不測に立ちて無有に遊ぶ-受け身こそ自由な生き方-荘子。本国で衰退した漢民族の文化は日本に残されていた。15年5月14日
相変わらず睡眠が不規則だ。
午前1時には床に就くが、眠れないままテレビを見て、やっと3時頃に寝入る。それでいて目覚めるのは7時前だ。睡眠4時間ではスッキリしないので、午前中に仮眠して補っている。
朝食後に雑用を済ませ、仮眠まで前夜録画しておいた「100分de名著・荘子・第2回・受け身こそ最強の主体性」を見た。講師は作家で僧侶の玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)氏。
荘子は「受け身の生き方に自由で主体性のある生き方がある」と説いた。
現代人にとって受け身は自由を失った消極的な生き方とされている。
それに敢えて逆行する荘子の思想にはハッとする新鮮さを感じる。
人は本来、受動的にしか生きられない。
行動や思考の総ては外からの刺激の結果だと、脳科学で実証されている。
外からの刺激とは無関係に、自発的に行動していると思っているとしたら、それは大きな錯覚だ。
受け身と幸せの関係。
奈良時代は、幸せは「為合-しあわせ」と書いた。「天が為されることに合わせる」運命に従うのが幸せとされた。それが「仕合わせ」すなわち「人に合わせる」ことが幸せに変化した。それは、荘子の「受け身に生きることが幸せ」と相通じる。
受身の生き方は主体性がないと現代人は否定するだろう。
対して荘子の考えは全く逆だ。
外因に対して受け身に、直観に従って行動することこそ主体的な生き方だと彼は言う。
彼の言う「直観」は深い知識に裏付けされたもので、直観に従えば正しい結果が得られる。ちなみに、現代用語として汎用される「主体性」は2300年前に荘子が考え出した言葉だ。
---「直観」は哲学用語で「直感」と意味はほぼ同じ。違いは「直感」から私的な予断をより厳格に排除したもの。
主体性を突き詰めることで、荘子の名言「不測に立ちて無有に遊ぶ」は生まれた。
意味は、未来のことは考えたり計画したりせず、今起きていることに対して素直に従えば、生き生きとした人生を送ることができる。
この場合の「遊ぶ」は享楽ではない。
あるがままに直観的に、無意識に行動することだ。
直観から派生する結果を予測したり考えたり、他と比べてはならない。結果を否定したくなるのは、客観的に他と比較して劣っていると思うからだ。比較することで、結果や運命は良くなったり悪くなったり不安定に揺れ動く。
未来への恐れや不安は結果を幸不幸に分けて考えることから生まれる。
考えず、受け身に降りかかることを素直に受け入れれば、人生は躍動する。
それこそが真の主体性のある生き方だ。
主体性があれば、仕事や生き方を他人と比較したりはしない。
他と比較しなければ、運命を素直に受け入れることができる。
そのように自然体で全てを受け入れれば人生は楽しくなる。
「遊ぶ」の本来の意味は、そのように自由に生々と楽しむことだ。
不眠に悩む私には「不測に立ちて無有に遊ぶ」は名言だった。
不眠の悩みは、それがもたらす様々な体調不良を憶測するから生まれる。明日のことを思い煩わず、眠くてスッキリしない気分を、そのまま淡々と受け入れたら不眠に悩むことはない。むしろ、思い煩わないことで不眠そのものが解消する。
ほとんどの人は、毎日の仕事の行き帰りに決まったコースを辿る。
それでは自然な生き方は送れない。心のままにひらめきに従い、寄り道をしたり違う道を選べば新たな楽しさや発想に出会える。そのワクワク感こそ人生には大切なことだ。
行き帰りに遅刻しそうな時がある。
その時、歩行者用信号が赤でも車の往来がなければ、殆ど人は信号を無視して渡る。なぜなら、それによって得られる時間の余裕を考えるからだ。
私は散歩道のすべての歩行者用信号の待ち時間を計ったことがある。結果は最長53秒だった。その53秒の節約を考えて急いだとしたら「主体性がない」と荘子は思うだろう。もし、のんびり青に変わるのを待てば、青空の爽やさや、路傍の可憐な草花に気づく楽しさがある。その新鮮な発見こそ人生には大切なことだもし遅刻をしたとしても、それからの結果を素直に受け入れれば良いだけのことだ。とは言っても、生死に関わる三陸大津波のような非常時に、のんびり待てとは荘子は言わない。すべては緩々に、適当に対応すれば良い。
荘子の言葉に「機械を用いるものは機事をめぐらす」がある。
