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2015年1月15日 (木)

60代最後の日に思うこと。「表現・言論の自由」の耳ざわりの良さが覆い隠す汚れた傲慢さ。2015年1月15日

連日、欧米メディアがイスラム・テロに対して表現の自由の重大な侵害だと大々的に非難している。先日のパリでは各国首脳を交えての大規模な抗議デモが行われた。

気に入らないからと、殺人を平気で犯すことは絶対に容認できない。
しかし、欧米の対応は絵描きとして違和感を覚える。それは、発端となった風刺週刊誌・シャルリー・エブド社の風刺画の質があまりにも劣悪だからだ。漫画はどれも三流以下で、イスラム教徒が激怒するのは当然だと思えた。

比べて、江戸時代の浮世絵風刺画は芸術として今も通用するほどに格調は高かった。さらに、浮世絵作家は投獄覚悟で描いていた。しかし、今回の事件を引き起こした風刺画はキリスト教国側として庇護される立場だった。

もし風刺するなら、イスラム過激派を生んだ差別などの背景を同時に読み取れる絵にしなければならない。風刺画が優れた表現手段であるのは、そのようなものを同一画面に描けるところにある。そのような知的な風刺画であったら、今回の事件を引き起こすほどの対立は起きなかった。

三陸大津波に伴う福島原発事故のおり、シャルリー・エブド社に所属する漫画家カビュ=今回の銃撃事件で死亡=は、広島長崎の原爆被爆者を連想させる、眼球が飛び出て垂れ下がり、痩せた手が3本ある力士がオリンピックに出場する風刺画を他紙で発表した。日本国内の反原発派の中には「その通りだ」と喝采する者がいたが、私はその下劣さに吐き気を覚えた。

どの宗教に対しても、冒涜は絶対に許せない。もし、非キリスト教国メディアが、キリストを冒涜する風刺画を発表したら、キリスト教徒はどう思うだろうか。まさか殺人テロは起こさないだろうが、大変なバッシングを受けることは確かだ。

「表現の自由」は耳当たりが良い言葉だ。しかし、それはコレステロールや危険な添加物いっぱいの美味しい加工食品に似ている。それは口当たりは良いが、知らず知らずのうちに体を蝕んで行く。

そのように、責任が伴わない「表現の自由」ほど危険なものはない。
朝日などの大手メディアが「表現の自由」の錦の御旗のもと、捏造記事を次々と発表し続けたが、結局、責任を取らなかった。それは個人レベルのSNSにも同じことが言える。
無責任な表現は「表現の自由」を自ら損なってしまう汚れた傲慢さを感じる。


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氷雨の中、散歩へ出た。荒川土手には、さすがにジョギングもウォーキングの人もいない。土手道は水はけが悪く靴の甲まで水が被った。Gパンは吹きつける雨でグショグショに濡れて足にゴワゴワと張り付くのが寒くて気持ちが悪い。そのような氷雨の道をロシア民謡を聴きながら行くと、シベリアの流刑地へ向かう囚人みたいな気持ちになった。


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病院下の公園。
まだ3時前なのに街灯が点いていた。

今日15日は60代最後の日だ。
50代最後は母の介護を始めた頃で、生活に無我夢中でしみじみと味合うことはなく、いつの間にか60代へ突入してしまった。
60代の前半は母の介護、そして後半は喪失感を埋めるように絵を描いていた。

長兄は43歳、上の姉は69歳で死んだ。だから、すでに私は二人を追い抜いてしまった。父は79歳で死んだが、闇金に追い込まれなければ、平均寿命は生きたと思っている。

明日からの70代はどのような人生になるのか、想像するのは難しい。ただ、日に日に死に近づいていることだけは確かだ。

その次の80代はないかもしれない。もし、あったとしても老いに苛まれる年月となる。だからこそ、嫌なことはすべて今日で終わりにして、16日からは、どんな苦難も淡々と受け入れられる静かな人生にしたい。

