紙片などに書き綴っては焚き付けとして燃していた。
彼はただ毎日が楽しく、その湧き上がる喜びを書いていただけだった。

「わしが阿弥陀になるじゃない。阿弥陀の方からわしになる。なむあみだぶつ」
「お慈悲も光明もみなひとつ。才市も阿弥陀もみなひとつ。なむあみだぶつ」

自分が「南無阿弥陀仏」と言っているのではなく、阿弥陀様が自分を通して言っているのだ。自分の行動はすべて阿弥陀様がそうさせている。だから、何一つなやみはなく幸せで楽しい・・・と言った詩だ。

そのような詩を10000首以上書いては燃していた。
後年、それを書き残すように人に勧められ、小学生用のノートに書き写して今に残った。
鈴木大拙は才市を妙好人として世界に紹介した。彼が言うように浄土真宗は、キリスト教・イスラム教や仏教の他の宗派と比べると実にゆるくシンプルだ。それで熱狂的に支持されたのだろう。


ついでに、妙好人の一人、通称「因幡の源左」が入信したきっかけの逸話を記す。

ある日、彼は牛とともに山へ草刈に出かけて五束の草を刈り取った。
四束を牛に担がせて一束を自分で担いで帰ろうとしていたが、重くなってその一束も牛に担がせると、とても楽になった。
その時、生きて行くのが重いと感じたら阿弥陀仏にすべてを任せると良い、と気づいて入信した。

確かに人生のすべてを一人で抱えていくのは難しい。もし、辛いと思ったらみ仏にすべて任せればいい。動物愛護の観点からは牛が可哀想だが、そのように厳しく突き詰めないゆるさがこの宗派の良いところなのかもしれない。


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1月30日、午前7時、気温0.9度、荒川雪景色。


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同日、12時、積雪し始めた。


自分に義務を課せない。
無理なく、飄々と生活する。
解決できない悩みがあったら、神様か仏様に丸投げしてしまう。
それが日本人の宗教的な生き方の極意のようだ。
比べるとキリスト教やイスラムは厳しい。
それは生まれた風土の違いによるものだろう。

寒さは厳しいが、時折春を感じる。
住まい下の風景に緑が萌えでるのは間近だ。


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散歩道のネコ。
若くてとても可愛い子だった。


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Ma_4

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Goof

Mas

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