便利な機械に頼ると、万事、それに頼り切ってしまい、生き生きと生きられなくなる、と言った意味だ。例えばスマホがそうだ。その便利さに頼り切ってしまうと、自分を見失ったり、世の中の素晴らしいものを見過ごしたりする。「策を巡らす者は策に溺れる」も同じような意味だ。
主体性と同じく、機事も適当で緩い。それが厳格な孔子にはない荘子の魅力だ。ちなみに荘子は、孔子を堅くて論理的過ぎると敬遠していた。
私の経験では、慎重に数年かけた計画でも、しばしば失敗する。むしろ、ひらめきに従った方が成功率は高い。成功者たちの多くは、ひらめきを大切にしている。日頃の考えと時代との接点から生まれた直観やひらめきの成功率が高いのは、合理的な意味がある。
---荘子はそのようなひらめきを「気」と言っている。
景気や不景気や人気の「気」も同じような意味がある。
高い目標をかかげて計画を立て、達せられずに悩むのは主体的な生き方ではない。
達成不可能な目標に翻弄されていては人生の浪費だ。
未来を考えず、計画を立てない荘子の思想は、目標や計画に翻弄されている現代人には五月の風のように爽やかだ。
「不測に立ちて無有に遊ぶ」を考えながら、知人の女性画家のことを思い出した。
彼女は美術大学の同窓生と結婚した。夫は大企業でデザイナーを定年まで勤め、退職後は湘南の瀟洒な自宅で悠々自適の年金生活を始めた。
暇になった彼は、妻が長年自宅で開いていた絵画教室を手伝い始めた。
生徒は主婦が主体で、絵画教室の収入も安定していた。しかし、彼女は裕福であるにもかかわらず、将来も生活を維持できるか、不安で不安で仕方なく、電話で幾度もその悩みを訴えて来た。
彼女が60代半ばに入った頃、末期の肝臓癌に罹っていることが分かった。
人一倍の世話女房だった彼女は、自分でお茶すら入れられない夫を残して先に逝くことを悩んでいた。子供はいたが、海外生活をしていて頼りにならなかった。
肝臓癌が分かってから2年後に彼女は逝った。
49日に訪ねると、残された夫は蕭然としていた。
しかし、一周忌には意外なほどに元気溌剌としていた。
絵画教室の生徒には裕福な未亡人が多い。彼女たちは一人寂しそうな彼を寄って集って世話し始めた。彼には思いがけなくこの世の春が訪れ、絵画教室は言わばハーレム状態になっていたようだ。
死んだ彼女の悩みの原因は、未来を自分の計画通りに実現させようとしたことにある。彼女が「不測に立ちて無有に遊ぶ」のように、先のことは考えず、あるがままに現実を受け入れていたら、もっと楽に生きられたはずだ。
彼女は死期を悟ってから、とても素晴らしい作品を残した。
終末期にやっと、荘子が言う受け身の生き方ができたのかもしれない。
老いたら反省も後悔もする必要はない。
長い人生経験に基づく行動に大きな間違いは少ないからだ。たとえ、間違えたとしてもあれこれ悩まず、現実をそのまま受け入れて余生を楽しく過ごすべきだ。そのように淡々と過ごしている老人は傍目にもホッとする。それは役に立たなくても役立っている「無用の用」の姿なのだろう。「和して唱えず」-人付き合いでは自己主張をせず、しっかりと相手の話すことを聞くように、と荘子は言う。
その例として、衛の国の人、哀駘它(あいたいだ)の逸話を荘子は記した。
彼は人の話をよく聞き、自己主張を決してしなかった。
その結果、彼は醜男にもかかわらず、男からも女からも大変に好かれた。若い女性たちなど、本妻になれなくても、お妾さんでもいいから一緒になりたいと言い合うほどだった。
どんなに嫌な人にも良い点はある。彼は高い教養に裏付けされた直観で、人の優れた点をしっかりと受け止め、話を聞いてくれたので愛されたのだろう。どんなに熱心に人の話を聞いても、的外れだったら彼ほど愛されたりはしない。
米国の心理学者の言葉に「うなずく人ほど上の空」がある。その心理学者は、真剣に相手の言葉を聞いていない人ほど、よくうなずいていると研究で明らかにした。そのような心のない八方美人では、哀駘它のように人に愛されることはない。
そのように教養や知識のある誠実さは大切なものだ。ただし、それを自己主張して、ひけらかしては逆効果になる。
荘子は「蛇」に敬意を払っていた。
人は近道をしたがるが蛇は違う。愚直に地面の凹凸に従って、体を曲げながら進む。そのように、世の中の凹凸に従えば人は楽に生きられる。
反対に、凹凸に逆らい真っ直ぐ進もうとすると躓いて怪我をする。
最終回のテーマは「万物斉同-ばんぶつせいどう」だった。
これこそが荘子の根本思想だ。
意味は・・・
生も死も同じ。
幸福も不幸も同じ。
夢も現実も同じ。
崇高な思想も宝物もうんこも皆同じ。
---「うんこ」は冗談ではなく荘子ははっきりと「屎尿」と言っている