ちなみに12年前の、2003年、母の介護を始めた頃の誕生日の日記。

パソコンをつけるとHappy birthday!の表示が出て、niftyからは「誕生日おめでとう」のメールが届いた。
「今日は何の日だ」
90歳の母に聞いてみた。
「天皇陛下が前立腺癌切除した記念日でしょう」
母は変な事を記憶していた。
「成人式は終わったし、何だろう」
母はしばらく考え込んだ末、ようやく私の誕生日に気付いた・・・

2005年の誕生日
パソコンをつけるとHappy birthday!の表示。メールを開くとniftyからグリーティングカードが届いていた。カードには、あるピアニストの言葉があった。
「幸せは経験するものではなくて、あとで思い出してそれと気づくものだ」
その日から60代に突入したのに、これと言ったコメントはなかった。

2006年の誕生日
今日母は、散歩で会う人毎に私の誕生日だと話していた。
敗戦濃厚なその頃、母は九州日田市の山中に疎開していた。
1月16日は祖父の命日。前日の15日、臨月の母は仏壇に供える供物を買いに日田市へ出かけた。そのついでに豆田の産婦人科病院に寄ると、出産間近だからとそのまま入院させられ、私はその翌朝に生まれた。

どの誕生日にも母が登場する。
母と死別してからの誕生日には、天井が抜けて寒風に吹きさらされているような寂しさを覚える。
明後日17日は阪神大震災の20周年。突然に家族をなくした遺族の多くが、悲しみは薄まるどころか、深まるばかりだと語っていた。


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枯れた紫陽花の花。

少し年上の知人が、近く前立腺癌の手術を手術支援ロボットのダヴィンチで受ける。数年前まで手術費は200万ほどかかっていたが、今は保険が効くので、誰でも受けられる。前立腺あたりは様々な細い大切な神経が入り組んでいる箇所なので、ダヴィンチを使うと格段に良い予後が得られる。

以前、日本の中小企業が持つ高度技術に関する記事で、もし、ダヴィンチと同じものを日本で作れば10倍精度の高いものを安く作れるとあった。ただし、日本にはそれらの技術を統括して指揮できる職種がないので実現は難しい。仮に完成したとしても、厚労省の認可が下りるのに、5年10年かかるので、産業として成り立たない。

日本の特許出願数は年間33万件で、その中には大変に優れたアイデアが多くある。しかし、そのほとんどは活用されず、そのうちの25万件が海外に無断盗用されている。
特許侵害への日本政府の対応は極めて弱腰で、盗用されていると分かっていても泣き寝入りしている。外務・経産両省が本気で取り組めば、貿易黒字とGNPに大きく貢献するのだが、官僚たちは頑張らなくても安泰のぬるま湯体質で、改革は極めて難しい。


去年の酉の市の帰り、浅草の観音様へ寄った。
仲見世を歩いている艶やかな着物姿の若い女性たちが目を引いた。彼女たちとすれ違った時、話している言葉で彼女たちが中国人だと分かった。
最近、外国人に着物をレンタルするのが流行っている。中国人など、和風に髪を結って着物を着ると違和感がなく、日本人と判別できない。

着物レンタルは北京でもやっていて、中国人の女大生が着飾っている映像を見たことがある。
着物の源流は中国の唐代にあるのだから、似合うのはもっともなのかもしれない。現在、チャイナ服と呼ばれているものは、東北地方の満州族の民族衣装で、清時代に普及したものだ。

「日本人は、昔入ってきた中国文化を大切にして、さらに洗練させた。だから、日本には驚くほど昔の中国文化が、そのままの形で残っている。対して、中国は次々と自国文化を捨て去ってしまった。和服の美しさと比べると、中国の民族衣装はとても見劣りがする」
映像に、そのような中国人の書き込みがあった。

日本にいる中国人も、日本人の会話に孔子孟子などの言葉が普通に登場することに驚く。雅楽も大昔に大陸から伝わり日本で集大成された現存する世界最古のオーケストラだ。衣装や面なども古代中国の形式を高度に残している。

日中関係は厳しいが、それらの両国の文化的つながりが、最終ラインを保って破綻を防いでいるのかもしれない。


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