---「斉同=同じ」は物理的・感覚的な有る無しを超越した「無」に近い。
人が不完全な意識によって判断した「同じ」ではなく、
人知を超越した「同じ」だ。
考えても理解し難いことだが、
ズバリ丸ごと「同じ」と納得させられるのが凄い。
それは西欧の愛に基づく平等思想とはかなり違う。西欧のそれは、例えばイルカは牛豚より人に近いから偉い、と言った上から目線の平等なのに対し、荘子のそれは万物に序列をつけない絶対的な「同じ」だ。
荘子の名言に「胡蝶の夢」がある。
意味は「夢が現実なのか、現実が夢なのか、誰にもわからない」
万物は際限なく変化し続けている。
変化の一瞬を切り取っても、それは真理ではない。
それは位置を特定できない原子核の周りを飛び回る電子に似ている。
原子物理学者の考える電子は原子模型図ではなく、無数の点が集まった雲のように想定する。
乱暴な言い方をすれば、
今自分が生きているのか死んでいるのか、本当は誰にも分からないことだ。
だから生死は自然体に丸ごと受け入れるべきものだ。
そのように、完全な受け身の生き方ができたら、最強の人生になる。
それを「已むを得ず=やむをえず」の生き方と荘子は言う。
---「已むを得ず」の生き方・・・
計画を立てたり熟考したりせずに、行き当たりばったり、なされるがままに生きること。
私は母を在宅で一人で看取った。
終末期の母が意識する生死は極めて曖昧だった。
母の曖昧さは酸素飽和度の低下によるものだが、健常者でも生死の意識は大差ない。
そのようにすべては曖昧で混沌としている。
そして、人のすべての苦悩は、
死に対して生、貧に対して富のように比較することから始まる。
---人生のことを禅で「大夢=だいむ」と言う。
その考え方の根底に荘子がある。
70年を生きた今、振り返ると確かに大きな夢のように思える。
万物は激しく渦巻く混沌に在る。
万物の価値に差異が生じるのは、人の自分勝手で不完全な意識によるものだ。
不完全な意識によって物事の価値は差別化され、すべての苦悩の根源になる。
不完全な意識は映画鑑賞に似ている。例えばラブシーンにおいて、男と女の顔を大写しした後、抱き合う男女を映し出せば、観る人は愛し合い抱き合っていると思い込む。しかし、それぞれは大勢の撮影スタッフに囲まれて撮られた別個の画像で一体のものではない。
現実においても、人はそのような積み重ねられた錯覚の中で生活し、それを真実だと思い込んでしまう。戦争や犯罪も、錯覚の積み重ねで引き起こされる。そのように人の思い込みによる意識は、いい加減で不完全なものだ。
人が不完全な意識で混沌の流れに逆らえば、たちまち溺れてしまう。
しかし、不完全な意識を捨てて、謙虚に混沌の流れに身を任せれば、
相対的に周りは静まり、人は自然体に生き生きと過ごすことができる。
人は平穏な生活や健康を守るために苦悩し、人生の大半を費やす。
もし、なるがままに生きられたら、そのような苦悩から解放される。
混沌に身を任せ、万物みな同じと確信した時、
人は変化を恐れず、苦悩から解放され、生は躍動する。
荘子思想の大きな根幹は、その自由な躍動感にある。
以上「荘子」を、玄侑宗久氏の解説を参考にしながら、緩やかに噛み砕いてみた。西欧思想では言葉を厳格に定義する。対して東洋では細かいことに拘泥しない。殊に荘子は言葉に絶対的な意味はないと言う。それでも言葉で記しているのが荘子の緩く適当で面白いところだ。
蛇足だが、貧者や敗者たちの側に孔子・老子・荘子などはいた。
人生での真の勝者が負けた者たちから生まれたことは示唆深い。
宗教も思想も奥義を極める必要はない。
心得程度に、心の片隅に置いておけば困った時に助けてくれる。
荘子-荘周は2300年前の中国戦国時代の宋国・蒙に生まれた。
名は儒家の曽子-そうしと区別して「そうじ」と読む。小説は彼が使った言葉で今の意味と同じだ。「荘子」自体が物語性があって、思想書としてはとても読みやすく面白い。主体性とか主人公などの言葉は現代用語に思えるが、それも彼が使った言葉だった。
ちなみに彼の死後入ってきた仏教の翻訳時、荘子や老子などの言葉・空、無、解脱などが仏教用語に多用された。荘子は禅、俳諧、夏目漱石などの近代文学、物理学者の湯川秀樹などに大きな影響を与えている。
今の強欲で利己的な中国人を見ていると、荘子・老子・孔子などの偉大な思想家を生んだ民族の末裔とはとても思えない。そのことは中国の知識階級でも反省されている。
漢民族の思想文化が最高度に成熟したのは南宋時代だと彼らは言う。
その南宋文化はモンゴル族の元に支配されて滅ぼされた。元の後、明によって漢民族の王朝が生まれたが文化は再興されず、再度異民族の満州族が清を興した。清においても、漢民族の文化は再興されないままに今に至った。
以前、NHKで「雪舟」を取り上げていた。
南宋文化への造詣が深かった雪舟は禅僧として明に渡り、水墨画家の修行をしたが、明では南宋文化は衰退していて、彼は学ぶものはないと言い切った。しかし、水墨画の高い資質を認められた雪舟は宮廷画家として重用され、中国に優れた水墨画を多く残した。今、彼の作品は中国で高く評価されている。
雪舟が南宋文化に造詣が深かったのは、南宋時代に禅宗と共に文化が日本に流入していたからだ。現代日本文化の建築・工芸・美術から思想まで、禅宗を通じて入ってきた南宋文化の影響が残されているのに、肝心の本国では衰退している。
今中国服と呼ばれるものは満州族の衣服で漢民族のものではない。むしろ、日本の雅楽や能などに漢民族の衣服は残されている。茶道・香道などの源流も南宋から禅宗と一緒に伝わったものだ。
番組で鎌倉の建長寺を訪ねた中国の美術家たちは、本国で滅びたものが、日本ではさらに進化して残されていることに感動し、大切に残してくれた日本に深く感謝していた。
建長寺は南宋の禅僧・蘭渓道隆が多くの書画・仏典と共に仏師、工人、医師などを引き連れて渡来し建立された。その後、それらの文化は日本に根付き、それ以降の日本文化へ大きな影響を残した。南宋の建築、書画工芸の名品の多くは日本にある。南宋文化の研究は日本に行かないとできないとさえ言われている。
今、中国で新語「内斂-ないれん」と呼ばれる美意識が評価されている。これは欲に走らず、自己主張せず、控えめな南宋の思想を受け継ぐものだ。それは現代中国人の生き方とは真逆の生き方で、中国の拝金主義に疲れ果てた知識階級に高く支持された。
モンゴル族横綱白鵬や元横綱朝青龍の不遜さが日本で顰蹙を買った。それは日本に残る南宋思想と、南宋を滅ぼした元の思想との対立と捉えると解りやすい。韓国と日本の対立も、それに近いものを感じる。
番組で、荘子・老子・孔子などの中国思想が深く根付いているのは本国ではなく、世界の中で日本だけだと彼らは言い切っていた。それを衝撃的に表したのがISIL-イスラム国による後藤・湯川氏の拘束処刑事件だった。
あの時、両氏の家族は国家に迷惑をかけたことを詫び、日本政府を非難せず努力に対して感謝すら述べていた。これは中国や韓国では驚きを持って受け止められていた。
この日本人的な考え方は、私と公を厳しく分けて考える儒教などの影響によるものだ。もし中国・韓国の国民に起きた事件なら、家族は国家を厳しく糾弾し「迷惑をかけた」と詫びることなどあり得なかった。
荒川土手近くのオオキンケイギク。
キバナコスモスに似ているが葉の形が違う。外来種で繁殖力が強い。
福祉ボランティア活動をしている集まりに呼ばれた時、手帳に描いたスケッチ。
会場では大変に真面目な話が続いていたが、私には高尚過ぎた。
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絵本の内容・・おじいちゃんのバス停・篠崎正喜・絵と文。老人と孫のファンタジックな交流を描いた絵本。
おじいちゃんは死別した妻と暮らした家に帰ろうとバス停へ出かけた。しかし、家は取り壊され、バス路線も廃止されていた。この物語は、20年前に聞いた知人の父親の実話を基にしている。対象は全年代、子供から老人まで特定しない。物語を発想した時、50代の私には77歳の父親の心情を描けなかった。今、彼と同じ77歳。ようやく老いを描写できるようになった。
概要・・初めての夏休みを迎えた小学一年生と、軽度の認知症が始まったおじいちゃんとの間に起きた不思議な出来事。どんなに大切なものでも、いつかは終りをむかえる。終わりは新たな始まりでもある。おじいちゃんと山の動物たちとの、ほのぼのとした交流によって「終わること」「死ぬこと」の意味を少年は学んだ。
描き始めた20年前に母の介護を始めた・・このブログを書く8年前だ。
絵は彩色していたが、介護の合間に描くには画材の支度と後片付けに時間を取られた。それで途中から、鉛筆画に変えた。鉛筆画なら、介護の合間に気楽に描けた。さらに、水墨画に通じる味わいもあり、意外にもカラーページより読者に評価されている。それはモノクローム表示端末で正確に表現される利点がある。
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